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千代の独り言のような声が店内に響く。
「私は烏丸具也の何番目かの女を母に持つ、いわゆる庶子です。囲っている女は何人かいたようですが、子を身籠ったのが母だけだったので、母だけは第二夫人という形で籍を入れて貰えたようです。当時は側室という公認の妾を囲うのが普通でしたし、妻妾同居なんて当たり前の時代です。私もそういう立場とはいえ、特に虐げられるようなこともなく、ご近所の方々も『烏丸さんのところのお嬢ちゃん』という認識でした」
千代は懐かしそうな目をした。
「そういう暮らしができたのも正妻である稲実さんの度量でしょうね。私にも母と呼ぶことを許してくださって、兄が十四才で私と小百合が八才になるまでは、本当に何の不自由もなく暮らしました。でも疎開することになって、その時に東小路家に勤めていた小林夫婦と一緒に、ここ伊豆長岡に来たのです。それからはお嬢様扱いなんかしてもらえなかったです。兄と小百合はそれぞれの家の後継ぎですから、それはもう大切にされましたが、私は所詮妾の子です。ついこの前まで『小林』と呼び捨てにしていた夫婦を『おじさん』『おばさん』と呼ぶように言われましたし、お二人の子供と同じように育てられました」
藤田がふと目を上げた。
「それって千代さんの立場からすると差別されているような気持ちになりますよね?」
千代が頷いた。
「最初は辛かったですね。でも今となっては有難かったと思っています。お陰様で一人で生きていける術も身につけられましたし、特に冷たくされたわけではないので。小林夫婦の子供というのは私より5才年上で、私は玲子姉ちゃんと呼んでいましたね。優しい人で、寒い日の洗濯とか私の倍くらいやってくれて。掃除の仕方も料理の基本も姉ちゃんが一緒だったから覚えられたようなものです」
伊藤が千代の目を見て言った。
「小林玲子さんって、田丸玲子さんですか?」
「そうです。小百合の娘である小夜子さんを引き取った田丸一郎さんの奥さんですよ」
伊藤の頭の中で関係者の相関図がどんどん組み上がっていく。
「田丸さんと斉藤さんは学生時代からのお知り合いでしたよね? ご結婚はその縁ですか?」
「いいえ、違うと思います。まあ結局繋がっちゃったけれど、姉ちゃんに田丸さんを紹介したのは烏丸信也ですよ。大学は違っていたのですが友人だと言って家に連れてきたのが縁だと聞いています。その頃姉ちゃんは東京に戻った信也と小百合について上京していました。東小路の家は全焼しましたが、烏丸の家は焼け残ったのです。そこでメイドとして二人に仕えていました」
「なるほど……」
伊藤の頭に、田丸がわざと信也に近づいたのかもしれないという考えが浮かんだが、確認する術はもうない。
「信也が当主として戻り、家を失った小百合が従妹として同居したのですが、あの二人は何の躊躇もなく、当たり前のように結婚しましたね。それから二か月遅れで田丸さんと姉ちゃんが結婚して。その翌年に私が結婚しました。その翌年に娘を産んで、そのまた翌年には主人が亡くなりました。それで私は小林のおじとおばに子供を預けて、ここで食堂を開いたのです」
伊藤が藤田の顔を見ると小さく頷いた。
聞き取った調書と同じということだろう。
「それにしても烏丸夫妻と小夜子さんの養母とあなたが幼いころから共に過ごした仲というのには驚きました」
伊藤の言葉にフッと息を吐く千代。
「そうですね。共に過ごした……一括りにするとその通りです。あの二人はなんと言うか、とても奔放な性格でした。お金にも男女のことにもタガが外れているとでも言うのでしょうか。信也はもう手あたり次第に金に飽かせて遊んでいましたからね」
藤田が声を出した。
「そりゃ小百合夫人もご傷心だったでしょうね」
