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1 青天霹靂
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(せいてんへきれき=まったく予期していなかった突然の出来事)
店の中に大きな音が響く。
粉々になったグラスの破片が彼の足元に散らばっていた。
「噓だろ? 噓だと言ってくれ……」
「私もそう思いたかったわよ。いいえ、そう思ったから今まで見ないふりをしてきたの」
「君は気づいていたのか?」
「薄々ね。だって本当に貴方に生き写しなんだもの」
「そんな……」
「今度会ってやってよ。貴方にとっては第一子よ。不本意でしょうけれど」
「信じられん」
「でも覚えはあるでしょ? 私が隣国に旅立つ前の夜。卒業式の後よ」
「うっ……それは……でも君は純潔じゃなかった」
「ええ、私の純潔を奪ったのは夫よ。まあ今となっては元夫だけど。彼とは10才の頃に婚約した。それから長期休みは会っていたりはしたのよ。まあ、婚約者なんだから当たり前だけどね。あちらの国の風習で、婚約者同士は同じ寝室を使うの。だから私たちもそうしていたわ。10才の時からあちらに行くといつもね。それまでは子供だったし何も無かった。だから、18才になったあの日も当たり前のように彼の寝室に入ったわ。その日初めて求めてきたのよ。拒めるわけ無いでしょう?」
「じゃあなんであの日僕を誘った?」
「う~ん? だってずっと好きだったもの。思い出が欲しかったのかもね。でも貴方も悪いわ。結婚式を来週に控えた私に、何の躊躇も無く乗っかったでしょう?朝まで何度も何度も……お互い様よね?」
「ぐっ……まあ、それはそうだが。でも今更認知しろって言われても、僕にも家庭があるんだ。子供だっている。何より僕は妻を愛している」
「分かっているわ。なにも面倒をみてくれとか、第二夫人にしてくれって言ってるわけじゃないのよ。平民として最下層で暮らす覚悟で家を出たし、実家から縁を切られたのも予想通りだわ。私は良いの。自業自得だと思ってる。でもあの子はたった数年前まで伯爵家の嫡男として何不自由ない暮らしをしていたのに、今では教会主催の学校に平民として通っているの。でもあの子は、私と暮らせるならそれでも良いって……耐えているのよ。元貴族の貧乏人だなんて他の生徒たちに虐められても、あの子は私に愚痴さえ言わない」
顔を歪めて泣くバネッサを見ながら、ジェラルド・パーシモン次期侯爵は口を開いた。
「可哀想だとは思うよ……だけど……」
二人は同じ貴族学園の同級生だった。
当時二人は恋人同士だと学園中に認知されていた。
バネッサには婚約者がいたが、隣国のため誰も知らない。
両家の都合で公にはされていなかったのだ。
卒業と同時に別れたと知った友人たちが見せた驚愕の表情は、もう遠い昔の笑い話だ。
バネッサの嫁ぎ先は、二人が暮らすバージル王国から馬車で二日走れば国境に着くセイレーン王国の伯爵家。
その嫡男であるローランド・リンガー次期伯爵は、お国柄なのか自身の考えなのか、花嫁の純潔には拘っておらず、バネッサが最終学年になった年の夏休みに、結婚式の打ち合わせに訪れた彼女をあっさりと抱いた。
「君が純潔だったのは意外だったが、私が初めての男だなんててうれしい限りだよ」
今まで知らなかった腰の痛みで目覚めた朝、近い将来夫となるローランドから掛けられたこの言葉を、バネッサは今も忘れてはいない。
それから数か月、卒業式の夜会の後で送るというジェラルドと一緒に乗り込んだ馬車の中で、彼女の方から誘った。
婚約者がいることを知っていたジェラルドは、いずれ訪れる別れを覚悟していた。
だからこそ、一線は絶対に越えなかったし、心のすべてを捧げるようなこともなかった。
しかし、今にも爆発しそうな若い欲を縛っていた鎖は、好きな女の願いを無下にできるほど強靭ではない。
明日は人妻だという背徳感も、彼の背中を後押ししたのだろう……しかし。
「若気の至りでは済まされないな」
ジェラルドはそう呟いて、バネッサの前に座りなおした。
そんなジェラルドを見たバネッサは、申し訳なさそうな顔で話を続ける。
結婚してすぐに授かったと思っていた子供の顔を見たとき、ジェラルドの子供かもしれないと思ったことや、夫婦とも違う色を持って生まれたにもかかわらず、夫は何も疑問を持たなかったことなど、感情を交えず淡々と説明していくバネッサ。
