8 / 43
7 悪夢の始まり
しおりを挟む
夜会の翌日、エヴァンス邸の人間の予想を大きく裏切り、約束通りエヴァンス家の家紋入りメダルをドナルドに渡したローラ。
「マジで楽しかったよ。でももういいかな。やっぱりあたいの住む世界じゃない。もう会うことも無いだろうけど、体には気を付けて長生きしなよ。それと約束通り買って貰ったモンは持っていくよ? これだけあれば当分食える。あたいはもう少し王都を楽しんだら、遠い街に行くよ」
玄関先でドナルドとリリーブランに別れを告げたローラは、本当にあっさりと去った。
「なんだか……怖いくらい素直ですわね」
「ああ、でもこれで終わったんだ」
リリーブランと短い言葉を交わしたドナルドは仕事に向かった。
半月ほどローラが滞在していた部屋を覗いたリリーブランは、もう3年近くも会っていない妹のマリアのことを考えた。
「マリア……どうしているのかしら」
年が離れているせいか、幼いころからあまり関わることが無かった妹のことを、急に懐かしく感じた自分を不思議に思いながら、リリーブランは本棚に残されていた本を手にした。
「懐かしいわ。『泣いた王子様』か。何度か読んであげたわね」
背表紙が破れかけたその童話を棚に戻し、リリーブランは静かに部屋を出た。
それから数日、まるで何事も無かったようにエヴァンス邸に日常が戻ってきた。
ドナルドは印で捺したような毎日を送り、リリーブランは友人の誕生日に贈るショールに刺しゅうをする日々。
午後のお茶を所望しようと、リリーブランが呼びベルに手を伸ばしかけたとき、激しくドアをノックする者がいた。
「どうぞ?」
駆け込んできたのは執事だった。
その手には紙の束が握られている。
「お嬢様、大変でございます。あの女が……あの女の仕業に違いません!」
「どうしたというの? 少し落ち着きなさい」
「これでございます」
執事が差し出した紙束を受けとり、数枚確認したリリーブランは立ち上がった。
「どういうこと! すぐにお父様に知らせてちょうだい!」
執事が駆け出していく。
リリーブランは唇を嚙みしめた。
彼女が握っているその紙束は、いろいろな商会から送られてきた請求書だった。
サインしているのはマリア・エヴァンス。
王都に居るはずのない妹の名を騙るのは、一人しかいない。
「あの子……最初からこれが目的だったのね……どうりで大人しく引き下がったはずだわ」
ローラが出て行った朝、なかなか素直なところもあるわなんて思った自分を怒ってやりたい。
しかし、今となってはどうしようもない。
見れば驚くほどの高額な物を購入したわけでも無さそうだ。
しかしこれ以上は見逃すわけにはいかない。
「商会に手紙を書いて、マリアの名前での買い物を止めなくては」
そう考えたリリーブランは、父親が戻る前に手紙を書き終えておこうとライティングテーブルに向かった。
数通の手紙を書き終えたとき、ふと考えた。
名のある商会が、マリアという名前だけで取引に応じるだろうか……。
そもそもあの娘は字が書けたのか?
考えればおかしい。
マリアの名を知っているのは数人だし、顔もわかるとなるとほぼ皆無だ。
なのになぜ信用取引に応じたのか?
「誰か信用できる人物が、マリアを紹介した? そんなことあるわけ無いわよね?」
自分では答えを出せないと思ったリリーブランは、今できることとして再び手紙を書き始めた。
数時間後、父親が帰宅したとの声に部屋を出たリリーブランは、ロビーに急いだ。
「お父様」
「ああ、大体は聞いた。何かやるとは思ったが、姑息な真似をしたものだ」
「ええ、取引に応じないように商会へ出す手紙は用意いたしました」
「ああ、そうか。助かるよ。すぐに持ってきてくれ」
リリーブランはメイドに指示をして取りに行かせた。
父親のあとをついて執務室に向かう。
後ろから見る父親の背中は、いつもより小さく見えた。
「これ以上何も無ければ良いが……」
「ええ、本当に」
父娘は溜息を吐きながら、執務室に入って行った。
リリーブランが用意した商会宛の手紙を確認したドナルドは、執事を呼びすぐに出すよう指示をした。
執事が退出した後、リリーブランが口を開いた。
「これでようやく終わりますわ」
「ああ、そうだといいが悪い予感しかしないよ」
「お父様……」
いつも難しい顔をして、会話もあまり続かない厳格な父親の弱った姿に、リリーブランは胸を痛めた。
ここは一人にした方がいいだろうと思い、明日の予定の話をして部屋を出ることにした。
「お夕食の時にお話ししようと思っていたのですが、学園時代の友人から、明日お茶会に誘われておりまして」
「そうか、行くのか?」
「ええ、何度もお手紙をいただいていますし、このひと月ほどなかなか出席もできておりませんでしたので」
「ああ……そうだな。わかった、行ってきなさい」
「はい、ありがとうございます。お夕食はすぐになさいますか?」
「いや、今日はいらない。そう伝えてくれ」
「畏まりました。それでは失礼いたします」
リリーブランは父親の執務室を出て、そのまま食堂に向かった。
父親の伝言を伝え、自分だけだから簡単なものでよいと言い添えた。
食事を終え湯あみをした後、リリーブランは窓を見た。
窓に映る自分の姿をなぜか見たくなくて、部屋の明かりを消した。
一気に浮かび上がる街の灯りをぼんやりと眺めていたら、全て夢だったような気分になってくる。
「夢だったら良かったのに」
ぽつんと呟いて、リリーブランはベッドにもぐりこんだ。
「マジで楽しかったよ。でももういいかな。やっぱりあたいの住む世界じゃない。もう会うことも無いだろうけど、体には気を付けて長生きしなよ。それと約束通り買って貰ったモンは持っていくよ? これだけあれば当分食える。あたいはもう少し王都を楽しんだら、遠い街に行くよ」
玄関先でドナルドとリリーブランに別れを告げたローラは、本当にあっさりと去った。
「なんだか……怖いくらい素直ですわね」
「ああ、でもこれで終わったんだ」
リリーブランと短い言葉を交わしたドナルドは仕事に向かった。
半月ほどローラが滞在していた部屋を覗いたリリーブランは、もう3年近くも会っていない妹のマリアのことを考えた。
