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59 証言
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やっとの思いで小夜子の顔を見た伊藤は、その顔色の悪さに腰を上げた。
「小夜子さん! 無理しちゃいけない。もう十分です。もう本当に十分わかりましたから、ここまでにしましょう。これ以上は危険だ」
小夜子が苦しそうな顔で伊藤を見た。
民族衣装の男たちが小夜子を取り囲み、香を焚いて何やら呪文を唱え始める。
伊藤達は超常現象というものを認めざるを得ないと感じていた。
「私が観たのはこの辺りまでです。この後はお祖母様の出産と死のシーンですが、お祖母様は出産してすぐに『女神の涙』を麦穂様に託され、生まれた子に由緒と共に伝えるよう頼んだのです。きっと死を悟ったのでしょうね。祖母は出産から三日ほどは生きていましたが、最後は娘さんの名を呟きながら静かに逝きました。残念ですが、サクラさんのことはわかりません。彼女には宝石が渡っていないので」
「それは私からお話ししましょう。斉藤雅也先生から詳しく聞いておりますので」
山中誠が声を出して座りなおした。
「永代橋の近くで製糸工場を営んでいた斉藤家は、戦前戦後の景気の波に乗り、かなりの額を稼ぎだしたそうです。雅也氏の父親は先見の明に長けており、上手く権力者と付き合いながらその販路を広げていきました」
すでにぬるくなっている日本茶を一口啜る。
「そんな斉藤家にサクラさんが来たのは1935年です。ヒトラーがベルサイユ条約を破棄した頃だと言っていましたので4月か5月でしょうね。詳しい話はしなかったそうですが、命があるだけでもめっけもんだと父親が言っていたそうです。サクラさんが来てすぐ、国号が大日本帝国に変わり、戦争一色に塗り替えられていきました。そこに目をつけた雅也さんが、所有していた製糸機械を全て売り払い、絹から木綿へと主軸を移したのです。これがバカ当たりしましてね、斉藤家は大儲けしたのだそうですよ」
伊藤の横で藤田がメモ魔と化している。
「サクラさんはまだ6歳くらいで、日本でいえば小学校にあがる年だ。言葉もわからないし、食べ物も合わない中で、懸命に溶け込もうとしていたそうです。そんなサクラさんを健気に感じたのでしょうね。雅也氏は自らインドネシア語を習得し、サクラさんとコミュニケーションをとりました」
サムがポケットからハンカチを出して、目頭を押さえた。
「サクラさんも日常会話なら普通にできるようになった1944年、東京にも爆撃機が飛来するようになっていました。雅也氏はますます忙しくなっていき、仕事で長期間帰れないことも多かったそうです。サクラさんはその時15歳でした」
山中が目を閉じて深呼吸をした。
「新潟に出張していた雅也氏が東京駅に着いた時、未曾有の大空襲が始まりました。標的は主に東京湾海岸線で、下町と呼ばれる一帯は焼け野原になったそうです。雅也氏は急いで帰宅しましたが、永代橋から見えるはずの工場が無くなっていて、慌てて走り出しました。しかし工場は全焼、働いていた家族は全滅でした。焼け焦げた母親の腕と弟の足が倒壊した屋根の隙間から飛び出していたそうです。しばらく呆然とその場に佇んでいた雅也氏の前に、大怪我を負い血だらけになったサクラさんが現れました。彼女は最初の爆風で吹き飛ばされて、隅田川に落ちたのだそうです」
サムの背中をブディが慰めるように擦っている。
「雅也氏は予てより聞いていた、母親がいるはずの東小路家にサクラさんを運ぶことにしました。東小路家は銀座にあったので、サクラさんを抱きかかえて歩いたのです。しかし東小路の屋敷は全焼し、当主は行方不明で、その夫人は姉の嫁ぎ先に逃れていると聞きました。それが烏丸家です。烏丸家は麻布ですから、大人の足で銀座から1時間くらいです。しかし行く手を瓦礫に阻まれて3時間くらいかかったそうですよ」
山中がまた一口お茶を口に含む。
「やっと辿り着いた烏丸家はもぬけの殻で、近隣の住人に当主は戦死し、夫人は妹さんと共に自害したと言われました。サクラさんを見たその近隣の方が、パラメタさんを思い出したらしく、勝手口の場所を教えてくれて、雅也氏とサクラさんは烏丸家で雨露を凌ぐことにしたそうです。しかしサクラさんの失血量が多すぎて、危篤状態に陥ります。友人で医者の卵だった山本さんを呼んで治療を頼みましたが、治療機器も薬も腕も全てが足りませんでした」
「サクラさんは烏丸家で亡くなったのですか」
課長が聞くと、山中が大きく頷いた。