「どうして疑わなかったんだ?」
「あの子の色が、彼の母方のおばあさまと同じだったのよ」
「最悪の偶然だな」
「ええ、今となってはね。でも私はその時、物凄くホッとしたわ」
「まあ、分かるような気がするよ。でも結局は知られたんだ」
「それは貴方のせいよ。二年前に皇太子と一緒にセイレーン国に来たでしょう?夫もあの会議の席にいたの。貴方の顔を見てすぐに分かったって言ってたわ」
「外務大臣と共に同行したあれか……。そんなに一目でわかるほど似てるの?」
「そうよ。髪も目も体つきも、その泣き黒子もね」
「マジかよ……」
「夫はすぐに調べたそうよ。ほら、私たちって付き合ってるのを特に隠してなかったじゃない。同級生達はもちろん、学校中が知っていたでしょう?ごまかしようも無いわ」
「ああ、そうだったな。一線は超えてないから婚約者がいても浮気にはならないなんて、子供の言い訳が通用するって思ってたんだよな。バカなことだ」
「夫は私たちがそういう関係だったとしても何も言わなかったと思う。そういう人なのよ。でも自分の血が入ってない子供に後を継がせるわけにはいかない。当たり前よね。それにあの人、本当にロベルトのことを可愛がっていたもの」
「そうか……ショックだったのだろうね」
「ええ。とても傷つけてしまったわ」
「それで離婚?」
「私から申し出たの。騙すつもりはなかったのよ。これは本当。でももしかしたらとは思ってたから、やっぱり騙してたことになるのかな……。でも彼は私の言い分を信じてくれた。だから慰謝料は請求しないって言われたわ。表向きは円満離婚よ」
「そうか……。何て言えばいいのかわからないが」
「もうそのことは良いのよ。さっきも言ったけれど自業自得。でもね、あの子に責任は無いでしょう?責任を負うべきは貴方と私でしょう?」
「うっ……。それはその通りなんだが……」
「それでね……」
バネッサは息子が通う教会の神官に提案された貴族学園への編入をジェラルドに話した。
それを聞いたジェラルドは、ロベルトにとってとても良いことだと思った。
条件さえクリアできれば来春から入学が叶うらしいが、その条件が……。
「誰が父親なのかを明確にすることなの」
バネッサの言葉にジェラルドは両手で顔を覆うしかなかった。
店の中に大きな音が響く。
粉々になったグラスの破片が彼の足元に散らばっていた。
「噓だろ? 噓だと言ってくれ……」
「私もそう思いたかったわよ。いいえ、そう思ったから今まで見ないふりをしてきたの」
「君は気づいていたのか?」
「薄々ね。だって本当に貴方に生き写しなんだもの」
「そんな……」
「今度会ってやってよ。貴方にとっては第一子よ。不本意でしょうけれど」
「信じられん」
「でも覚えはあるでしょ? 私が隣国に旅立つ前の夜。卒業式の後よ」
「うっ……それは……でも君は純潔じゃなかった」
「ええ、私の純潔を奪ったのは夫よ。まあ今となっては元夫だけど。彼とは10才の頃に婚約した。それから長期休みは会っていたりはしたのよ。まあ、婚約者なんだから当たり前だけどね。あちらの国の風習で、婚約者同士は同じ寝室を使うの。だから私たちもそうしていたわ。10才の時からあちらに行くといつもね。それまでは子供だったし何も無かった。だから、18才になったあの日も当たり前のように彼の寝室に入ったわ。その日初めて求めてきたのよ。拒めるわけ無いでしょう?」
「じゃあなんであの日僕を誘った?」
「う~ん? だってずっと好きだったもの。思い出が欲しかったのかもね。でも貴方も悪いわ。結婚式を来週に控えた私に、何の躊躇も無く乗っかったでしょう?朝まで何度も何度も……お互い様よね?」
「ぐっ……まあ、それはそうだが。でも今更認知しろって言われても、僕にも家庭があるんだ。子供だっている。何より僕は妻を愛している」
「分かっているわ。なにも面倒をみてくれとか、第二夫人にしてくれって言ってるわけじゃないのよ。平民として最下層で暮らす覚悟で家を出たし、実家から縁を切られたのも予想通りだわ。私は良いの。自業自得だと思ってる。でもあの子はたった数年前まで伯爵家の嫡男として何不自由ない暮らしをしていたのに、今では教会主催の学校に平民として通っているの。でもあの子は、私と暮らせるならそれでも良いって……耐えているのよ。元貴族の貧乏人だなんて他の生徒たちに虐められても、あの子は私に愚痴さえ言わない」
