壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連

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28 倚門之望

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 (いもんのぼう=子を想う親の切実な愛情)

 それからまた一年が過ぎ、子供たちが再び公爵邸を訪れた。
 去年よりまた数段も成長した姿を見せる子供たちに、リリアは目を細めた。
 それから数日、ジェラルドが滞在している国が他国との開戦を回避したというニュースがもたらされた。
 そしてさらに数か月後、その両国とバージル国の国交が開かれ、貿易協定と相互支援協定が結ばれた。

「あいつは頑張ったな」

 公爵の言葉にリリアは小さく頷いた。

「お帰りになっているのでしょう?」

「ああ、私には挨拶に来たよ。リリアに会いに行っても良いかと聞かれた。どうする?」

「お父様、私はパーシモン侯爵の後妻に入ろうと思っています」

「いいのか?」

「いいのです。正直に申し上げて、ジェラルド様より子供たちのために決めたようなものですわ」

「そうか……。寂しいなぁ」

「まあ!お父様ったら」

 横で聞いていた公爵夫人が口を開いた。

「行くからには子供たちを分け隔てせず、慈しむのよ。できる?」

「勿論ですわ。二人とも私の子と思って愛情を注ぎます」

「では、ジェラルドに訪問の許可を出そう」

 その時、いきなり扉が開き、ダニエルが駆け込んできた。

「バネッサが死んだらしい。北の修道院から俺のところに連絡が来たよ。ロベルトには知らせたけれど、こっちにも知らせた方が良いって思って」

 リリアが立ち上がった。

「お兄様、私をロベルトのところにお連れ下さい!」

 リリアの勢いに、ダニエルが気圧されたように動いた。

「お父様、お母様。私……行かないといけない気がします」

「そうね、そうしなさい」

 公爵夫人は毅然と言った。
 馬車はかなりのスピードで貴族学園に到着した。授業を終えた生徒たちが、楽しそうに話をしながら校庭で屯していた。

「ロベルトはたぶん寮に戻っている」

 リリアは頷き、ダニエルに手を引かれて走った。
 ダニエルが寮母に事情を話し、二人はロベルトの部屋に向かう。

「ロベルト! いるんだろう? 開けるぞ」

 ダニエルが言い終わる前にドアが開いた。
 ロベルトと同室の少年は、困った顔で部屋の隅を見た。
 二人が視線を向けると、蹲って顔を膝に埋めるロベルトがいた。
 気を利かせた同室の生徒が部屋を出て行く。

「ロベルト……」

 ダニエルが声を掛けたが、ロベルトは微動だにしない。

「ロベルト? こちらに来て?」

 リリアの声にようやく顔を上げたロベルトは、真っ赤な目で驚いた顔をした。

「リリア様? なぜ?」

「なぜって……母を亡くした子を抱きしめに来たのよ。ずっと会えないまま亡くなってしまうなんて……お辛かったでしょうね」

「いえ、母は満足していたと思います……僕が……僕が……もっとしっかりしていれば」

 リリアはロベルトに駆け寄り、抱きしめた。
 ロベルトにだけ聞こえるようにそっと言う。

「いいえ、あなたもバネッサ様も十分に償いました。自ら子を手放す辛さは私も嫌というほど知っているわ。それを貫いたバネッサ様を私は許しています。あなたもお母様を許してあげて」

 ロベルトはきつく眼を瞑り、静かに泣き続けた。

「お兄様、タオルを濡らして来て下さらない? それと冷たいお水も」

 頷いたダニエルが部屋を出た。

「いつからですか?」

「教えないわ」

「僕と母が……憎かったでしょうね……」

「ロベルト……今は泣きなさい。泣くのも供養よ。今はただバネッサ様のご冥福を祈りましょう」

「はい……ありがとうございます……」

 ダニエルが持ってきたタオルで目を冷やし、椅子に座ったロベルトがゆっくり水を飲む。
 コクコクと動くその喉を、リリアは静かに見ていた。
 ロベルトが落ち着いた事を見届けた二人は、そのまま王宮に向かった。
 仕事に戻るダニエルを見送り、リリアは皇太子妃宮へ足を向けた。

