和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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瞬殺

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 小舟はあっという間に沖に流されていく。

 正晴が女たちを繋げている縄の端を山本から奪い取った。
 土で汚れた腰巻が、どのような扱いを受けていたのかを物語っている。
 万感の思いを込めてこの手で包み込み、唇を這わせた咲良の乳房に、容赦なく縄が食い込んでいるのを見た久秀の憤怒は計り知れない。
 殴られたのか咲良の唇には血がこびりつき、右目はかなり腫れていた。

「おのれ……」

 今にも飛び出しそうな久秀を押さえている宇随の手に力が入った。
 久秀が奥歯を嚙みしめながら言う。

「宇随さん、まずは正晴だ。すぐ片づけますから、その間だけ山本を頼みます」

「ああ、わかった。気持ちは痛いほど分かるがまだ遠い。もう少し耐えろ」

 宇随の言葉には返事をせず、久秀が続けた。
 
「柴田。俺が突っ込んだら清右ヱ門を押さえてくれ。ほんの少しの間でいい。辛いだろうが……頼む」

 柴田が頷いた。
 柴田研吾にとって、柴田清右ヱ門は憎しとはいえ実の父だ。 
 その心情は本人にしかわからないだろう。
 久秀は心の中で柴田研吾に詫びつつも、咲良から目が離せないでいた。

 正晴が自慢げに女たちを繋ぐ縄をグイっと引っ張る。
 咲良は耐えたが、後ろの二人は足をとられて転がった。

「お待ちください! 怪我をしてしまいます」

 咲良が必死で正晴の手を止めようと体で綱を引き戻し藻搔いた。
 ほんの今朝がた結いあげた髪は乱れ、辛うじて飾櫛がぶら下がっている。
 綱を引きあう格好になったため、咲良の乳房に縄が痛々しく食い込んでいた。
 振り返った正晴が下卑た笑顔を向けて口を開く。

「その気の強さもなかなかそそるな。赤毛の南蛮人に抱かせるにはちと惜しいが、まあここから長い船旅だ。せいぜい楽しもうではないか、互いになぁ。お前の鳴き声が待ち遠しいぞ」

「おのれ外道が! お前の手にかかるくらいなら舌を嚙む!」

 ぱぁぁんという音が響き、咲良の体が地面に転がった。
 容赦ない正晴の張り手が咲良の頬にさく裂し、女達はひと塊になって引き摺られていく。
 正晴の顔は、それを楽しむかのように歪んだ笑顔を浮かべていた。
 女たちの腰巻が引き摺られて外れそうになっている。

「さあ立てよ。立たんと素っ裸で奈良まで行くことになるぞ。あれ? なんだお前。もう自分で外したのか? 慎みの無い女だなぁ……まあよい。置き土産に裸踊りでも披露してやれ」

