消された過去と消えた宝石

志波 連

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62 斎藤の妻

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「何のことですか?」

 伊藤の言葉に信一郎が口を開いた。
 王家の墓での出来事を、事細かに話していく。
 
「え? そんなことが?」

 三人の刑事たちは驚いて小夜子の顔を見た。

「なぜこれほど大掛かりな事をする必要があったのですか? そもそも山本さんには関係ないお金でしょう?」

「そうでもないのですよ」

 信一郎が苦々しい顔をした。

「父がその金のことを知ったのがいつのことなのかは知りません。しかし相当前から着々と準備していたのだと思います。小夜子さんが田坂家に養女に行ったすぐ後で、父は小百合さんを隠しました。小夜子さんはお母様の葬儀を覚えておられますか?」

「母が亡くなったのは私が14才の時だと聞かされていました。田坂の家に行ってちょっとしてからだったと思います。もう葬儀も済ませたと聞いて、ああそうなのかと思ったことを覚えていますが、特に何の感情も無かったですね」

「父は小百合さんが死亡したとして、医師として自分が書いた死亡診断書を添えて役場に提出したのです、でも本当は生きていたのですよ」

「ご存じだったのですか?」

 藤田が食い気味に聞いた。

「その頃私は結婚して実家を出ていました。母は私が学生の頃に亡くなっていましたから、実家には父しかいなかったのです。通いの家政婦が辞めたので、住み込みの家政婦を雇ったと聞いて、まあ……なんと言うかそういう関係の女性なのだろうとは思ったのですが、父もまだ五十代半ばでしたからね。黙認していたと言うか……五年ぐらいいたんじゃないかな? 本当に亡くなってしまって、それから父は引退して斉藤さんの専属医になったのですよ」

「では小百合は山中家に居たと?」

「ええ、そうです。といってもその人が小百合さんだったと知ったのは、つい先日ですがね」

「詳しくお願いします」
 伊藤が緊張した声を出した。

「父が……今はもう正常な精神状態とは言い難いですが、だからこそ噓はつけないのです。その父が言ったのですよ。早く帰らないと小百合が何をしでかすかわからないってね。何度も病室を抜け出そうとするので、どこに行くのかと聞いたら、家に帰ると……」

 数秒の間、誰も声を出さなかった。
 沈黙を破ったのは山中だ。

「ある日、血相を変えて駆け込んできた山本先生と話をした旦那様が、私に葬儀の指示をなさいました。あの頃はまだ戦後の混乱が残っていた時代です。戸籍が焼けてなくなったままという人も、少数ですが存在していました。それを利用して荼毘に付したのです。そのお骨を拾ったのは旦那様と山本先生と……小夜子さんです」

 伊藤が小夜子に視線を向けた。

「その時はまだ田坂の養女でした。義父に言われて代理として参加したのです。名前も全然知らない人でしたしね。ただ淡々と義父の指示に従ったという感じです。その葬儀の後、私はすぐに斉藤と結婚しました。田坂の両親も、なぜかとても急いでいるような感じでしたが、それは山本先生から私を守るためだったようです」

 藤田がたたみかける。

「1975年の死亡届は小夜子さんが出していますよね」

「ええ、言われるがまま役所に行きました。山本先生も同行してくださってとてもスムーズに進みましたわ」

 信一郎が辛そうに言う。

「父は小百合さんを隠している間に、小百合さんが相続するはずの債権は全て山本に委譲するという文書を書かせたようです。なんと言って丸め込んだのかわかりませんが、日本国内においては正式な文書の体裁をとっていました」

「山本先生は小百合さんに執着していたようですね」

 伊藤の言葉に信一郎が首を振った。

「小百合さんご本人というより、金でしょう。情ないことですが」

 伊藤が続けて言う。

「そう言えば斉藤さんは遺言書を書き換えていましたね。あれは?」

 小夜子より先に山中が答えた。

「あれは先生の死後、誰も干渉できないようにするために書き換えられたのです。以前のものには保有する債権についての細かな記述がありました。誰に何を残すとかそういう感じです。きっと山本先生の影響力を失くすために、全ての財産と書き換えたのだと思います」
 
「なるほど……付け入る隙を無くしたということですね」

 山中が小夜子を気遣って水を飲むように勧めている。
 その様子を千代が心配そうに見ていた。
 伊藤が意を決したように言葉を投げた。

「千代さん、あなたが斉藤氏の実質的な妻ですね?」

 誰も何も言わない。
 シーンと静まった店内には厨房で回る換気扇の音だけがしていた。
 千代が俯くと、庇うように小夜子が言った。

「千代さんは私の育ての母であり、斉藤の心の妻でしたわ。もちろん若い頃のことは存じませんが、千代さんと出会ってからの斉藤は、片時も側から離そうとはしませんでした。私にとっては斉藤が父で千代さんが母のようなものです。二人にとっては私は娘のような存在だったと思います。もちろん斉藤と私は枕を交わしてはいません。斉藤が愛していたのは千代さんただ一人です」

 千代がギュッと目を瞑る。

「誤解をさせてしまったのなら申し訳ございません。私は斉藤さんの人生に千代さんという潤いがあって良かったと、心から思っていますし、それをお伝えしたかったのです。おそらく書き換えられる前の遺言書には、千代さんに残すものも記載されていたのでしょう?」

 伊藤の言葉に、千代が涙を浮かべた。
 その背中を山中が擦ってやっている。

「斉藤さんとは……籍は入っていませんが、ずっと夫婦のように暮らしておりました」

 詰まりながらもそう言い切った千代は、毅然として顔を上げた。
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