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5 聴取 メイド 山中美奈(42)
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藤田刑事に従う形で寝室を出た美奈は、背中に冷たい汗が流れるのを感じ、自分がなぜ緊張しているのか不思議に思った。
指先は冷え切っているのに、頬だけが熱い。
「こちらでお話を伺います」
客間の扉を開けて入室を促す藤田刑事。
「はい、失礼します」
どちらがこの家の関係者なのかわからないような言葉を口にして美奈が入室した。
「ご足労をおかけしました。どうぞ気を楽になさってください」
ソファーに座っていたのであろう伊藤刑事が腰を浮かせて美奈に対面の席を勧めた。
「はい……失礼します」
ふとお茶を用意すべきかと思った美奈の前に缶コーヒーが置かれる。
「こんな物ですみませんね。事件発生の当日は現場の物に触れないことになっていまして」
人生で初めて本物の刑事を見る美奈はオドオドするしかない。
「そういう決まりなのですか?」
「いえ、決まりというわけではありません。何と言うか……我々の暗黙のルールのようなものです」
美奈は促されるままに缶コーヒーを手に取った。
冷えてもないし温かくもない。
爪先でプルトップをあげて口に含む。
常温の缶コーヒーはただ甘いだけで香りも無かった。
「では昨日のご自身の行動を覚えている範囲で結構ですので、お話しいただけますか? まずはお名前とご年齢、そしてこちらでの勤続年数と採用された経緯からお願いします」
不愛想というわけでは無いが、なぜか無機質な伊藤刑事の声に美奈の緊張が高まる。
「はい……私は山中美奈と申します。年齢は四十二歳です。こちらにお世話になったのは叔父の紹介です。あっ、叔父というのは執事をしている山中誠のことで母の弟です。私は離婚して……働く必要がありました。子供もいませんでしたし、住み込みなら家賃の心配も無いのでと言って誘ってくれたのです。こちらにお世話になって、今年で十二年になります」
伊藤刑事は美奈の顔から視線を外さず、藤田刑事がせっせとメモを取っている。
無言のまま手をすっと動かし、先を促された。
「仕事は主に掃除と洗濯ですが、千代さん……もう一人のメイドです。彼女の補助として調理や食材の管理もやります。庭木や花壇はご主人様のこだわりがあるので手を出すことはありませんが、庭師さんが来られないときの落ち葉掃除などはやります」
伊藤の眉がぴくっと動いた。
「庭師? 出入りの庭師がいるのですか?」
「ええ、月に一度来られます。いつも月末で、作業日数は二日間です。もう判で押したようにずっとです。几帳面に朝の七時から夕方五時まで作業をされますね……お弁当も持参されるので、私がかかわるのはお茶を出すことぐらいでしょうか」
「連絡先はご存じですか?」
「いいえ、存じません。ご主人様が『サカモト』と呼ばれているので、苗字では無いかと思いますが……連絡は執事の山中に聞いてください」
「わかりました。それでは朝起きたところからお話ししていただけますか?」
美奈は少し緊張がほぐれたのか、テーブルに置いていた缶コーヒーを一口飲んだ。
「私の起床時間は六時です。まずキッチンに行って千代さんと挨拶を交わし、その日の朝食の準備にかかります。ああ、使用人の部屋にはそれぞれ洗面台とトイレがあるので、身支度は全て部屋でします。制服が支給されているのでそれを着ます」
こんな情報は必要ないのではと思いながらも、口が止まらない美奈。
「昨日の朝食は鮭の塩焼きと卵焼き、納豆と豆腐の味噌汁でした。鮭の塩焼きと豆腐の味噌汁はご主人様の大好物で、週に四日は同じメニューです。ご主人さまったら心臓がお悪いのに塩辛いものがお好きなんです」
伊藤刑事が横に座る藤田刑事の顔をちらっと見た。
「後の三日はパン食で、こちらの場合は目玉焼きと焼いたボロニアソーセージの組み合わせが多いでしょうか。和食でも洋食でもサラダは添えられますが、ご主人様はそのサラダにたっぷりのマヨネーズと醬油をかけて召し上がるのです」
ゴクッと喉を鳴らした藤田刑事が口を開く。
「昨日の朝食は和食だったのですね? 食卓には小夜子夫人とお二人で?」
「ええ、ご主人様の身支度をなさってから車椅子を押しておいでになります」
「なるほど、それで朝食はいつも通りに?」
