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終結の時
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「新之助。お前にも教えてやろう。お前の父も相当な好き者だったが、母親もどうしてなかなか好色な女であったわ。それこそ正晴様に良いように転がされて善がっておった。あの日はたまたま長男に見られてしまったが、長政も承知のことだったのぞ?」
新之助は歯を食いしばって耐えていたが、徐々に呼吸が浅く早くなっていた。
すかさず柴田研吾が声をかける。
「新之助、聞くな! 耳が腐る! 深い呼吸を心がけろ。ゆっくり鼻から吸って口から吐け。丹田を意識せよ!」
宇随が大きな声を出した。
「いやはやなんとも……山名藩の江戸家老というからどれほどかと期待しておったが、人品卑しいことこの上ないな。どうやら骨の髄まで腐っているようだ。なあ三河屋さん、このようなものを家老にしている山名藩など、もう要らなくないかね?」
三河屋と呼ばれた三良坂弥右衛門が返事をした。
「その通りですなぁ。本当に耳が腐りそうですよ。このような者を江戸家老にしていた藩などいっそ取り潰してしまいましょう。こやつの主人である山名将全など、切腹させるのも腹立たしい。打ち首ですな。そこに転がる息子の首と三つ揃えて、鈴ヶ森にでも晒しましょうよ」
柴田清右ヱ門の肩が揺れた。
「ふざけるな! あんた達旗本に外様の……しかも田舎大名家の苦労がわかるか? 体裁を整えろと言った口で、さらなる上納米を寄こせという。そのせいで傷みの激しい江戸屋敷の建て替えどころか修繕もままならぬ有様だ。次々と役目ばかりを押し付けて、その費用はこちら持ち。金が要るんだよ! 金が! あんたらは大奥の状況も知っておろう? あの女たちの打掛一枚がどれほどのものか。その一枚で何人の藩士が暮らせるか……バカバカしくなるこちらの気持ちがわからぬか? 今の世の中は金なんだよ……忠義を尽くしても家臣は養えんのだ!」
幕臣二人を睨みつけながら、柴田清右ヱ門がペッと唾棄した。
久秀が口を開く。
「言いたいことは終わったか? なあ清右ヱ門、だからどうした? その鬱憤を子に向けるのがお前の正義か? ふざけるな!」
そう怒鳴った久秀を見た宇随が、目を見開いた。
「あれは……」
久秀の両肩から厳しい修行を積んだ人間にしか見えない青い焔が立ち昇っていた。
左右に小さく体を揺らしているのに、体幹は全くブレていない。
久秀はそのままゆっくりと清右ヱ門の正面に移動していく。
「あれは景浦先生の編み出された『居合飛翔竜』だろ。あいついつの間に……免許皆伝の巻物を頂戴する時に口伝されるだけの奥義じゃないか」
宇随の呟きに柴田研吾が答えた。
「あいつは暇さえあればずっと竹刀を振っていましたよ。お陰で我が道場は、真ん中だけ床板が変色してすり減ってしまいました」
「凄い気迫だな。今のあいつには勝てる気がしない。いや……確実に負ける」
眉を下げて宇随を見た柴田研吾が新之助の横に並び立った。
「新之助、機会は一度きりだ。集中してその時を待て。俺も一緒に出る」
「はいっ」
新之助が両手で刀の柄を握りしめた。
「迷うな。無駄な力を抜け」
宇随の声に新之助が頷くと同時に、清右ヱ門が久秀を挑発した。
「来い……冥途への供にしてやろう。そこの孤児も一緒になぁ……さあ来い! さあさあ!」
柴田清右ヱ門が大きな声で威嚇する。
久秀はジリジリと間合いを詰める足を止めずに静かな声を出した。
「集中した方がいいぜ?」
「フンッ! 貴様など所詮は野良犬。飼い主に捨てられた憐れな瘦せ犬よ!」
久秀が清右ヱ門から目を離さず、後ろに控えている柴田研吾に言った。
「研吾、一太刀目は新之助殿だ。そこは譲れん」
「もちろんだ」
耐えきれなくなった清右ヱ門が動いた。
「たあぁぁぁぁ!」
「まだまだぁぁぁぁ!」
久秀はその剣を正面で受け、鍔を合わせてジリジリと清右ヱ門の両手をせりあげた。
「今だ! 新之助!」
柴田の声に新之助が躍り出て、下段に構えたまま走った。
