上 下
56 / 61

55

しおりを挟む
 サリーが口を開いた。

「ロバート様、そしてマーカス様。始めましょう」

 二人は穏やかな微笑みを湛えて一歩前に出た。

「羽虫になったらサム隊長が地下牢に連れて行きます。後は予定通りに」

「ああ、わかった」

「問題ありません。移動前に通信のテストだけしてみましょうか」

 全員が頷いた。
 サリーが呪文を唱える。
 二人の姿が霞の中に消え、ぷーんという羽音がサリーの耳元でした。

『聞こえますか?』

『ああ、聞こえる。感度良好だ。シューンとサリーも大丈夫だな?』

 ウサキチの声が脳内に響いた。
 二人は頷くと、周りの人たちを見回す。
 その場にいる全員が頷き返した。

『では始めようか』

 シューンの声だ。
 サムがニコッと笑った。
 サリーの耳元から羽音が遠ざかり、サムの髪の毛にとまるのが見えた。

『サム隊長って柑橘系の香油を使っているんですね』

 ロバートが明るい声を出す。
 サムは何も言わずただ照れるように笑った。

「騎士達は既にワルサー邸の周りに潜んでいます。奴らを解放したら私が尾行しますので、サリーは殿下たちと一緒に移動してください」

「わかりました」

 遂に作戦が動き出した。
 サリーは動きやすい騎士服に着替え、二人を連れて馬車に乗り込んだ。

「ガヴァネスと一緒に市井見学という感じで城を出ます」

「ああ、わかった。ウサキチは影武者っていうことにすれば怪しむ者もいないだろう」

 シューンの声にウサキチが口を開いた。

「サリーは白にしなかったのか?」

 サリーが纏った騎士服のことを言っているのだろう。

「白って正装用しか無くて、貧相な私の体では重すぎるし、大きすぎたのよ」

「貧相って……まあ、確かにそうだな」

 三人は何でもないような会話をしながらワルサー邸への道を進んだ。
 最近読んだ絵本の感想や、一番好きなおやつは何かなど、おおよそ今から死地に赴く者たちの会話ではない。
 三人ともただこの時間を楽しんだ。
 馬車がゆっくりと停まり、楽しい時間の終わりを知らせる。

