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61 市場家の秘密
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「小百合にも何度か手紙を出しましたが、返事が来たことはありません。でも玲子姉ちゃんの手紙で小百合たちの暮らしぶりは聞いていましたよ。随分派手に遊んでいたようですね。私は麦穂奥様からの言葉をずっと覚えていましたので、小百合がいつかあの宝石を手放すのではないかとやきもきしたものです」
伊藤が声を出す。
「結局は手放したのですね」
「ええ、その話は知らなかったのです。あそこまで何度も言い聞かせられたのに、本当にバカな事です。私がそれを知ったのは斉藤さんから聞いた時ですから、随分経ってからですね」
千代が言葉を切ると、藤田のボールペンが走る音だけが響いた。
「信也さんが死んで、借金取りから逃れるために小百合が小夜子ちゃんだけを連れてここに来たのは私が32の時です、小夜子ちゃんは7歳だったかな? 紺色のランドセルを背負って怯えたような顔をしていましたよ」
課長がもう一度口を開いた。
「信也さんが亡くなってすぐですね。その時一也さんは?」
「父の葬儀の後、私はすぐに叔父夫婦の家に連れていかれました」
ずっと黙って聞いていた市場正平が声を出す。
伊藤は青山墓地で聞いていたが、確証を得た課長と藤田は小さく頷きあっている。
「私の名は市場正平ですが、本当の名前は烏丸一也です。いや、過去形で言うべきかな。私の過去は消されてしまいましたから」
「どういうことです?」
藤田が前のめりになる。
「市場家は烏丸家の先代の弟が養子に行った先なので、遠縁といってもそれほど遠くも無いのです。息子の正平とは同年でしたし、頻繁に交流もありました。正平は幼いころから体の弱い奴で、走ることもできない。会えば将棋ばかりやってましたね。父も母も子育てというものにまったく関心がありませんでしたから、烏丸の家より市場の家の方が居心地が良かったです」
「叔母さまにはとても可愛がってもらいましたわ」
小夜子が何かを思い出したように微笑んでいる。
「養子なんて聞いていなかった私は、市場の叔父に話をされてとても驚きました。当然ですが断りましたよ。だって私は烏丸家の嫡男ですよ? そんなバカな話があるかとかなり抵抗しました。でも結局は諦めたのです」
市場と小夜子が視線を合わせた。
「正平さんと入れ替わったのはあなたの考えという事ですか?」
「いいえ、正平が危篤に陥った日、叔父に頼まれたのです。見返りは借金の肩代わりでした。このままでは小夜子が売られてしまうと言われ、決心しました。叔父は養子でしたからね、一人息子を死なせるわけにはいかないと考えたのでしょう。でも私には市場の血は一滴も流れてない。それでも良いと叔母まで言うのです。私は元々両親の事を軽蔑していましたから、それもありかなと思いました。まあ自暴自棄にもなっていたのでしょうね。烏丸家の墓には私の名が刻まれていますが、骨壺は入っていません。正平はちゃんと市場家の墓に入っています。墓標は刻まれていませんが、丁寧に葬られ、毎年お参りもしていますよ」
「そうですか。それはまた……なんと言うか……」
課長が言葉を探しながら目を泳がせた。
「きっと犯罪行為なのでしょう? 詐欺になるのかな? でもまあ誰も迷惑を被っていないし、今更ですよね」
大きく頷いてから、伊藤が無遠慮に聞いた。
「あなたが亡くなったら市場家の墓に?」
「どうでしょう。本物の正平はすでにいますから、私が死んだら正平の名が墓標に刻まれるでしょうが、お骨はどうなのかな……かといって烏丸家に入るのも違うような気がします。いっそ海にでも散骨してもらいましょうか」
そう言って市場正平こと烏丸一也は寂しそうに笑った。
「私自身は生きているのに、戸籍上では死んだ人間です。だから本当に死んでも落ち着ける場所がない。過去を消されるということはそういうことです」
小夜子が明るい声で言う。
「兄さん、私ね烏丸の姓に戻ったの。でもあのお墓には入りたくないわ。だから新しくお墓を作ろうと思っているからそこはどう? 名前を刻むつもりも無いから問題ないでしょう?」
「ああ、それは有難いな。でも斉藤さんは良いの?」
「斉藤にそうしろと言われたの。彼はご家族と一緒に眠っているわ」
サムがおずおずと声を出す。
「東小路のお墓は誰が入っているのですか?」
小夜子が答えた。
「元凶である東小路栄記は家と共に灰になりました。今あそこに入っているのは先祖代々のものと麦穂様、そしてパラメタ王女です」
「私が母のお骨を引き取ることはできませんか。あまりにも憐れだ」
サムの声に小夜子が反応する。
「でも呪いをかけちゃったら帰れないと聞きましたが?」
「ええ、王家の墓には入れません。それは仕方がない事です。でも私は今シンガポールに住んでいます。私の家族の墓はそこにあります。そこに葬ってやりたい。サクラ姉さんのお骨もそこに入っています」
「そういう事でしたら、ぜひそうなさってください。呪いには関係がないサクラさんは王家のお墓に入れるのでしょうけれど、きっとお母様と一緒の方が良いでしょう?」
山中と山本信一郎がふと顔を上げた。
信一郎が不思議そうな顔で聞く。
「小夜子さんは祖先と会話ができるのでしょう? 直接聞いてみれば良いのでは?」