胴ががら空き状態の清右ヱ門の目が走り寄る新之助を捉えたが、久秀に封じ込められた腕を動かすことができない。
「ぐあっ!」
清右ヱ門が唸り声をあげた。
ズバッと切り抜けた新之助の切っ先が美しい弧を描き、勢い余ってもんどりを打つ。
「お見事!」
そう叫んだ久秀が、清右ヱ門の刀を更に高く撥ね上げて飛び退った。
「地獄で懺悔しろ」
唸るように言った研吾が、清右ヱ門の首を切り飛ばした。
ゴスッという音とともに首が転がり落ち、その体は崩れ落ちていく。
「終わったな」
宇随の声に研吾が何度も頷き、袖で涙を拭った。
「立てますか? 背負いましょうか?」
久秀の声に新之助が拗ねたような声を出した。
「もちろん立てます。ちょっとこけただけですから」
「ははは……本当によく頑張りました。さすが三沢長政様のお子ですね」
新之助の顔が少しだけ陰りを帯びた。
「しかし父上は……抜け荷の……」
「それは違います。お父上を疑ってはなりません!」
久秀の厳しい声に、新之助の肩が揺れた。
「見事本懐を遂げられた新之助様に、お父上の最期の言葉をお伝えしましょう。あの時は新之助様もまだ幼くて、気を失ってしまったでしょう? だから私が代わりに聞きました」
「あ……あの日の……」
「ええ、あの日のお言葉ですよ」
頷いた新之助が、刀を鞘に納めその場に正座した。
いつの間にか三良坂や駒井も側に来ており、咲良も正座して見守っている。
久秀の後ろには、宇随と研吾が片膝をついた。
スッと大きく息を吸い、腹から声を出す久秀。
「自ら省みてなおくんば 一千万人といえども我いかん」
新之助の目が見開き、みるみる大粒の涙がせり上がってくる。
「自ら……省みて……なおくんば……一千万人といえど……われ……いかん……」
新之助が両手で顔を覆った。
「うわぁぁぁぁん! 母さま……父さまも兄さまも……お会いしとうございますぅぅぅぅ! 会いたいよぉ~ あぁぁぁぁん うわぁぁぁぁん」
新之助が泣き叫んだのは初めてだった。
すべてを吞み込み、歯を食いしばって今日まで耐えた少年の悲しい泣き声が佃島に響き、その場にいる全員の涙を誘う。
走り寄ろうと立ち上がった咲良を止めたのは、火付盗賊改め方長官である駒井信義だった。
「今は泣かせてあげましょう。泣くのも立派な供養です。あの子は本当によく耐えた」
新之助の横で、男泣きに泣いている久秀を見て、三良坂が駒井に目配せをする。
頷いた駒井が宣言するように大声を上げた。
「山名藩の大罪を妻子とともに命をもって諫めようとした忠臣三沢長政が遺子新之助。かくも見事な仇討ち、この駒井信義が確かに見届けた。我が役職をもって三沢家の再興を約し、その働きに褒美を賜るよう取り計らおう。そして今日まで新之助を支え続けた安藤久秀と安藤咲良の両名、その忠心や天晴である。そなたた達こそ真の忠臣である」
久秀と咲良が跪いて頭を下げた。
「また亡き師の仇を討ちつつ、山名藩の罪を暴くことに助力を惜しまなんだ宇随義正と柴田研吾の両名。武士とはかくあるべきと感服した」
二人も跪いて深く頭を垂れる。
まるで好々爺のように、三良坂が明るい声を出した。
「さあ、帰りましょうか。赤ままちゃと白ままちゃのご相伴に預からねば損というものですからね。なあ、駒井殿も一緒にどうかな?」
「ええ、是非とも。後はこちらで始末しますので、早速参りましょうか。おい、舟を回せ」
お嶋に怒られると一瞬過った久秀だったが、こうなると止められるものでもない。
「なあ咲良、これを着なさい。俺以外に見せてはダメだ」
久秀は着物を脱いで咲良に押し付けた。
「でも旦那様が……」
新之助が咲良に笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ、安藤久秀という男は鬼神の如く強いので、下帯ひとつでも勝つと申されたではありませんか」
その言葉に宇随が笑った。
「新之助殿、この男の真の強さは下帯を外してからかもしれません。ねえ? 咲良殿」
咲良が真っ赤な顔で俯き、新之助が小首を傾げる。
迎えの船に乗り込んだ一行は、そのまま大川をのぼり、山谷堀に漕ぎ寄せた。
東の空はすっかり明けて、田畑には農民の姿もみえる。
それを見た咲良は、本当に全て終わったのだとようやく実感することができた。
新之助は歯を食いしばって耐えていたが、徐々に呼吸が浅く早くなっていた。
すかさず柴田研吾が声をかける。
「新之助、聞くな! 耳が腐る! 深い呼吸を心がけろ。ゆっくり鼻から吸って口から吐け。丹田を意識せよ!」
宇随が大きな声を出した。
「いやはやなんとも……山名藩の江戸家老というからどれほどかと期待しておったが、人品卑しいことこの上ないな。どうやら骨の髄まで腐っているようだ。なあ三河屋さん、このようなものを家老にしている山名藩など、もう要らなくないかね?」
三河屋と呼ばれた三良坂弥右衛門が返事をした。
「その通りですなぁ。本当に耳が腐りそうですよ。このような者を江戸家老にしていた藩などいっそ取り潰してしまいましょう。こやつの主人である山名将全など、切腹させるのも腹立たしい。打ち首ですな。そこに転がる息子の首と三つ揃えて、鈴ヶ森にでも晒しましょうよ」
柴田清右ヱ門の肩が揺れた。
「ふざけるな! あんた達旗本に外様の……しかも田舎大名家の苦労がわかるか? 体裁を整えろと言った口で、さらなる上納米を寄こせという。そのせいで傷みの激しい江戸屋敷の建て替えどころか修繕もままならぬ有様だ。次々と役目ばかりを押し付けて、その費用はこちら持ち。金が要るんだよ! 金が! あんたらは大奥の状況も知っておろう? あの女たちの打掛一枚がどれほどのものか。その一枚で何人の藩士が暮らせるか……バカバカしくなるこちらの気持ちがわからぬか? 今の世の中は金なんだよ……忠義を尽くしても家臣は養えんのだ!」
幕臣二人を睨みつけながら、柴田清右ヱ門がペッと唾棄した。
久秀が口を開く。
「言いたいことは終わったか? なあ清右ヱ門、だからどうした? その鬱憤を子に向けるのがお前の正義か? ふざけるな!」
そう怒鳴った久秀を見た宇随が、目を見開いた。
「あれは……」
久秀の両肩から厳しい修行を積んだ人間にしか見えない青い焔が立ち昇っていた。
左右に小さく体を揺らしているのに、体幹は全くブレていない。
久秀はそのままゆっくりと清右ヱ門の正面に移動していく。
「あれは景浦先生の編み出された『居合飛翔竜』だろ。あいついつの間に……免許皆伝の巻物を頂戴する時に口伝されるだけの奥義じゃないか」
宇随の呟きに柴田研吾が答えた。
「あいつは暇さえあればずっと竹刀を振っていましたよ。お陰で我が道場は、真ん中だけ床板が変色してすり減ってしまいました」
「凄い気迫だな。今のあいつには勝てる気がしない。いや……確実に負ける」
眉を下げて宇随を見た柴田研吾が新之助の横に並び立った。
「新之助、機会は一度きりだ。集中してその時を待て。俺も一緒に出る」
「はいっ」
新之助が両手で刀の柄を握りしめた。
「迷うな。無駄な力を抜け」
宇随の声に新之助が頷くと同時に、清右ヱ門が久秀を挑発した。
「来い……冥途への供にしてやろう。そこの孤児も一緒になぁ……さあ来い! さあさあ!」
柴田清右ヱ門が大きな声で威嚇する。
久秀はジリジリと間合いを詰める足を止めずに静かな声を出した。
「集中した方がいいぜ?」
「フンッ! 貴様など所詮は野良犬。飼い主に捨てられた憐れな瘦せ犬よ!」
久秀が清右ヱ門から目を離さず、後ろに控えている柴田研吾に言った。
「研吾、一太刀目は新之助殿だ。そこは譲れん」
「もちろんだ」
耐えきれなくなった清右ヱ門が動いた。
「たあぁぁぁぁ!」
「まだまだぁぁぁぁ!」
久秀はその剣を正面で受け、鍔を合わせてジリジリと清右ヱ門の両手をせりあげた。
「今だ! 新之助!」
柴田の声に新之助が躍り出て、下段に構えたまま走った。
胴ががら空き状態の清右ヱ門の目が走り寄る新之助を捉えたが、久秀に封じ込められた腕を動かすことができない。
「ぐあっ!」
清右ヱ門が唸り声をあげた。
ズバッと切り抜けた新之助の切っ先が美しい弧を描き、勢い余ってもんどりを打つ。
「お見事!」
