壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連

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18 三人成虎

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 (さんにんせいこ=噓や噂も多くの人が言うことで真実のようになってしまう)

「帰ったよ、リリア。体調はどうかな?」

 珍しく定時に帰宅したダニエル・サザーランドは、王都で人気の焼き菓子を持って妹の部屋を覗いた。

「あらお兄様、お帰りなさい。私は大丈夫よ。お姉さまのご様子はいかが?」

「ああ、来月が予定日だからお腹が重たくて苦しいって手紙が来ていたよ。でもお義母様がよく見て下さるから安心だ」

「そうよね。ご実家でのご出産ですもの、お兄様も安心よね」

「彼女の実家は近いからね、連絡があればいつでも行ける。食事は済んだの?」

「今日はまだよ。お兄様とご一緒したいわ」

「いいね、着替えたら迎えに来るよ。これは食事の後で一緒に食べよう」

「楽しみだわ」

 リリアは美しい黒髪を揺らしながら、ソファーから立ち上がった。
 自分が下校途中に事故に遭い、10年という長い時間眠ったままだった事を、やっと受け入れたリリアは、兄を待つ間に鏡を見て溜息を吐いた。

「これではお嫁にもいけないわね。まあ、もうすでに行き遅れのおばさんだけど」

 目じりから頬にかけて引き攣ったような傷痕を指先でなぞる。

「10年前の傷にしては生々しいわね」

 そんな独り言を呟いている間に、ドアがノックされて兄のダニエルが顔を出した。
 ダニエルはお道化るように腕を出して、エスコートの意志を伝える。
 微笑みながらその腕に手を乗せ歩き出すリリア。

「ねえお兄様、事故に遭ってからもう10年も経つのに、まだ体が痛むし傷も治らないなんて変じゃない?」

「えっ!いや……だってほら。リリアはずっと意識が無かったから薬もあまり飲めなかったし、治療だって思うようには進まなかったから……」

「そうなのかしら。そんなに酷い怪我だったのよね?」

「ああ、生きていてくれることが奇跡のような状況だったよ」

「そうかぁ。でもこれからは意識も戻ったし、お薬だって治療だって頑張るから大丈夫ね」

「そうだね。早く直そうね。リリアが素直で本当に助かるよ」

 食堂に行くと母親が座って待っていた。

「お帰りなさい、ダニエル。リリアも一緒なのね。体調はどうかしら?」

「ええ、もうすっかり大丈夫です。後はずっと寝ていた後遺症だとお医者様に言われた、体の強張りが取れたらもっと動きやすいと思いますわ」

「それなら良かったわ。でも無理はしないでね。今日もお父様は遅いみたいだから、先に三人でいただきましょう」

 母と兄と妹のディナーがゆっくりと和やかに進む。
 隣に座る兄の皿に、嫌いなセロリと人参をしれっと入れるリリアを見て母親は笑った。

「リリア、もう大人なんだから好き嫌いはダメよ? 子供が出来たらお手本になれないわ」

「でも嫌いなんだもの。それに私はきっとお嫁には行けないし、たとえこんな私でもお嫁に貰おうって奇特な方がいらしてもこの年だもの……子供はきっと難しいわ」

「そんなことは無いと思うぞ? だってリリアに求婚していっていう奴がいるもの」

「えっ? そんなお話しがあるの?」

 ダニエルは母をチラッと見た。
 母は片方の眉を上げて否定も肯定もしない。
 リリアがバルコニーから落ちて、すでに半年が過ぎていた。
 医師の協力の元、事故からひと月ほど眠り続けたリリア。
 目覚めた時、記憶が戻っていない事を確認した家族は、計画を進めた。