「なにが傷ついたりするものですか。彼女の方がよっぽど酷かったですよ。信也は外で遊ぶのでまだ良かったですが、小百合は家に連れ込んでいたらしくて、姉ちゃんがほとほと困っていました。まあ私はこっちにいましたから、見たわけでは無いのですが」
「田丸玲子さんとは交流があったのですね?」
伊藤の言葉に千代が何度も頷いた。
「ええ、姉ちゃんとは手紙のやり取りをしていました。よくあれで妊娠しないものだと呆れていましたが、どうやら避妊薬を飲んでいたようです」
伊藤が不審そうな顔をする。
「避妊薬というとピルですか? あれはかなり最近でしょ? 当時もあったのかな」
「当時もありましたよ。ただし入手が難しい非合法な薬でした」
「それを手に入れた? どうやって?」
「そりゃ男に貰っていたのでしょう。姉ちゃんの手紙によると三日と空けずに通う男がいたそうです。その執着は凄まじかったですよ。信也が死んで小百合がここに逃げてきても追いかけてきました。私はなんとかまともな暮らしをさせようと頑張ったのですが、無駄でした。斉藤さんも少なくない援助をしてくれたのですが、もう右から左に遣っちまうんです。まあそのお陰で小夜子さんを引き離すことができたのですが」
「どういうことです?」
「その執着男っていうのをなんとか小百合から遠ざけるために、斉藤さんは大金を出してやって、その男に個人病院を持たせたんですよ。でも週末になるとやって来るんです。平日は温泉に来た客と寝ている小百合を、週末はそいつが独占するのです。小百合に家に帰る時間なんて無いですよ。小夜子ちゃんはとても可哀そうでした」
「一人で待っていたのですか?」
「最初はそうでしたが、すぐに私が引き取りました。でも私も食堂をやってるでしょう? 結局一人で過ごすことが多くて。そのうちに親がどんな暮らしをしているのか知ってしまうかもしれない。だから姉ちゃんの養子にしようって事になったのです。あんな毒親なんて冗談じゃない」
千代は顔を赤くして怒っていた。
「私は烏丸具也の何番目かの女を母に持つ、いわゆる庶子です。囲っている女は何人かいたようですが、子を身籠ったのが母だけだったので、母だけは第二夫人という形で籍を入れて貰えたようです。当時は側室という公認の妾を囲うのが普通でしたし、妻妾同居なんて当たり前の時代です。私もそういう立場とはいえ、特に虐げられるようなこともなく、ご近所の方々も『烏丸さんのところのお嬢ちゃん』という認識でした」
千代は懐かしそうな目をした。
「そういう暮らしができたのも正妻である稲実さんの度量でしょうね。私にも母と呼ぶことを許してくださって、兄が十四才で私と小百合が八才になるまでは、本当に何の不自由もなく暮らしました。でも疎開することになって、その時に東小路家に勤めていた小林夫婦と一緒に、ここ伊豆長岡に来たのです。それからはお嬢様扱いなんかしてもらえなかったです。兄と小百合はそれぞれの家の後継ぎですから、それはもう大切にされましたが、私は所詮妾の子です。ついこの前まで『小林』と呼び捨てにしていた夫婦を『おじさん』『おばさん』と呼ぶように言われましたし、お二人の子供と同じように育てられました」
藤田がふと目を上げた。
「それって千代さんの立場からすると差別されているような気持ちになりますよね?」
千代が頷いた。
「最初は辛かったですね。でも今となっては有難かったと思っています。お陰様で一人で生きていける術も身につけられましたし、特に冷たくされたわけではないので。小林夫婦の子供というのは私より5才年上で、私は玲子姉ちゃんと呼んでいましたね。優しい人で、寒い日の洗濯とか私の倍くらいやってくれて。掃除の仕方も料理の基本も姉ちゃんが一緒だったから覚えられたようなものです」
伊藤が千代の目を見て言った。
「小林玲子さんって、田丸玲子さんですか?」
「そうです。小百合の娘である小夜子さんを引き取った田丸一郎さんの奥さんですよ」
伊藤の頭の中で関係者の相関図がどんどん組み上がっていく。
「田丸さんと斉藤さんは学生時代からのお知り合いでしたよね? ご結婚はその縁ですか?」
「いいえ、違うと思います。まあ結局繋がっちゃったけれど、姉ちゃんに田丸さんを紹介したのは烏丸信也ですよ。大学は違っていたのですが友人だと言って家に連れてきたのが縁だと聞いています。その頃姉ちゃんは東京に戻った信也と小百合について上京していました。東小路の家は全焼しましたが、烏丸の家は焼け残ったのです。そこでメイドとして二人に仕えていました」
「なるほど……」
伊藤の頭に、田丸がわざと信也に近づいたのかもしれないという考えが浮かんだが、確認する術はもうない。
「信也が当主として戻り、家を失った小百合が従妹として同居したのですが、あの二人は何の躊躇もなく、当たり前のように結婚しましたね。それから二か月遅れで田丸さんと姉ちゃんが結婚して。その翌年に私が結婚しました。その翌年に娘を産んで、そのまた翌年には主人が亡くなりました。それで私は小林のおじとおばに子供を預けて、ここで食堂を開いたのです」
伊藤が藤田の顔を見ると小さく頷いた。
聞き取った調書と同じということだろう。
「それにしても烏丸夫妻と小夜子さんの養母とあなたが幼いころから共に過ごした仲というのには驚きました」
伊藤の言葉にフッと息を吐く千代。
「そうですね。共に過ごした……一括りにするとその通りです。あの二人はなんと言うか、とても奔放な性格でした。お金にも男女のことにもタガが外れているとでも言うのでしょうか。信也はもう手あたり次第に金に飽かせて遊んでいましたからね」
藤田が声を出した。
「そりゃ小百合夫人もご傷心だったでしょうね」
「なにが傷ついたりするものですか。彼女の方がよっぽど酷かったですよ。信也は外で遊ぶのでまだ良かったですが、小百合は家に連れ込んでいたらしくて、姉ちゃんがほとほと困っていました。まあ私はこっちにいましたから、見たわけでは無いのですが」
「田丸玲子さんとは交流があったのですね?」
伊藤の言葉に千代が何度も頷いた。
「ええ、姉ちゃんとは手紙のやり取りをしていました。よくあれで妊娠しないものだと呆れていましたが、どうやら避妊薬を飲んでいたようです」
伊藤が不審そうな顔をする。
「避妊薬というとピルですか? あれはかなり最近でしょ? 当時もあったのかな」
「当時もありましたよ。ただし入手が難しい非合法な薬でした」
「それを手に入れた? どうやって?」
「そりゃ男に貰っていたのでしょう。姉ちゃんの手紙によると三日と空けずに通う男がいたそうです。その執着は凄まじかったですよ。信也が死んで小百合がここに逃げてきても追いかけてきました。私はなんとかまともな暮らしをさせようと頑張ったのですが、無駄でした。斉藤さんも少なくない援助をしてくれたのですが、もう右から左に遣っちまうんです。まあそのお陰で小夜子さんを引き離すことができたのですが」
「どういうことです?」
「その執着男っていうのをなんとか小百合から遠ざけるために、斉藤さんは大金を出してやって、その男に個人病院を持たせたんですよ。でも週末になるとやって来るんです。平日は温泉に来た客と寝ている小百合を、週末はそいつが独占するのです。小百合に家に帰る時間なんて無いですよ。小夜子ちゃんはとても可哀そうでした」
「一人で待っていたのですか?」
「最初はそうでしたが、すぐに私が引き取りました。でも私も食堂をやってるでしょう? 結局一人で過ごすことが多くて。そのうちに親がどんな暮らしをしているのか知ってしまうかもしれない。だから姉ちゃんの養子にしようって事になったのです。あんな毒親なんて冗談じゃない」
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