「ええ、後から聞いた話ですが、サクラさんが亡くなったのは母親であるパラメタさんが亡くなった部屋だったそうですよ。雅也氏は斉藤家の墓にサクラさんを納めるため、永代橋の役所に行きましたが、半壊していたため先に荼毘に付しました。改めて調べてもらい、サクラさんが日本国籍を取得していない事がわかったのです。役所の担当者が謄本が燃えてしまったのかもしれないと言ったことを逆手に取り、サクラさんを自分の妻として入籍し、斎藤サクラとして葬ることにしました」
「姉も感謝していると思います。斉藤さんのご英断に心から感謝します」
サムが涙声でそう言った。
「なるほど、そういう経緯で斉藤サクラという墓名が刻まれたのですか。なんと言うか……激動ですね」
伊藤の言葉に全員が小さく頷いた。
課長が続けて言う。
「それにしても命がけで稼いだ金もみんな燃えてしまったわけですね。さぞご苦労なさった事でしょう」
山中がフッと笑った。
「斉藤家には先見の明があると申しましたでしょう? 雅也氏は父親の指示で数年前から現金を全て宝石に替えて斉藤家の墓に隠していたのです。あの時代を生き抜くには十分な資金を持っていたのですよ。そのお陰か先生の鑑定眼は国内でも指折りのものでした」
課長が感嘆の声をあげた。
「はぁぁぁ……その頃仲良くなっていれば、うちも安泰だったでしょうな。まあ隠すほどの財産など無かったから同じか。それにしても、そこからの大躍進だ。ご本人の実力も相当なものですね」
ずっと厨房に控えていた店主がケーキと日本茶を持ってきた。
「小夜子さんからの差し入れです」
「おっ! あのケーキだ! 伊藤さん、これですよ。これこれ」
「ああ、代官山の?」
燥ぐ藤田を微笑ましく見ている小夜子が口を開けた。
「少し休んだので随分楽になりました。このケーキは斉藤がとても好んでいたケーキです。甘いものはほとんど口にしなかったのですが、これだけは喜んでいました」
小さく切って口に含むと、鼻腔にまで甘酸っぱいチーズの香りが広がった。
「これは旨いですね。濃厚なチーズの香りが五感を刺激します。甘すぎないのがとても良い。旨いです」
伊藤がパクパクとケーキを食べ進める。
「お気に召したのなら良かったですわ」
小夜子の声に目を上げた伊藤は、少しだけ目を見開いた。
彼女の後ろに2人の女性が建っているような気がしたからだ。
おそらくパラメタ王女とサクラさんだと思ったが、それは口にしなかった。
「続けますね」
山中が仕切りなおした。
「小夜子さん! 無理しちゃいけない。もう十分です。もう本当に十分わかりましたから、ここまでにしましょう。これ以上は危険だ」
小夜子が苦しそうな顔で伊藤を見た。
民族衣装の男たちが小夜子を取り囲み、香を焚いて何やら呪文を唱え始める。
伊藤達は超常現象というものを認めざるを得ないと感じていた。
「私が観たのはこの辺りまでです。この後はお祖母様の出産と死のシーンですが、お祖母様は出産してすぐに『女神の涙』を麦穂様に託され、生まれた子に由緒と共に伝えるよう頼んだのです。きっと死を悟ったのでしょうね。祖母は出産から三日ほどは生きていましたが、最後は娘さんの名を呟きながら静かに逝きました。残念ですが、サクラさんのことはわかりません。彼女には宝石が渡っていないので」
「それは私からお話ししましょう。斉藤雅也先生から詳しく聞いておりますので」
山中誠が声を出して座りなおした。
「永代橋の近くで製糸工場を営んでいた斉藤家は、戦前戦後の景気の波に乗り、かなりの額を稼ぎだしたそうです。雅也氏の父親は先見の明に長けており、上手く権力者と付き合いながらその販路を広げていきました」
すでにぬるくなっている日本茶を一口啜る。
「そんな斉藤家にサクラさんが来たのは1935年です。ヒトラーがベルサイユ条約を破棄した頃だと言っていましたので4月か5月でしょうね。詳しい話はしなかったそうですが、命があるだけでもめっけもんだと父親が言っていたそうです。サクラさんが来てすぐ、国号が大日本帝国に変わり、戦争一色に塗り替えられていきました。そこに目をつけた雅也さんが、所有していた製糸機械を全て売り払い、絹から木綿へと主軸を移したのです。これがバカ当たりしましてね、斉藤家は大儲けしたのだそうですよ」
伊藤の横で藤田がメモ魔と化している。
「サクラさんはまだ6歳くらいで、日本でいえば小学校にあがる年だ。言葉もわからないし、食べ物も合わない中で、懸命に溶け込もうとしていたそうです。そんなサクラさんを健気に感じたのでしょうね。雅也氏は自らインドネシア語を習得し、サクラさんとコミュニケーションをとりました」
サムがポケットからハンカチを出して、目頭を押さえた。
「サクラさんも日常会話なら普通にできるようになった1944年、東京にも爆撃機が飛来するようになっていました。雅也氏はますます忙しくなっていき、仕事で長期間帰れないことも多かったそうです。サクラさんはその時15歳でした」
山中が目を閉じて深呼吸をした。
「新潟に出張していた雅也氏が東京駅に着いた時、未曾有の大空襲が始まりました。標的は主に東京湾海岸線で、下町と呼ばれる一帯は焼け野原になったそうです。雅也氏は急いで帰宅しましたが、永代橋から見えるはずの工場が無くなっていて、慌てて走り出しました。しかし工場は全焼、働いていた家族は全滅でした。焼け焦げた母親の腕と弟の足が倒壊した屋根の隙間から飛び出していたそうです。しばらく呆然とその場に佇んでいた雅也氏の前に、大怪我を負い血だらけになったサクラさんが現れました。彼女は最初の爆風で吹き飛ばされて、隅田川に落ちたのだそうです」
サムの背中をブディが慰めるように擦っている。
「雅也氏は予てより聞いていた、母親がいるはずの東小路家にサクラさんを運ぶことにしました。東小路家は銀座にあったので、サクラさんを抱きかかえて歩いたのです。しかし東小路の屋敷は全焼し、当主は行方不明で、その夫人は姉の嫁ぎ先に逃れていると聞きました。それが烏丸家です。烏丸家は麻布ですから、大人の足で銀座から1時間くらいです。しかし行く手を瓦礫に阻まれて3時間くらいかかったそうですよ」
山中がまた一口お茶を口に含む。
「やっと辿り着いた烏丸家はもぬけの殻で、近隣の住人に当主は戦死し、夫人は妹さんと共に自害したと言われました。サクラさんを見たその近隣の方が、パラメタさんを思い出したらしく、勝手口の場所を教えてくれて、雅也氏とサクラさんは烏丸家で雨露を凌ぐことにしたそうです。しかしサクラさんの失血量が多すぎて、危篤状態に陥ります。友人で医者の卵だった山本さんを呼んで治療を頼みましたが、治療機器も薬も腕も全てが足りませんでした」
「サクラさんは烏丸家で亡くなったのですか」
課長が聞くと、山中が大きく頷いた。
「ええ、後から聞いた話ですが、サクラさんが亡くなったのは母親であるパラメタさんが亡くなった部屋だったそうですよ。雅也氏は斉藤家の墓にサクラさんを納めるため、永代橋の役所に行きましたが、半壊していたため先に荼毘に付しました。改めて調べてもらい、サクラさんが日本国籍を取得していない事がわかったのです。役所の担当者が謄本が燃えてしまったのかもしれないと言ったことを逆手に取り、サクラさんを自分の妻として入籍し、斎藤サクラとして葬ることにしました」
「姉も感謝していると思います。斉藤さんのご英断に心から感謝します」
サムが涙声でそう言った。
「なるほど、そういう経緯で斉藤サクラという墓名が刻まれたのですか。なんと言うか……激動ですね」
伊藤の言葉に全員が小さく頷いた。
課長が続けて言う。
「それにしても命がけで稼いだ金もみんな燃えてしまったわけですね。さぞご苦労なさった事でしょう」
山中がフッと笑った。
「斉藤家には先見の明があると申しましたでしょう? 雅也氏は父親の指示で数年前から現金を全て宝石に替えて斉藤家の墓に隠していたのです。あの時代を生き抜くには十分な資金を持っていたのですよ。そのお陰か先生の鑑定眼は国内でも指折りのものでした」
課長が感嘆の声をあげた。
「はぁぁぁ……その頃仲良くなっていれば、うちも安泰だったでしょうな。まあ隠すほどの財産など無かったから同じか。それにしても、そこからの大躍進だ。ご本人の実力も相当なものですね」
ずっと厨房に控えていた店主がケーキと日本茶を持ってきた。
「小夜子さんからの差し入れです」
「おっ! あのケーキだ! 伊藤さん、これですよ。これこれ」
「ああ、代官山の?」
燥ぐ藤田を微笑ましく見ている小夜子が口を開けた。
「少し休んだので随分楽になりました。このケーキは斉藤がとても好んでいたケーキです。甘いものはほとんど口にしなかったのですが、これだけは喜んでいました」
小さく切って口に含むと、鼻腔にまで甘酸っぱいチーズの香りが広がった。
「これは旨いですね。濃厚なチーズの香りが五感を刺激します。甘すぎないのがとても良い。旨いです」
伊藤がパクパクとケーキを食べ進める。
「お気に召したのなら良かったですわ」
小夜子の声に目を上げた伊藤は、少しだけ目を見開いた。
彼女の後ろに2人の女性が建っているような気がしたからだ。
おそらくパラメタ王女とサクラさんだと思ったが、それは口にしなかった。
「続けますね」
山中が仕切りなおした。
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