「いらっしゃい、リリア。あなたが外に出るなんて珍しいわね。マーガレットは勉強中よ」

「ええ、あの子に会いに来たわけでは無いの。あなたに会いたくなっちゃって」

「そろそろフィナーレかしら……ねえリリア。いつか聞こうと思ってたのだけれど、聞きそびれちゃって。良い機会だから思い切って聞くわね。あれって飛び降りたの? それとも落ちたの?」

「客間の話が聞こえないかなぁって乗り出してたら落ちたのよ。あなた何年私の親友張ってんの? 私が自殺するわけ無いでしょう? まあかなり絶望はしたけれど、同じやるなら死ぬより殺すわ。そんな心配より客間のスリッパ替えた方がいいわよ。めちゃ滑る」

「そうなの? すぐに替えるように言うわ……。バルコニーから乗り出して盗み聞きする人は少ないと思うけど。だってタイミングがねぇ? 絶妙っていうかさぁ。ああ、そう言えばあれからずっとあなたの筋書き通りに動いてきたけれど、思い通りかしら? 別の有力貴族と再婚っていう道もあったでしょ?」

「ありがとう、協力してくれて。この筋書きは全てはマーガレットのためだったけれど、いまさらほかの男と『誕生日はいつですか?』とか『愛読書は何ですか?』なんてことから始めるのも面倒でしょ? ジェラルドでいいのよ」

「わかる……。でも記憶のことを打ち明けたのは私とアイラだけなんでしょう?」

「そうよ。でもロベルトにはさっき言ったわ。たぶんお父様もお母様も、お兄様も分かっていると思うし、私に不利になるような動きは絶対しないから、言わなくても大丈夫。そういえば、お父様の円満離婚作戦は、みんなすぐに気づいたの? あの時は本当に記憶がなかったから仕方がないけれど、幽体離脱でもして同席したかったわぁ」

「気づかなかったのは、ジェラルドと殿下かな。おそらくバネッサもロベルトも気づいたと思うわ。それにしてもさすがよね。誰にも文句を言わせないようにして、さっさとリリアだけかっ攫って行っちゃうんだもん」

「私の父よ? それよりバネッサのこと聞いた? ロベルトは可哀想に膝を抱えてひとりで泣いていたわ。思わず抱きしめちゃった」

「流行り病ですって? 院内感染かしら。それにしても……抱きしめたなんて母性本能のなせる業ね」

「わたしね、あの子たちの母になろうと思う。ジェラルドのことも見捨てられないし。だってあれほどバカみたいに私だけを愛していた男よ? きっとロベルトのことが可哀想で仕方がなかったんでしょ? おバカよね」

「私は止めないわ。以前も言ったけれど、悪いのはジェラルドとバネッサだけよ。マーガレットは知恵が足りなかっただけで、ロベルトは年の割に知恵が回り過ぎていた。それで?いつみんなには言うの?」

「言わないつもり。だから引き続き協力して欲しいのよ」

「そうなの? あんた……」

「ええ、あなたも母親ならわかるでしょう? 何があっても絶対に子供を見捨てるなんてありえない。それに今の私って、とても自由で楽しいの。このまま生きていくのも悪くないわ」

「ジェラルドにも?」

「もちろん言わない。当分の間はリリア嬢って呼ばせてやるの。私の気が向かない限り寝室も別よ。年齢と体力を考えると次の子供なんてありえないわ」

「なるほど……でもそれだけ?」

「いいえ、農耕馬のごとく働いてもらって、買いたいものを全部買って、行きたいところも全部行くの。彼の稼いだお金を湯水のごとく使って目いっぱい人生を楽しむつもり。付き合ってね」

「望むところよ。アイラも誘うでしょう?」

「もちろんよ」

 それから数日後、ジェラルドが公爵邸を訪問する事が決まった。
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