顔を歪めて泣くバネッサを見ながら、ジェラルド・パーシモン次期侯爵は口を開いた。
「可哀想だとは思うよ……だけど……」
二人は同じ貴族学園の同級生だった。
当時二人は恋人同士だと学園中に認知されていた。
バネッサには婚約者がいたが、隣国のため誰も知らない。
両家の都合で公にはされていなかったのだ。
卒業と同時に別れたと知った友人たちが見せた驚愕の表情は、もう遠い昔の笑い話だ。
バネッサの嫁ぎ先は、二人が暮らすバージル王国から馬車で二日走れば国境に着くセイレーン王国の伯爵家。
その嫡男であるローランド・リンガー次期伯爵は、お国柄なのか自身の考えなのか、花嫁の純潔には拘っておらず、バネッサが最終学年になった年の夏休みに、結婚式の打ち合わせに訪れた彼女をあっさりと抱いた。
「君が純潔だったのは意外だったが、私が初めての男だなんててうれしい限りだよ」
今まで知らなかった腰の痛みで目覚めた朝、近い将来夫となるローランドから掛けられたこの言葉を、バネッサは今も忘れてはいない。
それから数か月、卒業式の夜会の後で送るというジェラルドと一緒に乗り込んだ馬車の中で、彼女の方から誘った。
婚約者がいることを知っていたジェラルドは、いずれ訪れる別れを覚悟していた。
だからこそ、一線は絶対に越えなかったし、心のすべてを捧げるようなこともなかった。
しかし、今にも爆発しそうな若い欲を縛っていた鎖は、好きな女の願いを無下にできるほど強靭ではない。
明日は人妻だという背徳感も、彼の背中を後押ししたのだろう……しかし。
「若気の至りでは済まされないな」
ジェラルドはそう呟いて、バネッサの前に座りなおした。
そんなジェラルドを見たバネッサは、申し訳なさそうな顔で話を続ける。
結婚してすぐに授かったと思っていた子供の顔を見たとき、ジェラルドの子供かもしれないと思ったことや、夫婦とも違う色を持って生まれたにもかかわらず、夫は何も疑問を持たなかったことなど、感情を交えず淡々と説明していくバネッサ。
「どうして疑わなかったんだ?」
「あの子の色が、彼の母方のおばあさまと同じだったのよ」
「最悪の偶然だな」
「ええ、今となってはね。でも私はその時、物凄くホッとしたわ」
「まあ、分かるような気がするよ。でも結局は知られたんだ」
「それは貴方のせいよ。二年前に皇太子と一緒にセイレーン国に来たでしょう?夫もあの会議の席にいたの。貴方の顔を見てすぐに分かったって言ってたわ」
「外務大臣と共に同行したあれか……。そんなに一目でわかるほど似てるの?」
「そうよ。髪も目も体つきも、その泣き黒子もね」
「マジかよ……」
「夫はすぐに調べたそうよ。ほら、私たちって付き合ってるのを特に隠してなかったじゃない。同級生達はもちろん、学校中が知っていたでしょう?ごまかしようも無いわ」
「ああ、そうだったな。一線は超えてないから婚約者がいても浮気にはならないなんて、子供の言い訳が通用するって思ってたんだよな。バカなことだ」
「夫は私たちがそういう関係だったとしても何も言わなかったと思う。そういう人なのよ。でも自分の血が入ってない子供に後を継がせるわけにはいかない。当たり前よね。それにあの人、本当にロベルトのことを可愛がっていたもの」
「そうか……ショックだったのだろうね」
「ええ。とても傷つけてしまったわ」
「それで離婚?」
「私から申し出たの。騙すつもりはなかったのよ。これは本当。でももしかしたらとは思ってたから、やっぱり騙してたことになるのかな……。でも彼は私の言い分を信じてくれた。だから慰謝料は請求しないって言われたわ。表向きは円満離婚よ」
「そうか……。何て言えばいいのかわからないが」
「もうそのことは良いのよ。さっきも言ったけれど自業自得。でもね、あの子に責任は無いでしょう?責任を負うべきは貴方と私でしょう?」
「うっ……。それはその通りなんだが……」
「それでね……」
バネッサは息子が通う教会の神官に提案された貴族学園への編入をジェラルドに話した。
それを聞いたジェラルドは、ロベルトにとってとても良いことだと思った。
条件さえクリアできれば来春から入学が叶うらしいが、その条件が……。
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