和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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再戦希望

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 高杉が久秀を見た。

「安藤、傷はどうだ?」

「俺は大丈夫ですよ。薄皮一枚って感じです。高杉さんこそ大丈夫ですか?」

「そうか……薄皮か。俺は大丈夫だ。それよりまずは詫びさせてくれ。此度のこと、本当に申し訳なかった。よもやこのお三方が俺ごときを謀るなどあるはずもない。山本先生のことも……師になり替わって謝罪する」

「ああ、その謝罪なら首に傷をつけられた妻の咲良に言ってください。俺に言われても山本を許す気持ちはありませんから」

 高杉が振り返って咲良に頭を下げた。
 咲良はそれを受け、少し頭を下げてみせる。
 駒井が口を開いた。

「これにて一件落着ということですな?」

 佐々木が笑いながら言う。

「それは私の口上ですよ。駒井さん。ああそれと、あちらはどのように?」

 三良坂がいう。

「奥の方々には、私の方から灸をすえておきましょう」

 笑い合っている上座の三人に一瞥をくれた宇随が高杉に話しかけた。

「俺たちは三人がかりでも山本の居合を防ぎきれなんだ。お陰で俺はあと半月ほど杖持ちだ。先ほど見たお前の焔……あれは山本仕込みか?」

「焔……見えましたか。安藤も出していましたね。きれいな色だった」

「ああ、お前のは薄萌黄色だった」

「そうなのですか?」

 高杉の声に久秀も同調する。

「え? 色が違うのですか? 自分のは見えないんですよね。俺のって何色なんですか?」

「お前のは空色だ」

 柴田の声に高杉が頷く。

「ああ、安藤のは空色だった。晩春の……そうだなぁ、桜の花が咲く頃の青空のようだった」

 ニヤッと笑った久秀が咲良を見た。
 それを新之助がドロッとした目で受け止める。
 高杉がポツリと言った。

「俺は……これからどうすれば良いのだろうな……事実を知ってもなお、師への気持ちを捨てきれんのだ」

 久秀が明るい声を出した。

「ねえ、高杉さん。再戦しましょうよ。俺も景浦先生の『飛竜剣』を極めたい。あなたもそうでしょう? 山本は好かんがあの人の剣は美しかった」

「山本半兵衛先生直伝の『虎翼剣』を守りたい」

「だから、再戦しましょう。でも、俺は死にたくないんですよ。真剣は無しで。どうです?」

 高杉が頷いた。
 三良坂が手を叩いて喜んでいる。

「それは絶対に見逃せないぞ! その場は私が準備しよう。いつだ? いつにする?」

 三良坂の声に苦笑いをしながら、久秀が肩を竦めて見せた。

「ああ、そうだ。高杉さん、小夜さんの居場所知ってますけど、教えましょうか?」

 一瞬躊躇った後、高杉が首を横に振った。

「お前との勝負が終わるまでは聞かないでおこう」

 お開きとなった後、佐々木の差配で閉所されていた山本道場で鍛錬をすることを許された高杉は、非礼を改めて詫びつつ、北町奉行所を出た。
 久秀たちは来た時と同じように舟で日本堤を目指す。
 待ちかねていたお嶋達は、久秀の無事な姿を見て大騒ぎだ。
 板場は蜂の巣を突いたような騒ぎで、どんどん料理が作られていき、いつものように板の間に車座に座る。

 事の顛末を聞いたお嶋が驚いた顔をした。

「終わったのにまた自分で始めてしまったのかい?」

 久秀が苦笑いを浮かべる。

「俺も所詮は剣客ということだろうなぁ。あの剣を正面から受けたくて堪らなくなった」

「咲良さんはそれでいいのかい?」

 咲良が微笑む。

「私は旦那様が生きていればそれだけで十分です」

 お市が溜息を吐く。

「凄い覚悟ですねぇ……まああれほどのことを乗り越えたんだ。今の言葉は重みが違いますよ。それにしても安藤様と咲良様ってお国には帰らなくていいのですか?」

 久秀が困った顔をする。

「うん、どうやら俺は主君を捨てて咲良を拐した大罪人らしくてさ。安藤家から除籍されちゃったみたいなんだよね。だから帰る場所がない」

「えええっ! そんなバカな……」

 咲良が口を開く。

「新之助様はどうなさいます?」

 三沢家の家名を取り戻した新之助は、国に帰って家を立て直すという道ができたのだ。
 まだ元服もしていないので後見人は必要だが、三良坂も駒井も後ろ盾になると言っている。
 新之助が座りなおして背筋を伸ばした。

「私は……戻るつもりはありません」

 その場にいる全員が動きを止めた。
 大きく息を吸ってから、新之助が続ける。

「私は……剣も弱いし、体力もないし、すぐ泣くし……宇随先生と柴田先生に見える焔も見えませんでした。そんな私に何が出来るのでしょう。三沢の名前は伝えたいと思っていますが、あの家にはもう……」

 久秀が新之助の背中をポンと叩いた。

「うん、わかる。良い思い出もたくさんあるだろうけれど、あの場面を思い出すのは辛すぎるよ。ただの三沢新之助で良いんじゃないかな。咲良はどう思う?」

「ええ、私もそれでいいと思います。きっと小由女さまも哲成さまも喜んでくださいますよ」

 新之助は久しく耳にもせず、口にも上らせなかった母と兄の名に触れて顔を歪ませた。
 久秀が続ける。

「きっとそうだね。だってご家老が俺に言ったのは『新之助を頼む』っていう一言でしたからね。新之助様は自由ですよ」

「しかも立派に仇討ちを成し遂げたんだ。胸を張っていい」

 師である柴田の声に新之助が頷いた。
 久秀が軽く言う。

「では私と咲良の子になりますか? あ……でも親子別姓は拙いか」

 宇随が声を出す。

「もうお前は安藤家の人間じゃないのだろう? お前が三沢を名乗れよ」

「え? 俺? ええぇぇぇ……名前なんてなんでもいいけれど、咲良が作ってくれた紋を変えたくないなぁ」

 咲良が笑いながら久秀に言った。

「左三つ巴を表紋になさって、あの家紋は裏紋にすればよろしいでしょう?」

「決まったな」

 柴田の声に久秀が笑った。

「じゃあ俺たちが新之助様の養子に入るってことか? おもしれえ」

 新之助が慌てて首を振った。

「まずお二人が三沢姓になっていただき、私が養子に入ることにして下さい。だって嫌ですよ、父上とも母上とも呼んでいた人が自分の子になるなんて」

 全員が笑っている。
 この景色がこの上なく愛おしいと思う久秀だった。

「うん、そうしよう。ここは三河屋さんに動いてもらうことにしようか。姓を賜ったらすぐに祝言をあげようね、咲良」

「はい……旦那様」

 そういうことならと権左が立ち上がった。
 翌日には三良坂から書状が届き、晴れて安藤久秀は三沢久秀となったのである。
 そしてその三日後には二人の祝言が挙げられた。

「早すぎでしょ……こんなことに権力を使うのはどうかと思う」

 柴田がそう言うと宇随が窘めた。

「まあそう言うな。久秀の我慢が限界を突破している」

「ああ……そっち? なるほど」
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