消された過去と消えた宝石

志波 連

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「でもあの宝石は、絶対にデザインカットを入れた方が見栄えがするよな」

「ただの円錐形だったから落札したのかもしれませんね。好きなように加工しやすいから」

「それはアリだよな……ピンクダイヤモンドってそんなに珍しいの?」

 課長が不思議そうに言った。

「珍しいことには変わりはないでしょうけれど、大きさ的にはそれほど話題になるようなものではないそうですよ。南アフリカ産のファンシー・ビビッドということと、あの宝石が持つ由緒が付加価値なんだそうです」

「由緒? なんだそれ」

「ジャワ王国の皇太子が愛妻に贈ったというものです。当時のジャワはたくさん王族がいたみたいですから」

「ふぅん……それが付加価値なの?」

 藤田が手帳をめくりながら答える。

「その愛妻っていうのがなかなかの有名人なのですよ。何でも呪いがどうとか言われている王妃で、今でも手厚く祀られているらしいですよ」

「呪い? そんな非科学的なことが、未だに信じられているのか?」

 藤田が得意げに言った。

「インドネシアという国は今でも普通に呪術とか信じられています。一万七千の島を有する群島国家で、経済も人口も世界的にも上位に食い込む国ですが、数えきれないほどの民族が住んでいますからね、昔ながらの習慣が残っていて、その中の一つが呪術ですよ」

「お前……勉強したなぁ。感心するよ」

「今回の件で出張があるかもって思ったんです」

「残念だったな。まあ、せっかくそこまで調べたんだ。自費で新婚旅行にでも行けよ」

 藤田が唇を尖らせながら肩を竦めた。
 伊藤がふと口を開く。

「鑑定書がないってことは、これがそうだと言い張ればそうなるってことですよね。今回のもそうかもしれない」

「なるほどなぁ。同じ形のピンクダイヤモンドを持っていた……考えられるな」

「そうなると『女神の涙』がサム・ワン・チェンの手に渡ると、双円錐に戻るはずだったのに、売られてしまった。なぜ売った?」

 藤田が不思議そうに首を傾げた。

「それが何かがわかれば小夜子が十年待った意味も分かるかもしれんな」

 吞気な横顔を冷たい風に晒しながら、課長が煙草をバケツに投げ捨てた。

 それからひと月は別事件で忙しくしていた伊藤と藤田だったが、久しぶりに五反田の蕎麦屋に立ち寄った。

「お久しぶりですね、刑事さん」

 いつもの女店員がにこやかに出迎えた。

「ええ、ちょっと忙しかったので」

 少し来ない間に新メニューが壁に貼られていた。
 梅雨明け宣言が今日にでも出されようかという東京は不快な暑さだ。
 藤田はいつものメニューを注文し、伊藤はぶっかけ蕎麦を頼む。
 女店員と入れ違うように顔を出した店主が、笑顔でペコっと頭を下げた。

「ご無沙汰してすみません」

「お忙しいようですね」

「ええ、我々が暇で死にそうという日はなかなか来ませんね」

「ははは。そりゃ永遠に来ないかもしれませんねぇ」

「今日はブディさんは?」

「学校に行ってますよ。卒業前でいろいろ忙しいみたいです」

「卒業したら帰国されるんでしたっけ。本当に蕎麦屋でも始めそうな感じですね」

「いやいや、あいつはあれでもエリートなんです。もしかしたら大使館勤務でそのまま残るかもしれません」

「そうですか。ぜひまたお会いしたいですね」

 店主は笑いながら奥に引っ込んだ。
 蕎麦が来るまでの間、ふと伊藤は考える。
 『サクラと小百合と小夜子……みんなサから始まる名前だよな? 偶然か?』

 良いタイミングで運ばれてきた蕎麦に、二人は早速喰らいつく。
 いつものもり蕎麦とは違い、がつがつ食べられるぶっかけは伊藤好みだった。
 挨拶をして店を出ると、外国人らしい一団が車から降りている。
 どうやらこの蕎麦屋に来るつもりのようだった。

 男性は見るからに東南アジア系の顔立ちだったが、同行している二人の女性はどちらも日本人にしか見えない。

 通訳か何かだろうかと考えながら、さり気なく聞き耳をたてると、何語かはわからないが日本語以外の言葉で話していた。

「なあ藤田。今のインドネシア大使館の人かな」

「どうでしょう。インドネシアの人って日系とか中国系とかインド系とかいろいろいますけれど、生粋のインドネシア人って日本人と同じような顔ですよね。特に女性はほとんど変わらない。違うと言えば唇が若干厚いかな」

「小夜子も唇が印象的だよな」

「ええ、小夜子って口元が何と言うかエキゾチックな美人ですよね」

 ふと思いついたことを口にする伊藤。

「小夜子……いや、小百合がインドネシアと日本のハーフってことないかな」

「なんすか? 急に」

「いや、名前も似てるし顔も似てるだろ?」

「そう言えば、サム・ワン・チェンさんも、サクラと小夜子は生き写しだって言ってましたもんね」

 何かを考えるような顔で二人は車に乗り込んだ。
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