和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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急報

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「何事か!」

 駆け込んできた侍に駒井が厳しい声を出した。
 その場にいる者たちの顔を見回すと三河屋が言う。

「構わん。言え」

「はっ……北町奉行所より伝令です。山名藩剣術指南役高瀬一真より、師山本半兵衛の仇討ち申請が出され、即日認可が下りました」

「なんと!」

 三河屋が苦虫を嚙み潰した顔で叫んだ。

「抜け荷の濡れ衣をそそぎ、嬲り殺された師の仇を討つとのことでございます」

 男が懐から出した書状を受け取った駒井が広げて読む。

「どうやら大奥あたりを動かしたか……よい、私が行こう。安藤からの訴状は用意してあるか?」

「はい、準備は整っております」

 立とうとする駒井を三河屋が止めた。

「そう急くな。大奥が動いたとなると、訴状など火付盗賊が動く理由にしかならん。その高瀬一真という男はご存じか?」

 安藤の方に顔を向ける三河屋。

「知っているも何も……山本の跡を継いだ一刀流の達人ですよ。この男は強いです。宇随さんとは違う意味で強い」

 宇随が聞く。

「俺とは違う意味というのは?」

 久秀が宇随の顔を見た。

「宇随さんの剣は天賦の才、高瀬さんの剣は努力の剣とでも言いましょうか。その太刀筋は読めるのです。読めるのですが防げない。とにかく早い。山本よりも早いと思います」

 宇随が目を見張った。

「あの剣より早いだと? 俄かには信じられんな……そやつ人間か?」

「ええ、多分。山本子飼いの男で、幼いころからずっと山本が直接指導していましたよ。しかも景浦光政先生の一人娘である小夜殿の許嫁でした」

 三河屋が眉間に皺を寄せる。

「小夜? 肥後屋の柳葉か?」

「そう、あの柳葉です。小夜さんが五十嵐に攫われた時には、殿さまについて国許に戻っていたはずです。俺は手合わせをしたことは無いのですが、藩の道場で稽古をつけている姿は何度か見ましたよ。小夜さんはこの許嫁が大嫌いで、よく愚痴を聞かされたものです」

 駒井が三河屋に向かって言った。

「山名藩の動きは私が責任をもって封じましょう。お取り潰しのことは三良坂様にお任せします。ただ、高瀬何某の個人的な仇討ちとなると止めようがありません。しかもすでに認可が下りたとなると……」

 宇随が明るい声を出した。

「山本を切ったのは俺だ。俺がその勝負を受けよう」

 悲鳴を上げたお市を宇随が優しく抱き込んだ。
 柴田研吾が慌てて言う。

「それを言うなら俺も安藤も一緒ですよ。宇随さんだけじゃありません。それに宇随さんは怪我をしているのですよ? 俺はそいつの剣を知りませんが、剣術指南役をするほどの腕だ。無茶ですよ」

 宇随が続ける。

「俺は山本の速さを体感している。あれより早いというだけだろ? 俺もそいつの剣は見たことが無いが、予想はできる」

 久秀が静かな声で言った。

「そういうことなら、山本の早さを体験しているし、高瀬の剣を見たことがある俺が適任ということですよね?」

 宇随と研吾が同時に声をあげた。

「いや、ちょっと待て! お前……咲良さんはどうするんだ!」

 久秀が言う。

「何を言っているんですか。宇随さんにはお市さんが、研吾には美千代さんと彩音さんがいる。みんな同じです。ただ俺の場合は、新之助という頼りになる男がいますからね。咲良を託すこともできる。その点で言えば俺が一番ふさわしい」

 久秀が咲良と新之助を見て声を出した。

「咲良、そういうことだから。新之助様、万が一の時は咲良を頼みます」

 新之助は歯を食いしばって久秀を見つめ返した。
 咲良はすっと肩の力を抜いた。

「旦那様……無事のお帰りを心よりお待ち申し上げます」

 こうなってはもう誰も何も言えない。
 その日はそのままお開きとなり、駒井の差配で日程などの調整をおこなうことになった。
 帰り際に三河屋が安藤に声を掛ける。

「いやはや……後手に回った我らの不始末でござる。できる限りの手配は致しますので」

「ええ、よろしく頼みますよ。できれば十日ほどは後がいいなぁ。咲良の傷が癒えないと心配ですからね」

「わかりました」

 その後柴田研吾一家は自宅に戻り、宇随とお市はこのまま柳屋で寝起きすることになった。
 久秀と咲良、新之助の三人は一度日本堤下の家に戻り、身の回りのものを取り纏めてから柳屋に戻ってきた。

「お嶋さん、すみません。お世話になります」

「何を言っているんだい。当たり前のことじゃないか。実家だと思って遠慮なく過ごしておくれよ。久さんも新ちゃんも遠慮なんてするんじゃないよ?」

 翌日から歩くことを禁じられた宇随を残し、久秀と新之助は柴田道場に通った。
 卑怯な手で景浦光正を倒した山本の直弟子が相手ということで、駒井の配下の者たちが二人の護衛についている。
 三河屋の指示で権左も柳屋に残り、それとなく出入りの者たちに目を光らせていた。

 三良坂弥右衛門の義兄である大目付長崎奉行川村庄五郎が動き、山名藩のお取り潰しが決したと連絡があったのは、佃島の件から十日ほど過ぎた朝だ。
 その頃には咲良の傷も癒え、宇随も杖を使えば歩けるほどには回復していた。

 久秀たちと共に道場に行こうとする宇随と、泣いて止めるお市の攻防は、籠を使うということで決着がついた。
 あれからすぐに久秀の着物を縫い始めた咲良。
 生地は正絹で動きやすい一重にしたが、襟と上腕部は二重にして真綿を縫い込んだ。
 袴は馬乗り型に仕立て、できるだけ軽い布を何枚も重ねて強化している。

「凄いな。これほど重ねているのに、普通の道着より軽いじゃないか」

 宇随と久秀がしきりに感心している。
 一見すると普通の着物なのに、戦闘に特化した着物だ。
 紋を刺しゅうしようとしている咲良に久秀が声を掛けた。

「抱き紋も袖紋も要らないよ。俺が背負いたいのは咲良だけだからね」

 咲良が嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「ああ、そうだ。新之助の刀を用意しないとね。帰ったら元服をしなくちゃ」

「はい。久秀様がお帰りになったら元服させてくださいね」

 二人の会話を聞いていたお嶋とお市が袖で涙を隠した。
 戻ることができないかもしれないと知っているのに、戻ってからのことを楽しそうに語り合う二人の心情を思うと、胸が張り裂けそうになるが、口を出すことはできない。

 そんな女たちを見ながら、宇随は今日の道場での会話を思い出していた。

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