「マリア……どうしているのかしら」
年が離れているせいか、幼いころからあまり関わることが無かった妹のことを、急に懐かしく感じた自分を不思議に思いながら、リリーブランは本棚に残されていた本を手にした。
「懐かしいわ。『泣いた王子様』か。何度か読んであげたわね」
背表紙が破れかけたその童話を棚に戻し、リリーブランは静かに部屋を出た。
それから数日、まるで何事も無かったようにエヴァンス邸に日常が戻ってきた。
ドナルドは印で捺したような毎日を送り、リリーブランは友人の誕生日に贈るショールに刺しゅうをする日々。
午後のお茶を所望しようと、リリーブランが呼びベルに手を伸ばしかけたとき、激しくドアをノックする者がいた。
「どうぞ?」
駆け込んできたのは執事だった。
その手には紙の束が握られている。
「お嬢様、大変でございます。あの女が……あの女の仕業に違いません!」
「どうしたというの? 少し落ち着きなさい」
「これでございます」
執事が差し出した紙束を受けとり、数枚確認したリリーブランは立ち上がった。
「どういうこと! すぐにお父様に知らせてちょうだい!」
執事が駆け出していく。
リリーブランは唇を嚙みしめた。
彼女が握っているその紙束は、いろいろな商会から送られてきた請求書だった。
サインしているのはマリア・エヴァンス。
王都に居るはずのない妹の名を騙るのは、一人しかいない。
「あの子……最初からこれが目的だったのね……どうりで大人しく引き下がったはずだわ」
ローラが出て行った朝、なかなか素直なところもあるわなんて思った自分を怒ってやりたい。
しかし、今となってはどうしようもない。
見れば驚くほどの高額な物を購入したわけでも無さそうだ。
しかしこれ以上は見逃すわけにはいかない。
「商会に手紙を書いて、マリアの名前での買い物を止めなくては」
そう考えたリリーブランは、父親が戻る前に手紙を書き終えておこうとライティングテーブルに向かった。
数通の手紙を書き終えたとき、ふと考えた。
名のある商会が、マリアという名前だけで取引に応じるだろうか……。
そもそもあの娘は字が書けたのか?
考えればおかしい。
マリアの名を知っているのは数人だし、顔もわかるとなるとほぼ皆無だ。
なのになぜ信用取引に応じたのか?
「誰か信用できる人物が、マリアを紹介した? そんなことあるわけ無いわよね?」
自分では答えを出せないと思ったリリーブランは、今できることとして再び手紙を書き始めた。
数時間後、父親が帰宅したとの声に部屋を出たリリーブランは、ロビーに急いだ。
「お父様」
「ああ、大体は聞いた。何かやるとは思ったが、姑息な真似をしたものだ」
「ええ、取引に応じないように商会へ出す手紙は用意いたしました」
「ああ、そうか。助かるよ。すぐに持ってきてくれ」
リリーブランはメイドに指示をして取りに行かせた。
父親のあとをついて執務室に向かう。
後ろから見る父親の背中は、いつもより小さく見えた。
「これ以上何も無ければ良いが……」
「ええ、本当に」
父娘は溜息を吐きながら、執務室に入って行った。
リリーブランが用意した商会宛の手紙を確認したドナルドは、執事を呼びすぐに出すよう指示をした。
執事が退出した後、リリーブランが口を開いた。
「これでようやく終わりますわ」
「ああ、そうだといいが悪い予感しかしないよ」
「お父様……」
いつも難しい顔をして、会話もあまり続かない厳格な父親の弱った姿に、リリーブランは胸を痛めた。
ここは一人にした方がいいだろうと思い、明日の予定の話をして部屋を出ることにした。
「お夕食の時にお話ししようと思っていたのですが、学園時代の友人から、明日お茶会に誘われておりまして」
「そうか、行くのか?」
「ええ、何度もお手紙をいただいていますし、このひと月ほどなかなか出席もできておりませんでしたので」
「ああ……そうだな。わかった、行ってきなさい」
「はい、ありがとうございます。お夕食はすぐになさいますか?」
「いや、今日はいらない。そう伝えてくれ」
「畏まりました。それでは失礼いたします」
リリーブランは父親の執務室を出て、そのまま食堂に向かった。
父親の伝言を伝え、自分だけだから簡単なものでよいと言い添えた。
食事を終え湯あみをした後、リリーブランは窓を見た。
窓に映る自分の姿をなぜか見たくなくて、部屋の明かりを消した。
一気に浮かび上がる街の灯りをぼんやりと眺めていたら、全て夢だったような気分になってくる。
「夢だったら良かったのに」
ぽつんと呟いて、リリーブランはベッドにもぐりこんだ。
24
お気に入りに追加
2,498
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
真実の愛は、誰のもの?
ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」
妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。
だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。
ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。
「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」
「……ロマンチック、ですか……?」
「そう。二人ともに、想い出に残るような」
それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです
じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」
アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。
金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。
私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる