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卑怯者
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到着した一行は中の気配を伺った。
「人が……いない?」
柴田の声に宇随が答えた。
「俺が着いたときには二人の気配があったがな」
「入ってみますか」
久秀が頷いて言う。
「柴田、新之助様を頼む。宇随さん、行きましょう」
柴田が新之助を下がらせると同時に、二人が表と裏から一気に突入した。
ダダダッという足音が聞こえたが、人の声はしていない。
裏口から久秀の顔がのぞき、柴田に頷いて見せる。
新之助を連れて屋内に入ると、膳がひっくり返ったままの状態だった。
「よほど暴れたとみえるな」
柴田がそう言うと奥の間から宇随の声がした。
「こっちだ」
部屋を見た久秀がすかさず新之助の視界を奪った。
「惨い……」
そこには弄ぶように体中に刀傷をつけられ、明らかに犯されたとわかるお朝の体が転がっていた。
「まだ息がある。医者を……」
お朝の頸動脈を確認していた柴田の言葉を遮り、宇随が剣を抜いた。
久秀が新之助を抱えたまま横っ飛びで廊下に転がり出る。
キンッという金属音がして、宇随が唸り声を上げた。
「いがらしぃぃぃぃっ!」
「チッ」
舌打ちの音が聞こえたが、新之助の視界は久秀に奪われたままだ。
久秀は迷わず屋外に出た。
通りがかった町人を呼び止め、銭を握らせて戸板を持ってこいと言いつける。
「何事ですか」
やっと視界を取り戻した新之助が久秀に聞いた。
「お朝さんが酷い目にあっていました。素っ裸でしたから新之助様にはまだ早いと思いましてね」
「なっ!」
いつもの伝法口調に戻っている久秀の顔を見上げた新之助が声を出した。
「母上は……咲良はいなかったのですか?」
「ええ、咲良はいませんでした。その代わり死にかけた女を餌にする卑怯な男が隠れていましたよ」
「餌……」
戸板を二人がかりで持ってきた町人を待機させる。
柴田が裏口から手招きをした。
「終わったようだ。行きましょう」
町人たちに医者に運んで欲しいと伝え、請求は日本堤の柳屋へ行けと言い捨てる。
その惨状に町人の悲鳴が聞こえた。
板戸に乗せられたお朝が最後の力をふり絞る。
「……さん……ごめん……ごめんね……」
久秀がお朝の手を握る。
「よく頑張ったなぁ。ありがとう」
「さくらさんの……きもの……」
お朝の手がだらっと下がる。
首筋に指をあてた久秀が、戸板を持っている町人に言った。
「まだ息はある。漢方医ではダメだ。蘭方医のところに連れて行ってくれ。急がないと拙い」
町人たちが駆け出し、久秀と新之助は屋内に戻った。
「先輩……どうします? コレ」
「うん、まあ動けんようにはしたから転がしておこう」
宇随の足元で両手首と両足首を切断された五十嵐が泣きわめいていた。
「知っていることがあるなら喋れ。内容によっては医者に連れて行ってやろう」
そう言うと柴田が切り口を踏みつけた。
獣の咆哮のような声を上げた五十嵐が、顔中の穴という穴から体液を吹き出しながら叫ぶ。
「やったのは俺じゃない! 若様がやったんだ!」
「でもお前も便乗したのだろ?」
「フンッ! もう遅いさ。今頃はあの武家の女房も……」
柴田が苦虫をかみ潰した顔で、五十嵐を踏んでいる足に力を込めた。
五十嵐の悲鳴が響き渡る。
「他には? 早く言わんと死ぬぞ?」
久秀が無表情のまま冷めきった声を出す。
部屋を改めていた宇随が引き千切られた着物の袖を見つけた。
「なんだ? これ」
その袂から出てきたのは殴り書いたように乱れた女文字の文だ。
「つきかげの
くじょうのさとに
たたずみて
やぶのみつばに
つまのなをとふ」
三人の男たちが暫し無言になった。
最初に口を開いたのは宇随だ。
「意味が解らん」
久秀が声を出す。
「読み方はわかるんだ。つ……く……た……や……つ。佃島に八つという暗号だ」
久秀の声に二人の剣士が顔を見合わせた。
「鉄砲洲じゃなく佃島? で? なんて書いてある?」
「いや、それは……」
新之助が覗き込んだ。
「月影の九条の里に佇みて 薮の三つ葉に妻の名を問う……夜に九条の里で、愛しい人を待っているという意味ですね」
大人たちがポカンと口を開け、新之助は淡々と頷いている。
「九条といえば京都でしょうか」
柴田の声に宇随が答える。
「確か浪速にもあったぞ?」
それを受けて久秀が続ける。
「奈良にもありますよ」
柴田がまとめた。
「行く先を考えると奈良の線が濃いな。あとは女が三人という意味じゃないか?」
宇随が唸った。
「凄いな……俺なんぞ三日三晩考えても捻りだせん」
「俺は死ぬまで無理ですね……」
久秀がため息交じりで言う。
新之助が大人たちを見回した。
「要するに、三人の女を乗せて佃島に向かうという意味でしょう。九条と窮状を掛けているのかな。それとも本当に奈良なのかはわかりません。藪野としたのは、咲良の他は武家の女性ではないということでしょう」
開いた口が塞がらない男たちの中で、やっと久秀が声を出した。
「柳葉は明け六つまでには終えると……ああ、終えるということは、式根島を出る時刻ということだったのか。鉄砲洲を出た囚人船は、佃島に停泊している八丈大船に移される。それが八つということだ」
「時間が無いな……権さんは何処に行ったのだ。八つに鉄砲洲では間に合わんぞ」
柴田がイラついた声を出した。
宇随が宥める。
「まあ焦るな。あちらは余分と考えよう。俺たちのやることは決まっているのだ。来なくても良し、来ればなお良しだ」
「では我らは佃島へ」
久秀の言葉に頷いた一行が出て行こうとすると、後ろから五十嵐が声をあげた。
「殺して行け!」
宇随が振り向いた。
「バカかお前は。お前のような外道は俺の刀が勿体ないよ。ああ、でもお前にはいろいろ喋ってもらわんといかんかもな。おい柴田、適当に止血だけしといてやれ」
柴田は頷き、五十嵐が着ている着物を割いて関節をきつく縛り上げた。
何の騒ぎかと集まっている町人に、奉行所へ届けてくれと託けを残して四人は走り出す。
歯を食いしばってついてくる新之助を見て、これもすべて咲良のお陰だと久秀は思った。
「人が……いない?」
柴田の声に宇随が答えた。
「俺が着いたときには二人の気配があったがな」
「入ってみますか」
久秀が頷いて言う。
「柴田、新之助様を頼む。宇随さん、行きましょう」
柴田が新之助を下がらせると同時に、二人が表と裏から一気に突入した。
ダダダッという足音が聞こえたが、人の声はしていない。
裏口から久秀の顔がのぞき、柴田に頷いて見せる。
新之助を連れて屋内に入ると、膳がひっくり返ったままの状態だった。
「よほど暴れたとみえるな」
柴田がそう言うと奥の間から宇随の声がした。
「こっちだ」
部屋を見た久秀がすかさず新之助の視界を奪った。
「惨い……」
そこには弄ぶように体中に刀傷をつけられ、明らかに犯されたとわかるお朝の体が転がっていた。
「まだ息がある。医者を……」
お朝の頸動脈を確認していた柴田の言葉を遮り、宇随が剣を抜いた。
久秀が新之助を抱えたまま横っ飛びで廊下に転がり出る。
キンッという金属音がして、宇随が唸り声を上げた。
「いがらしぃぃぃぃっ!」
「チッ」
舌打ちの音が聞こえたが、新之助の視界は久秀に奪われたままだ。
久秀は迷わず屋外に出た。
通りがかった町人を呼び止め、銭を握らせて戸板を持ってこいと言いつける。
「何事ですか」
やっと視界を取り戻した新之助が久秀に聞いた。
「お朝さんが酷い目にあっていました。素っ裸でしたから新之助様にはまだ早いと思いましてね」
「なっ!」
いつもの伝法口調に戻っている久秀の顔を見上げた新之助が声を出した。
「母上は……咲良はいなかったのですか?」
「ええ、咲良はいませんでした。その代わり死にかけた女を餌にする卑怯な男が隠れていましたよ」
「餌……」
戸板を二人がかりで持ってきた町人を待機させる。
柴田が裏口から手招きをした。
「終わったようだ。行きましょう」