「そうなの? ダニエル」

 母親に丸投げされた事を悟ったダニエルは、小さな溜息をひとつ吐いて口を開いた。

「ああ、お前も知っているはずだ。ジェラルド・パーシモンだよ。今は爵位を譲り受けて侯爵になっている。仕事は外務大臣の補佐だ」

「ジェラルド・パーシモン様って、確か私が1年の時に恋人とはお別れしたって言わなかった? もしかしてそのまま独身とか?」

「ああ、覚えているんだね。そうだよ、彼らは一度は別れたけれど、まあいろいろあって結婚したんだ。子供はいるよ。でも離婚したんだよ」

「まあ、やはり一度お別れを選ばれたということは、そういう運命だったのね? 素敵なカップルだったから残念に思っていたのだけれど、ご結婚はされたの……そして離婚?」

「ああ、彼女はパーシモン邸の近くに住んでいるよ。離婚の理由は知らないが揉めたわけではないようだ。彼女は商会で働いているそうだよ。偶然だがうちが出資している商会だ」

「自立を目指されたのね? でも離婚となるとお子様がお可哀想ね」

 リリアが食後の紅茶を口に運びながら言った。

「あっ……そうだよね? 子供は可哀想だ。でもケンカとかで別れた訳では無いから、子供たちは頻繫に会っているし、元夫人も仕事を頑張っている様子だよ」

「そんな事ならよりを戻せばいいのに」

 母親が紅茶のカップを落としそうになり、兄は自分が買ってきた菓子を喉に詰まらせた。
 そんな二人を不思議そうに見ているリリアに、執事が声をかけた。

「お噂ではお二人ともまったくその気は無いそうですよ。今は子供のためだけに顔を合わせているような状況だと……えっと……友人が……執事仲間がそう言っていました」

「そうなの、ご縁が無かったのかしら。とても素敵な殿方だと思うのだけれど。お優しそうだし。でも案外そんな方の方が家庭では暴君だったり浮気者だったりするのかしら」

 遂に母親がカップを落とした。
 執事が冷静な顔で始末をしている。

「お母様? 大丈夫?」

「ええ、だ、だ、だ、大丈夫よ。年かしら、時々指先に力が入らなくて」

「まあ、大変。お医者様に来ていただきましょう」

「いいえ! 医者はいらないわ。きっと更年期……そうよ! 更年期障害よ」

 母親は自分で言った言葉に自分で傷ついた顔をした。
 笑いをかみ殺しながらダニエルが言った。

「会ってみないか? あいつは僕と同級で仲も良かったんだ。とても良い奴だよ。真面目だし子煩悩だしね。ちょっと能天気だけど」

「そう? でも私の顔の傷はご存じなの?」

「ああ、勿論知っている。あいつは本気だよ。本気でリリアと結婚したいと思っている。リリア以外とは結婚しないって言ってたなぁ」

「まあ! それは光栄だけど……。でもお子様もいらっしゃるのでしょう? 後妻となると難しいのではないかしら。お子様はお幾つなの?」

「上の男の子が11歳で、下の女の子が9歳だ。二人ともジェラルドにそっくりだよ。兄の方は母親と一緒に住んでいる」

「まあお二人も? でも嫡男の方が家を出ているの?」

「ああ……それは、母親が寂しいだろうという気遣いだ。籍はパーシモン家にあるよ。妹の方は父親と離れたくないのだろう。ジェラルドと一緒にいる。でもとても仲の良い兄妹だ。うちのようにね」

「ほほほ。うちのようだと言うなら、きっとその子はシスコンね」

「ああ、間違いないだろうね」

 三人は笑った。
 ちょうど帰ってきた父親が談話室に顔を出した。

「楽しそうだね。何の話しかな?」

「「「お帰りなさいませ」」」

「ああ、ただいま。でもこうやって四人が顔をそろえるのはいいなぁ。10年ぶりだものなぁ。うん、いいなぁ。リリアが嫁いで行ってからというもの……っう!」

 母親の隣に座るなり、父親はわき腹を抑えて顔を伏せた。

「あなた? どうなさったの?」

「いや、何でもない。私が悪かった……ごめんなさい」

「ほほほ。何のことかしら」

 ダニエルは母の扇子が父のわき腹に、半分以上食い込むのを確かに見た。
 横目でリリアの表情を伺うが、優雅に紅茶を飲んでいる。
 ほっと息を吐くダニエル。

「リリアの結婚のことですよ」

 ダニエルの言葉に父親は目を見開いた。

「えっ? もう? もう始めちゃうの?」

 再び夫人の扇子が夫のわき腹に食い込んだ。
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