「はい。お食事が終わられたら、執務室に向かわれて日課の宝石鑑賞をなさいました」
「その姿を見たことは?」
「ありません。そうだと聞いただけですので、私はどんな宝石なのかも知りません」
美奈は喋り過ぎたと気付いたが、口から出た言葉はもう元には戻らない。
「それから何をされたのですか?」
「ご夫婦が執務室におられる間にシーツを交換してベッドメイクをしました。これもいつも通りです。そして洗濯して干しました。それからは掃除ですが、これもご夫婦の寝室からおこないます。ご主人様がお昼寝をされるまでには全て終わらせておかないといけないので」
「それはなかなかお忙しいですね」
「そうですね。でも急ぐのは寝室だけですから、そうでもないですよ。後は客間とか廊下とか家中に掃除機をかけて、手に触れるところはすべてアルコール除菌します」
「アルコール除菌ですか? それは物凄い徹底ぶりですね」
「ええ、奥様のこだわりなのです。ご主人に風邪もひかせたくないと仰って。きっと山本先生の指導でしょうね。奥様は山本先生を信頼されていますので」
「山本先生は個人病院を経営されているのでしたよね?」
「個人病院というには規模が大きいですよ。私はお使いで薬をとりに行くことがあるのですが、駅前総合病院の理事長さんです。三年前までは院長先生でしたが、今は息子さんが継いでおられます。ですから今は斉藤家の専属医抱え医師って感じですね」
「なるほど。ご当主と先生は長いお付き合いなのですね?」
「その辺りはよく存じませんが、私がこちらでお世話になった時にはすでに親友という感じでした。私の最終面接も先生がなさいましたから」
「最終面接を? 山本医師が?」
「ええ、千代さんもそうだって言ってましたね。確か叔父も同じようなことを言っていました。そう考えると長いお付き合いですね」
「わかりました。後ほどまたお声を掛けます。ありがとうございました」
事件があった今日のことは何も聞かず、伊藤刑事が立ち上がった。
まだ喋り足りないのか、少しだけ唇を尖らせて美奈が部屋を出て行った。
藤田刑事がポケットからビニール袋を出して、美奈が飲んだ缶コーヒーを回収する。
「よくしゃべる女でしたね」
藤田の言葉に伊藤が頷く。
「ああ、みんなああだと助かるな。次はもう一人のメイドを頼む」
藤田刑事はソファーの後ろに置いてある段ボールにビニール袋入りの缶コーヒーを入れて部屋を出た。
指先は冷え切っているのに、頬だけが熱い。
「こちらでお話を伺います」
客間の扉を開けて入室を促す藤田刑事。
「はい、失礼します」
どちらがこの家の関係者なのかわからないような言葉を口にして美奈が入室した。
「ご足労をおかけしました。どうぞ気を楽になさってください」
ソファーに座っていたのであろう伊藤刑事が腰を浮かせて美奈に対面の席を勧めた。
「はい……失礼します」
ふとお茶を用意すべきかと思った美奈の前に缶コーヒーが置かれる。
「こんな物ですみませんね。事件発生の当日は現場の物に触れないことになっていまして」
人生で初めて本物の刑事を見る美奈はオドオドするしかない。
「そういう決まりなのですか?」
「いえ、決まりというわけではありません。何と言うか……我々の暗黙のルールのようなものです」
美奈は促されるままに缶コーヒーを手に取った。
冷えてもないし温かくもない。
爪先でプルトップをあげて口に含む。
常温の缶コーヒーはただ甘いだけで香りも無かった。
「では昨日のご自身の行動を覚えている範囲で結構ですので、お話しいただけますか? まずはお名前とご年齢、そしてこちらでの勤続年数と採用された経緯からお願いします」
不愛想というわけでは無いが、なぜか無機質な伊藤刑事の声に美奈の緊張が高まる。
「はい……私は山中美奈と申します。年齢は四十二歳です。こちらにお世話になったのは叔父の紹介です。あっ、叔父というのは執事をしている山中誠のことで母の弟です。私は離婚して……働く必要がありました。子供もいませんでしたし、住み込みなら家賃の心配も無いのでと言って誘ってくれたのです。こちらにお世話になって、今年で十二年になります」
伊藤刑事は美奈の顔から視線を外さず、藤田刑事がせっせとメモを取っている。
無言のまま手をすっと動かし、先を促された。
「仕事は主に掃除と洗濯ですが、千代さん……もう一人のメイドです。彼女の補助として調理や食材の管理もやります。庭木や花壇はご主人様のこだわりがあるので手を出すことはありませんが、庭師さんが来られないときの落ち葉掃除などはやります」