 必死で立ち上がった女達は、辛うじて布を纏っているだけの無残な姿になっていた。

「大切な商品ですぞ? もう少し手加減なされ。犯すのは良いが傷が残ると値が下がる」

 柴田清右ヱ門の声が軽く諫める。
 身を隠している久秀たちの殺気を察知したのか、山本半兵衛が鯉口を切って身構えた。

「おのれぇぇぇ! 腐れ外道がぁぁぁぁ!」

 もう少し山本と女たちの距離を引き離してから出る予定だったが、ぶち切れた久秀を止めるのはもう無理だと判断した宇随が叫ぶ。

「柴田! 予定変更だ! 早いが出るぞ!」

「おう!」

 宇随がまっすぐに山本へ向かい、柴田研吾が一瞬怯んだ清右ヱ門の前に躍り出た。

「ぎゃぁぁぁぁ!」

 一瞬のうちに綱を握っていた正晴の肘から下が容赦なく切り落とされ、その反動で女たちはその場に頽れた。

 片方の手で傷口を押さえながら、正晴が鬼のような形相を久秀に向ける。

「おのれぇ! なに者か!」

 久秀が恐ろしいほど静かな声で名乗った。

「山名藩元国家老三沢長政様が家臣、安藤久秀」

「安藤……ああ、逃げだした野良犬か。お前がなぜここにいる」

「問答無用」

 護衛に囲まれて事の成り行きを見守っていた三良坂が、フッと口角を上げた。
 その顔のまま新之助に話しかける。

「なんと短気な……我慢の効かぬ困った御方ですなぁ」

 返事をしない新之助の顔を見た三良坂の目が大きく見開く。

「おやおや、ここにも我慢の効かぬ御方がおられるようじゃ。まああっちだけでも生きていれば何とでもなりましょうよ。さあ、行きなされ」

 視線だけで指示を出し、配下の者を柴田清右ヱ門捕縛に走らせた三良坂に、ポンと背を押された新之助が、父の形見の脇差を抜き、柄尻を腰に固定したまま駆け出した。

「父の仇! 母の仇! 兄の仇! 覚悟しろぉぉぉぉ!」

 新之助の方へ一瞬視線を向けた正晴が、血まみれの手で脇差を逆手に抜いた。
 それを久秀が見逃すわけもなく、一瞬の間に正晴の左手首が宙を舞う。
 ガシャンという音を立てて桟橋に転がった正晴の脇差を、水夫の姿をした男が踏み止めた。

「うぎゃぁぁぁ!」

「やった! お見事!」

 三良坂が大きな声で新之助を讃える。
 新之助は体ごと正晴にぶつかり、その切っ先は背中まで貫通していた。
 久秀は新之助の体を正晴から優しく引き剝がし、大きく頷いて見せたから三良坂弥右衛門に顔を向ける。

「三河屋すまん!」

 そう言いざま、正晴に向き直り、左下から袈裟に切り上げて正晴の頭を飛ばす。
 返す刀で胴を薙ぎ払うと、山名正晴の体が崩れ落ちる。
 顎から頬骨までを一直線に刈り取られ、腹から胸を切り裂かれた山名正晴は絶命した。

 三良坂はべちゃっと音をさせて転がった正晴の頭部を見て呟いた。

「腐れ外道の血が我らと同じく赤いとは……気色の悪いことじゃ」

 丁度その時、桟橋に舟が付き岩本権左とともに小柄な男が降り立った。

「三河のご隠居様、遅うなり申した」

「いやいや、夜分に叩き起こしてすまなんだ。火盗改め長官ともなれば忙しいのであろう」

「いえいえ、何のお役にも立てずお恥ずかしいばかりでございます。すぐに配下の者も参りますので、何卒ご容赦下さいませ」

 岩本に伴われて現れたのは火付盗賊改め方長官に就任したばかりの駒井信義。
 三良坂が言っていた『しっかりした者』とは、この男の事のようだ。

「すまん。せっかちな奴がおってなぁ、すでに一匹潰してしもうた」

「いやいや、舟の上から生存捕縛を確認しましたぞ? その後に私の目前で仇討ちが見事成就したまでのこと。何の問題もございません」

「物分かりが早うて助かる。まだもう二匹残っておるのじゃが、こちらも生かしておけるかどうか……」

「ははは。それに致しましても、いつもながら見事な手際でございますな。して積み荷は?」

 三良坂が顔を向けた先には、水夫の半纏で体を隠してもらっている女達が体を寄せ合っている。

「女たちは生きて保護できた。黄金真珠もすでに確保してあるよ」

 二人の後ろから岩本権左が声を出した。

「殿、助太刀のご許可をいただきたく」

 三良坂が意外そうな顔をした。

「どうした? お前らしくもない」

「いささか思うところございまして。せめて柴田の捕縛だけでも」

 頷いた三良坂が声を出した。

「好きにいたせ。どうせ我らにとっても最後の仕事じゃ」

 その横をすり抜け、血だらけの着物のまま新之助が咲良に駆け寄った。

「咲良! 咲良! 咲良!」

 咲良は脇差の柄を握りしめたまま震えている新之助の指を、優しく一本ずつ引き剝がしてやった。
 久秀は肩で息をしながらも急いで羽織を脱ぎ、咲良の体を丁寧に包む。

「見事な働きであったな。さすが我が愛妻だ」

「上手く事を運べず申し訳ございません。ご心配をおかけいたしました」

 暫し見つめ合った後、咲良がゆっくりと口を開く。

「どうぞご存分に。ここでご武運をお祈りいたしております」

「ああ。行って参る。新之助殿はここで咲良を守っていてくだされ」

 久秀は立ち上がり、山本半兵衛と相対している宇随に向かって走り出した。
 途中で父親の動きを封じている柴田研吾に声を掛ける。
 その刹那、我が息子に全神経を集中して対峙していた清右ヱ門の懐に滑り込んだ権左が、その老体を見事に投げ飛ばして地面に沈めた。

「確保!」

 山名正晴は絶命し、柴田清右ヱ門は公儀により捕縛。
 木挽橋から漕ぎ出した小舟が、佃島の桟橋について実に四半刻ほどの出来事だった。
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