2 / 29
2 艱難辛苦
しおりを挟む
(かんなんしんく=大きな困難に悩み苦しむ様子)
その日からジェラルドの苦悩が始まった。
あと半年の間に結論を出さなくてはならないのだ。
期限を過ぎると、神父が提案してくれた貴族学園への教会推薦枠での編入に間に合わなくなってしまう。
そうなってはロベルトの将来は真っ暗だ。
優秀だと言われているロベルトでも、平民となれば上級教育は望めない。
良くて商会の下働き、悪くするとガラの悪い連中の仲間として生きるしかなくなる。
「それは惨すぎる」
そう思ってもジェラルドは踏み切れない。
愛する妻と子供が出て行きかねない案件なのだ。
あの二人を失うくらいなら死んだ方がマシだ。
「絶対に手放したくない」
この二つの思いに揺れ動くジェラルドの食欲は、日に日に落ちて行った。
「どうしたの? 最近顔色が悪いわ? お医者様には診ていただいたの?」
最愛の妻リリアがジェラルドの頬に手を添えて心配顔を見せる。
「うん、ちょっと心配なことがあってね。まあもうすぐ結論が出るさ。大丈夫だからそんな顔はしなくていいよ」
「そう? 無理はしないでね」
そう言って書斎を出て行こうとする愛妻の背中に、ジェラルドは無言で言った。
(無理をしなくちゃ君を失ってしまう)
リリアに愛想を尽かされず、ロベルトの人生を明るい方へ導く道。
「僕の頭じゃ無理だ」
誰もいなくなった書斎に、ジェラルドの溜息だけが聞こえた。
「お父様!」
ノックもせずに、愛娘のマーガレットが駆け込んで来る。
「どうしたの? 僕の可愛いお姫様」
「あのね、私のお誕生日のことなんだけど」
「ああ、楽しみだね。ところで僕のお姫様は、今年でお幾つになられるのかな?」
「9歳よ」
「9歳かぁ。それならそろそろドアをノックしなくちゃいけないことは覚えないとね?」
「あっ、ごめんなさい。お父様に会いたくて焦っちゃった。いつもはきちんとできるのよ」
「ああ、知っているよ。僕のお姫様は立派な淑女だものね」
「そうよ」
「それで? 何か欲しいものが決まったのかい?」
「ええ、やっと決まったわ。ずっとずっとずう~っと考えたの」
「何が欲しいの?」
「あのね。お兄様が欲しいの」
ジェラルドは盛大に咳き込んだ。
「大丈夫? お父様、私って何か変なことを言った?」
「あっ……いや、まあ」
ジェラルドは娘の前に跪いて目線を合わせた。
「マーガレット。そのことはお母様とも相談しないといけないんだよ。それにすぐにどうこうできるような話じゃないんだ」
「お母様にはもうお願いしたわ。でも無理だって仰るの。星を買う方が簡単だって」
「うっ……そうか。そうだよね。星なら買ってあげられるかもしれないけれど、お前の次にお兄様を作るのは……簡単じゃないね」
「そうなの?どこかから買ってくるのではないの?」
「売ってないよ。それにしてもなぜマーガレットはお兄様が欲しいの?」
「だってララのところのお兄様がとても素敵なんですもの。いつもララと手を繋いで、何かと気にしておられるのよ? お菓子だって取り分けてあげているし、泣いたら抱きしめて慰めておられるわ」
「そうか……それは素敵なお兄様だね。だからマーガレットも欲しくなったのかい?」
「ええそうよ」
「妹か弟はどうだい?」
「それはダメよ」
「なぜか聞いてもいいかな?」
「だって、それでは私が優しくする方になっちゃうでしょ? 私は素敵なお兄様に愛されて守られて、優しく面倒をみてもらいたいんだもの」
「そうか……マーガレットの言い分はわかったよ。お母様とも話してみるから。でも誕生日には間に合わないな。誕生日は別のもので我慢してくれないか?」
「お兄様が来てくださるならいくらでも待つわ。じゃあ髪飾りにする!」
「わかった。髪飾りだね? マーガレットの金色の髪に良く似合うものを探しておこう」
「ありがとうお父様。愛してるわ」
「ああ、僕も愛しているよ」
手を振りながら書斎を出る愛娘の姿が滲む。
いつの間にか涙で頬を濡らしていたジェラルドだった。
「どうすればいい? どうすればいいんだ! 今まさに地に落ちようとするアドーニスを救うために、愛してやまないアフロディーテに嫌われ、命より大事なハルモニアと別れて暮らせというのか? できるわけがない」
ジェラルドはソファーに座り頭を抱えた。
その日からジェラルドの苦悩が始まった。
あと半年の間に結論を出さなくてはならないのだ。
期限を過ぎると、神父が提案してくれた貴族学園への教会推薦枠での編入に間に合わなくなってしまう。
そうなってはロベルトの将来は真っ暗だ。
優秀だと言われているロベルトでも、平民となれば上級教育は望めない。
良くて商会の下働き、悪くするとガラの悪い連中の仲間として生きるしかなくなる。
「それは惨すぎる」
そう思ってもジェラルドは踏み切れない。
愛する妻と子供が出て行きかねない案件なのだ。
あの二人を失うくらいなら死んだ方がマシだ。
「絶対に手放したくない」
この二つの思いに揺れ動くジェラルドの食欲は、日に日に落ちて行った。
「どうしたの? 最近顔色が悪いわ? お医者様には診ていただいたの?」
最愛の妻リリアがジェラルドの頬に手を添えて心配顔を見せる。
「うん、ちょっと心配なことがあってね。まあもうすぐ結論が出るさ。大丈夫だからそんな顔はしなくていいよ」
「そう? 無理はしないでね」
そう言って書斎を出て行こうとする愛妻の背中に、ジェラルドは無言で言った。
(無理をしなくちゃ君を失ってしまう)
リリアに愛想を尽かされず、ロベルトの人生を明るい方へ導く道。
「僕の頭じゃ無理だ」
誰もいなくなった書斎に、ジェラルドの溜息だけが聞こえた。
「お父様!」
ノックもせずに、愛娘のマーガレットが駆け込んで来る。
「どうしたの? 僕の可愛いお姫様」
