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「ここも見覚えが無いか?」

「うん、無いわ。やっぱり前の世界とは場所も次元も違うのかもしれないわね。文明的には200年ぐらい遅いんじゃないかな」

「こちらの方が遅れてるのか?」

「そうね、私がいた世界では飛行機っていう鉄の塊が人を乗せて空を飛んでいたし、道路は車が走ってた。ああ、車って言うのは馬車みたいなものだけど、動力が違うのよ。ガソリンっていう燃料を使うんだけど、構造は知らない」

「そうか。でも逆に言うと200年も経てばここもそうなるってことだよな?」

「そうかもしれないね」

 気のない返事をするさおりの顔をロバートが覗き込んだ。
 さおりはボーッと遠くの景色を、見るともなく眺めている。
 暫しの沈黙の後、さおりが口を開く。

ねえ、ロバートさん。ずっと考えていたんだけど、私がこの世界に来た意味って何だと思う?」

「来た意味? 何かを為すために来たって事?」

「うん、そうじゃないと意味ないでしょ? まあ、シングルマザーのクラブホステスが憐れだと思って、神様が生きなおしさせたのかも知れないけど、それなら子供も一緒っていうのがねぇ……しかも息子が大事にしてたぬいぐるみ付きよ? 何か裏があると思うのよね」

「君がそう思うならそうなんだろう。僕は君の言っていることを信じてはいるが、正直に言うと理解はできない。というか、たぶん僕ではない人間は、まず精神疾患を疑うだろうね」

「なぜロバートさんは信じてくれるの?」

「うん、これは我が家の絶対的な秘密なんだが……実は僕の祖母が君と同じようなことを言っていたんだ」

「えっ!」

「祖母がまだ小さかった僕を庇って階段から落ちたということがあったんだ。落ちていく祖母の顔は今でもはっきり覚えているよ。二日位かな、昏睡状態が続いた後、こう言ったんだよ」

 さおりはロバートの言葉を待った。

「あなた達は誰なの? ここはどこなのってね。怯えた顔をして狼狽えていたんだ。医者は意識の混濁だと言ったけど、祖母が現実を受け入れるまでにひと月はかかったよ。あれほど可愛がってくれていた僕のことも覚えてないし。自分は酷い心臓病で入院していたはずだって言ってね。なんと言うか、とても辛そうだった」

「そう。そんなことが……」

「結局祖母は、それから十数年生きて老衰で死んだ。とても穏やかな最後だったよ」

「それは……心からお悔やみ申し上げます。それにしても、そういう過去を持っているあなたが側にいてくれて良かったわ。あなた以外だと誰も信じてはくれなかったでしょうね」

「そうだな。そういう意味では君はラッキーだったかもな」

 二人は並んで歩きながら、少しだけしんみりした空気を醸し出していた。
 どちらも口をきかず、ただひたすら歩いている。

「なあ、サリー。シューン殿下のことだけど、顔は? 殿下の顔は君の息子と似てるの?」

「似てないわ。でも間違いないと思うの。会ってみないと確信はできないけどね」

「どうせ会うことになるさ。担当メイドなんだから」

「シューン殿下のウサギのぬいぐるみって、前からあるの?」

「ああ、確か生まれてからずっと側に置いていたと思う」

「そうかぁ……ウサキチとは違うのかもね」

「そう言えばウサキチって何?」

「瞬がとても大切にしていたぬいぐるみよ。1歳の誕生日に買ってやったの。それからずっと一緒。私ね、学生時代に妊娠して瞬を産んだの。妊娠したって言った日に、信じてた恋人に捨てられたのよ。だから一人で産んで一人で育ててきた」

「ご両親は? 協力してくれなかったの?」

「怖くて言えなかったの。常識から外れることを極端に嫌う両親だったし、とても言えなかった。だから学校を止めて、一人で上京して……人並み以上の苦労はしたと思う。出産の直前まで働いていたし。そのせいで出血が酷くてね、もう子供は産めないって言われたわ」

「そうか……でもそれは前世での体だろ? 今の君は健康そのものだぜ?」

「ああ、そうかぁ。そうよね。出産もしてないもんね。処女なのかしら」

「……っ。それは……知らんが」

「元の世界は、貞操観念っていう言葉自体が死語のようなものだった。今考えたらバカみたいだわ」

「結婚も早かったのか?」

「いいえ、結婚は遅い人が多かったかな。というより結婚しない人も多かった。だから子供の数がどんどん減っていたのよね。少子高齢化の世界よ」

「ふぅん。でも君は出産をしたんだね。一人で頑張ったんだね。若いのに凄いな」

 ロバートは公園のベンチにさおりを誘った。

「この世界で生きていくための話をしよう。今考えられるのは3つのパターンだ。1つ目は君が言うように、母子ともに転生して、両方とも前世の記憶を持っている。2つ目は、母子ともに転生したが、子供の方は記憶を持っていない。3つ目は……息子さんは転生しなかった。君が殿下を息子だと思い込んでいるだけかも知れないだろ?」

「そうね……確かにその可能性もあるわね。事実として確かなのは、私は間違いなく前世の記憶を持ったまま、この世界に転生したってことね」

「……君は、何がしたい?」

「ん? 何って?」

「君の希望だよ。おそらく戻ることはできない。だったら、こっちで天寿を全うすることになるだろ? それに君はまだ若い。美しさも健康も持っている。君の未来は希望だらけってことだ」

「ありがとう。ポジティブな言い方をしてくれて。そうよね、落ち込んでも何も変わらないものね」

 さおりはふと空を見上げた。
 さっきまであれほど明るかった空が、少しだけ滲んでいる。
 ロバートがハンカチを差し出した。
 それを見たさおりは、その時初めて自分が泣いていることに気づいた。

「どちらにしても、瞬を……シューン殿下が瞬なのかを確かめるわ。それによっていろいろ考えなくちゃ」

「うん、協力は惜しまないよ。なんと言うか、僕を庇ってくれた祖母への恩返しにもなるんじゃないかって思うんだ」

 二人は目を合わせて微笑み合った。
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