誰が彼女を殺したのか

志波 連

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16 ブロウ侯爵邸

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 無言のまま屋敷についたアレンは、さっさと馬車を降りて屋敷に向かって歩いた。
 馭者が出してくれた踏み台が、ドレスの裾に隠れて見えなかったマリアは踏み外した。
 変な角度に捻った足首に強い痛みがあったが、声が出ないために誰も気づかない。
 いや、気づいたとしても誰も手を差し伸べないだろう。
 そう思ったマリアは、激痛に耐えて足を引き摺るようにして屋敷に向かった。

 まだマリアが玄関に到着する前に、もう一台馬車が到着した。
 振り返る間もなく、後ろから走ってきた人物にわざと突き飛ばされた。
 足を痛めているマリアは踏ん張ることができず、肩から石畳に突っ込んだ。

「アレン!」

 マリアを突き飛ばしたのは、先ほど教会で泣いていた女性だった。

「ルーナ! ああルーナ。可哀想に泣いていたね。胸が締め付けられたよ」

「私もよ、分かっていてもやっぱり辛かった」

 新婦の前で抱き合う新郎と女性の姿を、温かい目で見守る使用人たち。
 マリアは何の茶番に付き合わされているのかと腹が立ってきた。
 文句の一つも言いたいし、痛めた足の治療もして欲しい。
 でも誰もマリアを気にも留めていないのだ。
 例え声が出たとしても無視されることだろう。
 マリアは溜息を吐いて、抱き合う二人の横をすり抜けた。

 足首に心臓が動いたのかと思うほどズキズキしている。
 ロビーに置いてあった椅子に座り、ドレスの裾をまくって自分で確認した。
 ふと目を上げたとき、自分の夫にしがみついている女性と目が合った。
 その女性は、マリアの足を見て息を吞んだ。
 きっとこの女性が医者を呼んでくれると思ったマリアは、少し安心した。

「こちらです」

 一人のメイドがマリアの前に立った。
 足を擦っているマリアにお構いなく、さっさと歩き出すメイド。
 それを咎めない人たち。
 仕方なくマリアは一歩ずつ歯を食いしばって階段を上がった。
 メイドが立ち止まったのは、北側の端にある部屋の前だった。
 無言で開いて、顎をしゃくっているメイド。
 この部屋に入れとでも言っているのだろうか。

「早くしてください。私も暇ではないのです」

 マリアは心の中で『躾がなってない!』と叫びつつ、やっとの思いで辿り着いた。
 部屋の中にはライティングテーブルと椅子が一つ、そして使用人が使うものより多少はマシなのだろうか、シングルベッドがあるだけだった。
 開いたままのクローゼットには何も入っていない。
 ドレッサーはあるが、鏡は磨かれていなかった。
 
「鞄はそこに置いてありますから、自分でなさってください。風呂の用意はしてありますので、こちらもご自分でどうぞ。食事はここに運んできます。部屋から出ないでください。御用があればそのベルを鳴らしてください。手が取れるようなら来ますから」

 さっさと出て行ったメイドに呆れながらも、マリアは窮屈なドレスを一人で脱いだ。
 コルセットを外す時には、大いに手間取った。
 下着のままベッドのサイドテーブルに置かれたバッグを開け、カリアナから持ってきたままのワンピースを引き摺りだす。

『しわくちゃでボロ雑巾のようだわ』

 仕方なくマリアはそれを身に着け、足の状態を確認した。
 痛めてからずっと無理をしたのが悪かったのかもしれない。
 足首を動かそうとするとびりっとした強烈な痛みに襲われる。
 部屋を見回すと、部屋の隅に水桶があった。
 痛めた足を庇いながら、鞄の中からハンカチを出して、這うようにして水桶に行く。
 辿り着いた水桶に手を入れるとぬるかった。

 ハンカチを濡らし患部に当てるが何も感じない。
 冷やす必要を感じたマリアは、呼びベルを鳴らした。
 何度も振ったが誰も来ない。
 そこまで必死で耐えていたマリアだったが、遂に泣き出してしまった。
 暫し一人で泣いた後、マリアはベッドに横になった。
 少し埃臭いが、湿っているわけでもない。
 囚人にでもなったような気分で、マリアはそのまま目を閉じた。

 何時間か眠ったのだろう。
 窓を見ると星が見えた。
 ボーっと天井を見上げていると、ドアがノックされた。
 声が出ないので返事ができない。
 すると無遠慮にドアが開いた。

「返事ぐらいして下さい。食事を持ってきました。ここに置きますから勝手に食べてください。食器は廊下に出しておいてくださいね。それくらいはして下さいよ」

 マリアは冷たい水を持ってくるように言おうとしたが、メイドは全くマリアを見ていない。
 困ったマリアは、クッションを放って注意を促した。

「まあ! 何が気に入らないの! クッションを投げつけるなんて!」

 メイドは怒って行ってしまった。
 大きな溜息を吐くマリア。
 ふと見ると、食事はスープとパンだけだった。
 サラダさえない。
 これが新婚初日の食事かと思うと、マリアの目から再び涙が溢れだした。

 結婚式で張り付いていた騎士はもういなかった。
 きっと結婚式さえ終わらせれば、彼らの責任は終わるのだろう。
 いったい何がしたいのか。
 あと3か月もこんな暮らしを強いられるのか。
 マリアは食事をする気にもなれず、そのままベッドに横たわっていた。

 食事を持ってきてから20分も立たないうちに、食器を下げに来たメイドが何やら悪態を吐いていたが、マリアは聞いていなかった。
 眠っているわけでは無いが、楽しかったカリアナでの日々に心を飛ばすしか、正常な心を保てなかったのだ。
 バンという扉を乱暴に閉める音で、誰かがいたことに気づいたが、今のマリアにとってもうどうでも良いことだった。

 翌朝になっても痛みは引かず、マリアは骨折を疑ったが、医者を呼ぶ術もない。
 今は動かさないことが大切だと考え、目が覚めてもじっとベッドで横になっていた。
 朝食は運ばれてこなかった。
 昼前に一度メイドが覗きに来たが、まだ声が出ないマリアは寝たふりをしてやり過ごし、出て行ったあとで、ライティングテーブルに置かれた食事を見て笑ってしまった。

 昨夜と全く同じメニューのそれは、スープは冷え切りパンは硬くなっていた。
 もしかしたら、昨日食べなかったものをそのまま持ってきたのかと思った。
 マリアは、なんとか起きだし、パンを引き出しに入れて、スープは一口だけ口にしたが、残りは不浄に流した。
 たったこれだけの作業でさえ、額に脂汗が浮かぶ。

 足の怪我を見たはずの夫と抱き合っていた女性は、医者を手配する考えは無いようだと悟ったマリアは、声が出る様になったら、夫となった人に言って、何が何でも医者を呼んでもらおうと考えていた。
 しかし、その夫であるアレンは、その日の早朝には出張に出掛けていて、二か月は帰らない。
 そのことを知らされていないマリアは、ただ痛みに耐えながら待つしかなかった。
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