和ませ屋仇討ち始末

志波 連

文字の大きさ
上 下
60 / 72

剣の極意

しおりを挟む
「新之助様……見事仇討ち敵いましたこと、心よりお祝い申し上げまする」

 久秀の羽織りに包まれた咲良が新之助の前に三つ指をつく。
 頷いた新之助が咲良に自分の道着を脱いで渡そうとすると、咲良がそれを押しとどめた。

「新之助様、まだ終わってはおりませんよ」

「あ……でも咲良が」

「お気遣いありがとうございます。でも私はこれが嬉しいのです」

 久秀の羽織に頬擦りをして咲良がニコッと笑った。

「新之助様、道着は鎧なのです。全てが終わるまで脱いではなりません」

「しかし久秀はそれを脱いだぞ?」

「あのお方は鬼神の如くお強いですから、きっと下帯ひとつでも勝ちますわ」
 
 女たちを鉄砲洲へ送るという役人に、ここに残ると告げた咲良は、新之助と共に剣客たちの真剣勝負を見守った。
 山本半兵衛の正面には宇随義正。
 久秀と柴田研吾は山本半兵衛の斜め後ろに陣取っている。

「どうやら景浦は良き弟子を持っていたようじゃな」

 半兵衛の声に宇随が反応する。

「なぜ悪事に手を染めた」

「主の意向だ。否は無い」

「諫めるのも従たる者の務めであろう」

「バカなことを。この先何年武士の世が続くとおもうておるのか。侍など消えてなくなるだけ。剣の腕などクソの役にもたたん時代が来るのがわからぬか?」

 睨む宇随から目を離さないまま、斜め後ろで殺気を飛ばしている久秀に言った。

「吉原で太鼓持ちになったと聞いて頭の良い奴と思うておったが、存外にバカじゃったの」

 久秀は何も言わない。
 その代わりに反対側で構えていた柴田研吾が口を開いた。

「なぜあなたほどの方が……残念でなりません」

 半兵衛が笑った。

「私は賢いからな。幕府は終わりだ。金を持っている者の勝ちだよ」

 久秀がやっと口を開いた。

「なぜ景浦先生を手にかけた」

 半兵衛がフッと息を漏らす。

「あいつの娘に五十嵐喜之助が手を出したのは知っているな? 景浦は娘を取り返すために単身で乗り込んできたのさ。私の家にね」

「お前の家?」

「ああ、喜之助は私の姉の子だ。我が屋敷に匿っていた。姉は山名藩主将全様の側室さ」

 柴田が驚いた声を出す。

「では五十嵐は……山名様の?」

「フンッ! 今となってはどうでも良い。乗り込んできた景浦を、喜之助が弓で射て私が引導を渡した。剣豪と奉られても呆気ないものだ。娘を殺すと言われて剣を捨ておったわ。おお、そういえば喜之助はどうした?」

 宇随が鼻で嗤う。

「あいつなら両手両足を切り捨てられて、地を這う蟲のように転がっているよ。そろそろ失血死でもしているかもしれんな。ざまあみろだ」

「やれやれ、私の可愛い甥をそんな目に合わせたのか……まあ仕方もあるまい。弱いのが悪いんだ。さあ、そろそろ始めようじゃないか。誰からだ? 三人一緒でも構わんぞ」

 宇随が無言のまま一歩前に出た。

「いきなり真打の登場か。せいぜい楽しませてもらおう」

 山本半兵衛は憎々しい口をきいて、不敵な笑みを浮かべた。
 宇随が空気を切り裂くような声を出し、柴田と久秀は一歩下がって見守る体制をとる。

「なかなかの使い手だが……景浦の弟子特有の癖が抜けておらんな。ほれ、右肩が下がりすぎておる。光政もそうじゃった。何度言うてやっても頑固な奴で、これで良いと抜かしおった」

 まるで二人の間の空気が凝固したかのように動かない。
 しばらくまんじりともせず睨み合った後、半兵衛が誘うようにぴくっと手首を動かした。

「まだまだぁぁぁ!」

 宇随が大声を出す。

「フンッ! さすがに乗らんか」

 半兵衛がそう吐き捨てた瞬間、宇随が地を蹴った。
 ギンッという音が夜空に響く。
 
「なるほど、接近戦か。よほど私が怖いとみえる。お前らも免許皆伝なら居合くらいは使えよう?」

「良くしゃべる男だ」

 半兵衛がパッと飛び下がる。
 それを追って宇随が間合いを詰めた。
 腰に佩いた鞘の剣を沿わせた半兵衛が腰を落とす。
 柴田と久秀がほぼ同時に動いた。

「ガキンッ」

 左右を久秀と柴田が固め、中央で最上段に大きく構えた宇随。

「やるな……三位一体で私の居合術を封じたつもりか」

 半兵衛がすっと体を引き、宇随はその場でグッと腰を落とし、中段に構えなおす。
 久秀と柴田は、宇随から一間の距離をとり、油断なく半兵衛の攻撃に備えた。

「風だ、風になれ。風を切るのではない。風そのものになるのだ」

 半兵衛がそう呟いたあと、嬉しそうな顔で続けた。

「荒ぶる心を鎮めるのではなく解き放つのだ。全てを受け入れる度量を持て。それができれば真の自由を知ることができる。自由な心は風と同じ。おのれが透明な風になった瞬間こそが最強」

 その刹那、半兵衛と宇随がすれ違った。
 
「なんだ……やればできるじゃないか……絶対に忘れるなよ……」

 腹から臓物をぶら下げた状態の半兵衛が、脇差を抜いて自分の頸動脈に当てる。
 男たちは罪人に墜ちたとはいえ、剣聖とまで言われた男の技の消失を惜しんで跪いた。

「凪だ……剣の極意は凪た心だ。宇随、柴田、安藤……怠るなよ」

 剣客たちは、剣聖山本半兵衛の最期の言葉に顔を歪めた。

「宇随さん、大丈夫ですか」

 柴田が駆け寄ると、宇随の体が少し傾いた。

「悔しいよ。あのくそジジイ、最後の最後で手を抜きやがった」

 左の腕を押さえながら、宇随が唇を嚙みしめた。
 羽織りの袖がはらりと落ち、襦袢に血がにじんでいる。
 それを見た久秀が片眉を上げた。

「宇随さん? それって女物?」

「ああ、お市の襦袢だ。今朝がた脱がせてそのまま着てきた」

「宇随さん……」

 久秀が溜息を吐きながら、困った顔を向けた先の柴田が小さく呟いた。

「ちぇっ! 俺も美千代のを着て来ればよかった」

 久秀はその時初めて、柴田の妻女の名を知った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

三賢人の日本史

高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。 その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。 なぜそうなったのだろうか。 ※小説家になろうで掲載した作品です。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...