町人たちに医者に運んで欲しいと伝え、請求は日本堤の柳屋へ行けと言い捨てる。
その惨状に町人の悲鳴が聞こえた。
板戸に乗せられたお朝が最後の力をふり絞る。
「……さん……ごめん……ごめんね……」
久秀がお朝の手を握る。
「よく頑張ったなぁ。ありがとう」
「さくらさんの……きもの……」
お朝の手がだらっと下がる。
首筋に指をあてた久秀が、戸板を持っている町人に言った。
「まだ息はある。漢方医ではダメだ。蘭方医のところに連れて行ってくれ。急がないと拙い」
町人たちが駆け出し、久秀と新之助は屋内に戻った。
「先輩……どうします? コレ」
「うん、まあ動けんようにはしたから転がしておこう」
宇随の足元で両手首と両足首を切断された五十嵐が泣きわめいていた。
「知っていることがあるなら喋れ。内容によっては医者に連れて行ってやろう」
そう言うと柴田が切り口を踏みつけた。
獣の咆哮のような声を上げた五十嵐が、顔中の穴という穴から体液を吹き出しながら叫ぶ。
「やったのは俺じゃない! 若様がやったんだ!」
「でもお前も便乗したのだろ?」
「フンッ! もう遅いさ。今頃はあの武家の女房も……」
柴田が苦虫をかみ潰した顔で、五十嵐を踏んでいる足に力を込めた。
五十嵐の悲鳴が響き渡る。
「他には? 早く言わんと死ぬぞ?」
久秀が無表情のまま冷めきった声を出す。
部屋を改めていた宇随が引き千切られた着物の袖を見つけた。
「なんだ? これ」
その袂から出てきたのは殴り書いたように乱れた女文字の文だ。
「つきかげの
くじょうのさとに
たたずみて
やぶのみつばに
つまのなをとふ」
三人の男たちが暫し無言になった。
最初に口を開いたのは宇随だ。
「意味が解らん」
久秀が声を出す。
「読み方はわかるんだ。つ……く……た……や……つ。佃島に八つという暗号だ」
久秀の声に二人の剣士が顔を見合わせた。
「鉄砲洲じゃなく佃島? で? なんて書いてある?」
「いや、それは……」
新之助が覗き込んだ。
「月影の九条の里に佇みて 薮の三つ葉に妻の名を問う……夜に九条の里で、愛しい人を待っているという意味ですね」
大人たちがポカンと口を開け、新之助は淡々と頷いている。
「九条といえば京都でしょうか」
柴田の声に宇随が答える。
「確か浪速にもあったぞ?」
それを受けて久秀が続ける。
「奈良にもありますよ」
柴田がまとめた。
「行く先を考えると奈良の線が濃いな。あとは女が三人という意味じゃないか?」
宇随が唸った。
「凄いな……俺なんぞ三日三晩考えても捻りだせん」
「俺は死ぬまで無理ですね……」
久秀がため息交じりで言う。
新之助が大人たちを見回した。
「要するに、三人の女を乗せて佃島に向かうという意味でしょう。九条と窮状を掛けているのかな。それとも本当に奈良なのかはわかりません。藪野としたのは、咲良の他は武家の女性ではないということでしょう」
開いた口が塞がらない男たちの中で、やっと久秀が声を出した。
「柳葉は明け六つまでには終えると……ああ、終えるということは、式根島を出る時刻ということだったのか。鉄砲洲を出た囚人船は、佃島に停泊している八丈大船に移される。それが八つということだ」
「時間が無いな……権さんは何処に行ったのだ。八つに鉄砲洲では間に合わんぞ」
柴田がイラついた声を出した。
宇随が宥める。
「まあ焦るな。あちらは余分と考えよう。俺たちのやることは決まっているのだ。来なくても良し、来ればなお良しだ」
「では我らは佃島へ」
久秀の言葉に頷いた一行が出て行こうとすると、後ろから五十嵐が声をあげた。
「殺して行け!」
宇随が振り向いた。
「バカかお前は。お前のような外道は俺の刀が勿体ないよ。ああ、でもお前にはいろいろ喋ってもらわんといかんかもな。おい柴田、適当に止血だけしといてやれ」
柴田は頷き、五十嵐が着ている着物を割いて関節をきつく縛り上げた。
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