刑事たちは意味が解らず、その真意を図りかねた。
サムと小夜子がフッと息を吐く。
「そんなわけ無いでしょう? あれはお芝居ですよ」
民族衣装の男たちがふと視線を下げた。
伊藤が声を出す。
「結局は手放したのですね」
「ええ、その話は知らなかったのです。あそこまで何度も言い聞かせられたのに、本当にバカな事です。私がそれを知ったのは斉藤さんから聞いた時ですから、随分経ってからですね」
千代が言葉を切ると、藤田のボールペンが走る音だけが響いた。
「信也さんが死んで、借金取りから逃れるために小百合が小夜子ちゃんだけを連れてここに来たのは私が32の時です、小夜子ちゃんは7歳だったかな? 紺色のランドセルを背負って怯えたような顔をしていましたよ」
課長がもう一度口を開いた。
「信也さんが亡くなってすぐですね。その時一也さんは?」
「父の葬儀の後、私はすぐに叔父夫婦の家に連れていかれました」
ずっと黙って聞いていた市場正平が声を出す。
伊藤は青山墓地で聞いていたが、確証を得た課長と藤田は小さく頷きあっている。
「私の名は市場正平ですが、本当の名前は烏丸一也です。いや、過去形で言うべきかな。私の過去は消されてしまいましたから」
「どういうことです?」
藤田が前のめりになる。
「市場家は烏丸家の先代の弟が養子に行った先なので、遠縁といってもそれほど遠くも無いのです。息子の正平とは同年でしたし、頻繁に交流もありました。正平は幼いころから体の弱い奴で、走ることもできない。会えば将棋ばかりやってましたね。父も母も子育てというものにまったく関心がありませんでしたから、烏丸の家より市場の家の方が居心地が良かったです」
「叔母さまにはとても可愛がってもらいましたわ」
小夜子が何かを思い出したように微笑んでいる。
「養子なんて聞いていなかった私は、市場の叔父に話をされてとても驚きました。当然ですが断りましたよ。だって私は烏丸家の嫡男ですよ? そんなバカな話があるかとかなり抵抗しました。でも結局は諦めたのです」
市場と小夜子が視線を合わせた。
「正平さんと入れ替わったのはあなたの考えという事ですか?」
「いいえ、正平が危篤に陥った日、叔父に頼まれたのです。見返りは借金の肩代わりでした。このままでは小夜子が売られてしまうと言われ、決心しました。叔父は養子でしたからね、一人息子を死なせるわけにはいかないと考えたのでしょう。でも私には市場の血は一滴も流れてない。それでも良いと叔母まで言うのです。私は元々両親の事を軽蔑していましたから、それもありかなと思いました。まあ自暴自棄にもなっていたのでしょうね。烏丸家の墓には私の名が刻まれていますが、骨壺は入っていません。正平はちゃんと市場家の墓に入っています。墓標は刻まれていませんが、丁寧に葬られ、毎年お参りもしていますよ」
「そうですか。それはまた……なんと言うか……」
課長が言葉を探しながら目を泳がせた。
「きっと犯罪行為なのでしょう? 詐欺になるのかな? でもまあ誰も迷惑を被っていないし、今更ですよね」
大きく頷いてから、伊藤が無遠慮に聞いた。
「あなたが亡くなったら市場家の墓に?」
「どうでしょう。本物の正平はすでにいますから、私が死んだら正平の名が墓標に刻まれるでしょうが、お骨はどうなのかな……かといって烏丸家に入るのも違うような気がします。いっそ海にでも散骨してもらいましょうか」
そう言って市場正平こと烏丸一也は寂しそうに笑った。
「私自身は生きているのに、戸籍上では死んだ人間です。だから本当に死んでも落ち着ける場所がない。過去を消されるということはそういうことです」
小夜子が明るい声で言う。
「兄さん、私ね烏丸の姓に戻ったの。でもあのお墓には入りたくないわ。だから新しくお墓を作ろうと思っているからそこはどう? 名前を刻むつもりも無いから問題ないでしょう?」
「ああ、それは有難いな。でも斉藤さんは良いの?」
「斉藤にそうしろと言われたの。彼はご家族と一緒に眠っているわ」
サムがおずおずと声を出す。
「東小路のお墓は誰が入っているのですか?」
小夜子が答えた。
「元凶である東小路栄記は家と共に灰になりました。今あそこに入っているのは先祖代々のものと麦穂様、そしてパラメタ王女です」
「私が母のお骨を引き取ることはできませんか。あまりにも憐れだ」
サムの声に小夜子が反応する。
「でも呪いをかけちゃったら帰れないと聞きましたが?」
「ええ、王家の墓には入れません。それは仕方がない事です。でも私は今シンガポールに住んでいます。私の家族の墓はそこにあります。そこに葬ってやりたい。サクラ姉さんのお骨もそこに入っています」
「そういう事でしたら、ぜひそうなさってください。呪いには関係がないサクラさんは王家のお墓に入れるのでしょうけれど、きっとお母様と一緒の方が良いでしょう?」
山中と山本信一郎がふと顔を上げた。
信一郎が不思議そうな顔で聞く。
「小夜子さんは祖先と会話ができるのでしょう? 直接聞いてみれば良いのでは?」
刑事たちは意味が解らず、その真意を図りかねた。
サムと小夜子がフッと息を吐く。
「そんなわけ無いでしょう? あれはお芝居ですよ」
民族衣装の男たちがふと視線を下げた。
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