「あのね、私のお誕生日のことなんだけど」
「ああ、楽しみだね。ところで僕のお姫様は、今年でお幾つになられるのかな?」
「9歳よ」
「9歳かぁ。それならそろそろドアをノックしなくちゃいけないことは覚えないとね?」
「あっ、ごめんなさい。お父様に会いたくて焦っちゃった。いつもはきちんとできるのよ」
「ああ、知っているよ。僕のお姫様は立派な淑女だものね」
「そうよ」
「それで? 何か欲しいものが決まったのかい?」
「ええ、やっと決まったわ。ずっとずっとずう~っと考えたの」
「何が欲しいの?」
「あのね。お兄様が欲しいの」
ジェラルドは盛大に咳き込んだ。
「大丈夫? お父様、私って何か変なことを言った?」
「あっ……いや、まあ」
ジェラルドは娘の前に跪いて目線を合わせた。
「マーガレット。そのことはお母様とも相談しないといけないんだよ。それにすぐにどうこうできるような話じゃないんだ」
「お母様にはもうお願いしたわ。でも無理だって仰るの。星を買う方が簡単だって」
「うっ……そうか。そうだよね。星なら買ってあげられるかもしれないけれど、お前の次にお兄様を作るのは……簡単じゃないね」
「そうなの?どこかから買ってくるのではないの?」
「売ってないよ。それにしてもなぜマーガレットはお兄様が欲しいの?」
「だってララのところのお兄様がとても素敵なんですもの。いつもララと手を繋いで、何かと気にしておられるのよ? お菓子だって取り分けてあげているし、泣いたら抱きしめて慰めておられるわ」
「そうか……それは素敵なお兄様だね。だからマーガレットも欲しくなったのかい?」
「ええそうよ」
「妹か弟はどうだい?」
「それはダメよ」
「なぜか聞いてもいいかな?」
「だって、それでは私が優しくする方になっちゃうでしょ? 私は素敵なお兄様に愛されて守られて、優しく面倒をみてもらいたいんだもの」
「そうか……マーガレットの言い分はわかったよ。お母様とも話してみるから。でも誕生日には間に合わないな。誕生日は別のもので我慢してくれないか?」
「お兄様が来てくださるならいくらでも待つわ。じゃあ髪飾りにする!」
「わかった。髪飾りだね? マーガレットの金色の髪に良く似合うものを探しておこう」
「ありがとうお父様。愛してるわ」
「ああ、僕も愛しているよ」
手を振りながら書斎を出る愛娘の姿が滲む。
いつの間にか涙で頬を濡らしていたジェラルドだった。
「どうすればいい? どうすればいいんだ! 今まさに地に落ちようとするアドーニスを救うために、愛してやまないアフロディーテに嫌われ、命より大事なハルモニアと別れて暮らせというのか? できるわけがない」
ジェラルドはソファーに座り頭を抱えた。
168
お気に入りに追加
3,586
あなたにおすすめの小説
【完結】わたしはお飾りの妻らしい。 〜16歳で継母になりました〜
たろ
恋愛
結婚して半年。
わたしはこの家には必要がない。
政略結婚。
愛は何処にもない。
要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。
お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。
とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。
そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。
旦那様には愛する人がいる。
わたしはお飾りの妻。
せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。
愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
記憶がないなら私は……
しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。 *全4話
公爵夫人は愛されている事に気が付かない
山葵
恋愛
「あら?侯爵夫人ご覧になって…」
「あれはクライマス公爵…いつ見ても惚れ惚れしてしまいますわねぇ~♡」
「本当に女性が見ても羨ましいくらいの美形ですわねぇ~♡…それなのに…」
「本当にクライマス公爵が可哀想でならないわ…いくら王命だからと言ってもねぇ…」
社交パーティーに参加すれば、いつも聞こえてくる私への陰口…。
貴女達が言わなくても、私が1番、分かっている。
夫の隣に私は相応しくないのだと…。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
【完結】これからはあなたに何も望みません
春風由実
恋愛
理由も分からず母親から厭われてきたリーチェ。
でももうそれはリーチェにとって過去のことだった。
結婚して三年が過ぎ。
このまま母親のことを忘れ生きていくのだと思っていた矢先に、生家から手紙が届く。
リーチェは過去と向き合い、お別れをすることにした。
※完結まで作成済み。11/22完結。
※完結後におまけが数話あります。
※沢山のご感想ありがとうございます。完結しましたのでゆっくりですがお返事しますね。
一番悪いのは誰
jun
恋愛
結婚式翌日から屋敷に帰れなかったファビオ。
ようやく帰れたのは三か月後。
愛する妻のローラにやっと会えると早る気持ちを抑えて家路を急いだ。
出迎えないローラを探そうとすると、執事が言った、
「ローラ様は先日亡くなられました」と。
何故ローラは死んだのは、帰れなかったファビオのせいなのか、それとも・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる