消された過去と消えた宝石

志波 連

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 小夜子の回想は続く。
 母親が違う妹を伊豆長岡に残し東京に戻った信也は、被害を免れた烏丸家のコレクションを切り売りして生活するしかなかった。
 幸い、元華族が保有していた掛け軸や日本画は、駐留している米軍の将校たちに人気で、纏まった金が手に入った。

 信也は大した苦労もせず元華族としての暮らしを維持し、華族子息のための大学に入学し、
 卒業後すぐに妹のように一緒に暮らしていた東小路小百合と結婚した。
 そのことに何の疑問も戸惑いももたなかった信也と小百合夫婦。

 それから数年、すでに売る物も底をつき、とうとう屋敷を手放そうかという状況に陥ったにもかかわらず、信也も小百合も危機感を持つことができないままだった。
 結婚六年目にしてやっと妊娠した小百合が、イチゴが食べたいと言えば取り寄せ、背中が痛いと言えば最高級マットレスを手に入れる。

 請求書がまわってきても、家令が処理するものだとして見もしない。
 使用人もどんどん減っていき、残っていた金を家令が持ち逃げして初めて現状に気付いたが、時すでに遅し。
 連日のように烏丸の屋敷に取り立て屋がやって来る。
 困った信也を見かねた小百合が、文箱の中から『女神の涙』を渡してしまった。

 あれほどきつく言い聞かされていた『女神の涙』を保有する意味と意義を忘れてしまった小百合は、その宝石を売った金で長男を育て、三年後に女児を産んだ。 
 パラメタの恨みを吸い込んで、赤みが増した『女神の涙』は幾人かの手を渡り、最終的に購入したのが斎藤雅也だ。

 烏丸夫妻は、凝りもせず相変わらずの生活を続け、遂に屋敷も手放すしかなくなった。
 贅を尽くした日本家屋も売ってしまえば二束三文だ。
 しかもその金は借金の返済に回ってしまい、信也の手には残らなかった。

 見かねた斉藤が資金を回してやり、確実な線の投機を勧めた。
 しかし、所詮は素人。
 斎藤のアドバイスを無視し、利回りが良さそうな先物に手を出したのだ。
 どうしようもなくなった信也は、首を絞るしかなかった。

 未亡人となった小百合は、疎開先で暮らしている烏丸家の側妃の娘である千代の元に、小夜子だけを連れて身を寄せた。
 長男である一也は養子として望む家があったので、小百合は躊躇なく応じた。
 その家は市場家という烏丸家の遠縁で、嫡男を亡くし少しでも血のつながった後継者を欲していたのだ。

 一人娘が自死するという辛い過去を持つ千代は、乳姉妹である小百合に同情し、仕事を探してやり、母娘が暮らせるように何かと助けることになる。

 令嬢の嗜みとして習っていた日本舞踊を活かし、温泉旅館の座敷で舞を披露する仕事に就いた小百合だったが、相変わらずの金銭感覚で借金ばかりが増えていく。
 それでも浪費が止められない小百合は、誘われるがまま客をとるようになっていった。
 一人で留守番をしている小夜子の世話を焼くのは千代だ。
 千代は何度も小百合を諫めたが、朝になっても戻らない日が増えていくだけだった。

 そんな頃、田坂玲子が夫と共に両親の墓参りに帰省する。
 訪ねてきた玲子に、千代は子供がいないなら小夜子を養子にしてはどうかと持ち掛けた。
 小百合の現状を知った玲子は、小夜子のためにもその方が良いと判断し、夫を説得して小夜子を連れ帰ることにした。

 千代から離れたがらない小夜子を心配した玲子は、店をたたみ上京する事を千代に勧め、子供のことにも興味も示さない小百合は、明るく手を振って千代と小夜子に別れを告げた。
 戦禍を逃れ共に過ごした小百合と千代の決別だった。

 一方、自分が勧めたことが切っ掛けとなり、未亡人になった小百合を気にかけていた斉藤雅也は、何度もこの地を訪れていた。
 人づてに千代の素性を知った斉藤は、小百合の面倒を見てくれる礼だと言って金を渡した。

「助けるつもりが不幸にしてしまったからね。きっと恨んでいるだろう」

 そう口にする斉藤は、千代の店には顔を出すが小百合に会うことは一度もなかった。
 小夜子が養子として田坂家に入ってすぐ、斉藤は小夜子に会いに屋敷を訪れた。
 
「こんばんは、お嬢ちゃん。お名前は?」

「田坂小夜子です。14才です」

「私は斉藤雅也、年は50才だよ」

「田坂のお父様よりも上なのですね」

「そうだね。私は小夜子ちゃんのお父様もお母様もよく知っているよ」

「母を……そうですか。こちらのおじさまは?」

 斎藤の横に座っていた山本が口を開く。

「私は山本充だよ。年は斎藤と同じだ」

「……よろしくお願いします」

 いつの間に覚えたのか、小夜子は誰に言われるでもないのに、テーブルに乗っていたお銚子の首をつまんで、斉藤ににっこりと微笑んで見せた。
 斉藤が小夜子の顔を見て息をのむ。
 永代橋の家で唯一生き残ったサクラの顔がそこにあった。
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