伊藤の眉がぴくっと動いた。
「庭師? 出入りの庭師がいるのですか?」
「ええ、月に一度来られます。いつも月末で、作業日数は二日間です。もう判で押したようにずっとです。几帳面に朝の七時から夕方五時まで作業をされますね……お弁当も持参されるので、私がかかわるのはお茶を出すことぐらいでしょうか」
「連絡先はご存じですか?」
「いいえ、存じません。ご主人様が『サカモト』と呼ばれているので、苗字では無いかと思いますが……連絡は執事の山中に聞いてください」
「わかりました。それでは朝起きたところからお話ししていただけますか?」
美奈は少し緊張がほぐれたのか、テーブルに置いていた缶コーヒーを一口飲んだ。
「私の起床時間は六時です。まずキッチンに行って千代さんと挨拶を交わし、その日の朝食の準備にかかります。ああ、使用人の部屋にはそれぞれ洗面台とトイレがあるので、身支度は全て部屋でします。制服が支給されているのでそれを着ます」
こんな情報は必要ないのではと思いながらも、口が止まらない美奈。
「昨日の朝食は鮭の塩焼きと卵焼き、納豆と豆腐の味噌汁でした。鮭の塩焼きと豆腐の味噌汁はご主人様の大好物で、週に四日は同じメニューです。ご主人さまったら心臓がお悪いのに塩辛いものがお好きなんです」
伊藤刑事が横に座る藤田刑事の顔をちらっと見た。
「後の三日はパン食で、こちらの場合は目玉焼きと焼いたボロニアソーセージの組み合わせが多いでしょうか。和食でも洋食でもサラダは添えられますが、ご主人様はそのサラダにたっぷりのマヨネーズと醬油をかけて召し上がるのです」
ゴクッと喉を鳴らした藤田刑事が口を開く。
「昨日の朝食は和食だったのですね? 食卓には小夜子夫人とお二人で?」
「ええ、ご主人様の身支度をなさってから車椅子を押しておいでになります」
「なるほど、それで朝食はいつも通りに?」
「はい。お食事が終わられたら、執務室に向かわれて日課の宝石鑑賞をなさいました」
「その姿を見たことは?」
「ありません。そうだと聞いただけですので、私はどんな宝石なのかも知りません」
美奈は喋り過ぎたと気付いたが、口から出た言葉はもう元には戻らない。
「それから何をされたのですか?」
「ご夫婦が執務室におられる間にシーツを交換してベッドメイクをしました。これもいつも通りです。そして洗濯して干しました。それからは掃除ですが、これもご夫婦の寝室からおこないます。ご主人様がお昼寝をされるまでには全て終わらせておかないといけないので」
「それはなかなかお忙しいですね」
「そうですね。でも急ぐのは寝室だけですから、そうでもないですよ。後は客間とか廊下とか家中に掃除機をかけて、手に触れるところはすべてアルコール除菌します」
「アルコール除菌ですか? それは物凄い徹底ぶりですね」
「ええ、奥様のこだわりなのです。ご主人に風邪もひかせたくないと仰って。きっと山本先生の指導でしょうね。奥様は山本先生を信頼されていますので」
「山本先生は個人病院を経営されているのでしたよね?」
「個人病院というには規模が大きいですよ。私はお使いで薬をとりに行くことがあるのですが、駅前総合病院の理事長さんです。三年前までは院長先生でしたが、今は息子さんが継いでおられます。ですから今は斉藤家の専属医抱え医師って感じですね」
「なるほど。ご当主と先生は長いお付き合いなのですね?」
「その辺りはよく存じませんが、私がこちらでお世話になった時にはすでに親友という感じでした。私の最終面接も先生がなさいましたから」
「最終面接を? 山本医師が?」
「ええ、千代さんもそうだって言ってましたね。確か叔父も同じようなことを言っていました。そう考えると長いお付き合いですね」
「わかりました。後ほどまたお声を掛けます。ありがとうございました」
事件があった今日のことは何も聞かず、伊藤刑事が立ち上がった。
まだ喋り足りないのか、少しだけ唇を尖らせて美奈が部屋を出て行った。
藤田刑事がポケットからビニール袋を出して、美奈が飲んだ缶コーヒーを回収する。
「よくしゃべる女でしたね」
藤田の言葉に伊藤が頷く。
「ああ、みんなああだと助かるな。次はもう一人のメイドを頼む」
藤田刑事はソファーの後ろに置いてある段ボールにビニール袋入りの缶コーヒーを入れて部屋を出た。
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