そう叫んだ久秀が、清右ヱ門の刀を更に高く撥ね上げて飛び退った。
「地獄で懺悔しろ」
唸るように言った研吾が、清右ヱ門の首を切り飛ばした。
ゴスッという音とともに首が転がり落ち、その体は崩れ落ちていく。
「終わったな」
宇随の声に研吾が何度も頷き、袖で涙を拭った。
「立てますか? 背負いましょうか?」
久秀の声に新之助が拗ねたような声を出した。
「もちろん立てます。ちょっとこけただけですから」
「ははは……本当によく頑張りました。さすが三沢長政様のお子ですね」
新之助の顔が少しだけ陰りを帯びた。
「しかし父上は……抜け荷の……」
「それは違います。お父上を疑ってはなりません!」
久秀の厳しい声に、新之助の肩が揺れた。
「見事本懐を遂げられた新之助様に、お父上の最期の言葉をお伝えしましょう。あの時は新之助様もまだ幼くて、気を失ってしまったでしょう? だから私が代わりに聞きました」
「あ……あの日の……」
「ええ、あの日のお言葉ですよ」
頷いた新之助が、刀を鞘に納めその場に正座した。
いつの間にか三良坂や駒井も側に来ており、咲良も正座して見守っている。
久秀の後ろには、宇随と研吾が片膝をついた。
スッと大きく息を吸い、腹から声を出す久秀。
「自ら省みてなおくんば 一千万人といえども我いかん」
新之助の目が見開き、みるみる大粒の涙がせり上がってくる。
「自ら……省みて……なおくんば……一千万人といえど……われ……いかん……」
新之助が両手で顔を覆った。
「うわぁぁぁぁん! 母さま……父さまも兄さまも……お会いしとうございますぅぅぅぅ! 会いたいよぉ~ あぁぁぁぁん うわぁぁぁぁん」
新之助が泣き叫んだのは初めてだった。
すべてを吞み込み、歯を食いしばって今日まで耐えた少年の悲しい泣き声が佃島に響き、その場にいる全員の涙を誘う。
走り寄ろうと立ち上がった咲良を止めたのは、火付盗賊改め方長官である駒井信義だった。
「今は泣かせてあげましょう。泣くのも立派な供養です。あの子は本当によく耐えた」
新之助の横で、男泣きに泣いている久秀を見て、三良坂が駒井に目配せをする。
頷いた駒井が宣言するように大声を上げた。
「山名藩の大罪を妻子とともに命をもって諫めようとした忠臣三沢長政が遺子新之助。かくも見事な仇討ち、この駒井信義が確かに見届けた。我が役職をもって三沢家の再興を約し、その働きに褒美を賜るよう取り計らおう。そして今日まで新之助を支え続けた安藤久秀と安藤咲良の両名、その忠心や天晴である。そなたた達こそ真の忠臣である」
久秀と咲良が跪いて頭を下げた。
「また亡き師の仇を討ちつつ、山名藩の罪を暴くことに助力を惜しまなんだ宇随義正と柴田研吾の両名。武士とはかくあるべきと感服した」
二人も跪いて深く頭を垂れる。
まるで好々爺のように、三良坂が明るい声を出した。
「さあ、帰りましょうか。赤ままちゃと白ままちゃのご相伴に預からねば損というものですからね。なあ、駒井殿も一緒にどうかな?」
「ええ、是非とも。後はこちらで始末しますので、早速参りましょうか。おい、舟を回せ」
お嶋に怒られると一瞬過った久秀だったが、こうなると止められるものでもない。
「なあ咲良、これを着なさい。俺以外に見せてはダメだ」
久秀は着物を脱いで咲良に押し付けた。
「でも旦那様が……」
新之助が咲良に笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ、安藤久秀という男は鬼神の如く強いので、下帯ひとつでも勝つと申されたではありませんか」
その言葉に宇随が笑った。
「新之助殿、この男の真の強さは下帯を外してからかもしれません。ねえ? 咲良殿」
咲良が真っ赤な顔で俯き、新之助が小首を傾げる。
迎えの船に乗り込んだ一行は、そのまま大川をのぼり、山谷堀に漕ぎ寄せた。
東の空はすっかり明けて、田畑には農民の姿もみえる。
それを見た咲良は、本当に全て終わったのだとようやく実感することができた。
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