「さあ、まっすぐに来てくれるかな?」

 サリーが自分ん横に置いていたバスケットを開けた。

「腹が減っては戦はできぬという言葉を知っている? まずは腹ごしらえよ。大丈夫、絶対に成功するわ」

 バスケットの中にはシューンの大好きなベーコンとトマトのサンドイッチが入っていた。
 他にもマフィンやビスケットなど、全てシューンの好きなものばかりだ。

「これはイース殿下の心づくしよ。料理長が張り切って作ってくれたの」

「わ~い!」

 シューンが手を伸ばす。

「こら! 手を拭いてからでしょう?」

「あっ、ごめんなさい」

 シューンとウサキチの手を濡れタオルで清めながら、サリーはにこにこと笑った。

「思えば人の食いものを口にするのは初めてだ」

「そうなの?」

「ああ、今までは勇者の姿になってすぐに戦闘が始まっていたし、それまではぬいぐるみと帽子だったからな。喋れても食える口は無かったんだ」

「それは残念だったわね。おいしいのよ? たくさん召し上がれ」

 サリーはウサキチの前にバスケットを置いてやった。

「本当はちょっと食べてみたいなって思ってたんだ。ずっと」

「言えば良かったのに」

「そうは言っても、今回が初めてだからなぁ。誰かが協力してくれるのって」

「そうかぁ……辛かったね」

「いや? もともとそんなものだと思っていたから、そうでもないぞ? 今回が特殊なんだ」

「そうね、でも今回が最後よ。次は無い」

「ああ、そうだ。これで永遠に終わらせよう」

 シューンは早くも二個目のサンドイッチに手を伸ばす。

「あっ! 待て! 全部喰うつもりか」

 ウサキチも負けじと食べ始めた。
 そんな二人を微笑ましく見詰めるサリーの前にサンドイッチが差し出された。

「シューン?」

「一緒に食べよう?」

 首をコテンと傾けながら、短い手を伸ばすシューン。
 サリーはにっこりとほほ笑んでサンドイッチを受け取った。

「まあ! マジでおいしいわぁ」

「そうだよね。卵も入っていたら大好きだったBLTサンドだけど、無くても十分おいしいよね」

「そう言えば瞬はBLTサンド大好きだったよね」

「うん。でも全部は食べられなかったよね、あの頃は」

「だってまだ小さかったもの。今はこんなに大きくなって……大きく……」

 サリーは堪らず涙を零した。
 二人は見ないふりをしてサンドイッチに視線を戻す。
 その時、馬車のドアを小さくノックする音がした。

「来ました。サルーン伯爵です。奥方も一緒ですね」

「わかりました。皆さんは合図があるまで待機してください」

「了解です。ご武運を」

「ありがとう。皆さんはくれぐれも安全第一で行動するよう伝えてください」

 細く開けられていたドアが閉まる。
 サリーは二人を見て小さく頷いた。

『ロバート? 聞こえる? マーカスは?』

 二人の声が同時に聞こえた。

『聞こえるぞ。上手くいったよ。後は屋敷に入るだけだ。サリーはそろそろ準備だな?』

『了解。美猫になって合流するわ』

 イースの声が聞こえた。

『サリー……愛している。必ず戻ってくれ』

 サリーの肩がビクッと跳ねた。
 シューンとウサキチがサムズアップしてニヤッと笑った。

『イース殿下、行ってまいります』

 サリーは自分に呪文を唱え、真っ白な猫に変身した。
 シューンが馬車のドアを開ける前に、サリー猫を抱きしめた。

「僕も愛しているよ」

「私もだ。サリー、お前は良い女だ」

 ウサキチはそう言うと、目を袖口でグイっとこすった。
 サリーは二人の頬に鼻を寄せて、順番にキスを贈った。

「行ってくるわ。あとでね」

 走り去るサリーの姿を、二人は瞼に焼き付けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

こちらの異世界で頑張ります

kotaro
ファンタジー
原 雪は、初出勤で事故にあい死亡する。神様に第二の人生を授かり幼女の姿で 魔の森に降り立つ 其処で獣魔となるフェンリルと出合い後の保護者となる冒険者と出合う。 様々の事が起こり解決していく

転生したら大好きな乙女ゲームの世界だったけど私は妹ポジでしたので、元気に小姑ムーブを繰り広げます!

つなかん
ファンタジー
なんちゃってヴィクトリア王朝を舞台にした乙女ゲーム、『ネバーランドの花束』の世界に転生!? しかし、そのポジションはヒロインではなく少ししか出番のない元婚約者の妹! これはNTRどころの騒ぎではないんだが! 第一章で殺されるはずの推しを救済してしまったことで、原作の乙女ゲーム展開はまったくなくなってしまい――。    *** 黒髪で、魔法を使うことができる唯一の家系、ブラッドリー家。その能力を公共事業に生かし、莫大な富と権力を持っていた。一方、遺伝によってのみ継承する魔力を独占するため、下の兄弟たちは成長速度に制限を加えられる負の側面もあった。陰謀渦巻くパラレル展開へ。

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

~クラス召喚~ 経験豊富な俺は1人で歩みます

無味無臭
ファンタジー
久しぶりに異世界転生を体験した。だけど周りはビギナーばかり。これでは俺が巻き込まれて死んでしまう。自称プロフェッショナルな俺はそれがイヤで他の奴と離れて生活を送る事にした。天使には魔王を討伐しろ言われたけど、それは面倒なので止めておきます。私はゆっくりのんびり異世界生活を送りたいのです。たまには自分の好きな人生をお願いします。

転生したら唯一の魔法陣継承者になりました。この不便な世界を改革します。

蒼井美紗
ファンタジー
魔物に襲われた記憶を最後に、何故か別の世界へ生まれ変わっていた主人公。この世界でも楽しく生きようと覚悟を決めたけど……何この世界、前の世界と比べ物にならないほど酷い環境なんだけど。俺って公爵家嫡男だよね……前の世界の平民より酷い生活だ。 俺の前世の知識があれば、滅亡するんじゃないかと心配になるほどのこの国を救うことが出来る。魔法陣魔法を広めれば、多くの人の命を救うことが出来る……それならやるしかない! 魔法陣魔法と前世の知識を駆使して、この国の救世主となる主人公のお話です。 ※カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。

【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~

イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」   どごおおおぉっ!! 5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略) ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。 …だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。 それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。 泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ… 旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは? 更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!? ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか? 困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語! ※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください… ※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください… ※小説家になろう様でも掲載しております ※イラストは湶リク様に描いていただきました

余命半年のはずが?異世界生活始めます

ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明… 不運が重なり、途方に暮れていると… 確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...