和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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投げ文

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 夕食の後で咲良に今日の出来事を話す。
 胡蝶が書いた暗号文を見ながら、咲良は溜息を洩らした。

「凄いことを考えますねぇ……ちゃんと恋文になってるじゃありませんか」

「そうなの? 恋文って『お慕いしています』だとか『会いたい』とか書いてあるものじゃないの?」

 咲良が吹き出した。

「旦那様がお貰いになっていた恋文は、随分と直接的なのでございますねぇ」

「うん。多分そうしないと伝わらない朴念仁だと思われてんだろうね。来いと言われたら行くけれど、黙って飯ばっかり食ってたからなぁ……咲良は恋文を貰ったっことがあるの?」

 プイっと横を向く咲良。

「ねえ、あるの? 無いの?」

 しつこく食い下がる久秀。

「私はありますよ」

 新之助の声に久秀と咲良が同時に顔を向けた。

「え?」

「はい。お女中見習いのおなごが握らせてきました」

「なんて書いてあったの?」

 久秀の声が上ずっている。

「好ましく思っているようなことが書かれておりました。兄上に見せると破って捨てられたのですが」

「そう……破ってねぇ……でもお前が貰ったのもかなり直接的だなぁ」

 新之助が困った顔をする。

「私も朴念仁だと思われたということでしょうか」

 咲良が久秀の顔を見た。

「いや、それは違うような気もするが……まあ新之助、俺とお前は似た者同士だ。諦めろ」

 新之助が微かに嫌な顔をしたのを見逃さなかった久秀が、コホンと咳払いをする。

「ねえ咲良、あの文を分かり易くしてくれないか?」

 咲良が呆れたような顔で口を開いた。

「あなたが来てくれるのを、夜通し待っているって書いてあるのですよ」

「へぇ……待ってるって言われてもなぁ。約束もしてないのに行くわけ無いじゃん」

 盛大にあきれ顔をする咲良。

「旦那様の手習い帳には『情緒』という言葉は無かったのですか?」

 聞こえないふりをしてしれっと湯殿に向かう久秀。
 咲良は置かれたままになっている胡蝶からの恋文を見ながら、フッと小さな溜息を溢した。

 膳を片付けて、行燈の灯を強くしてから、縫いかけの着物を持ち出す。
 針仕事として頼まれているものは、明日届ければ一段落だ。
 もう少しで新之助の長剣を買うことができるほどには貯えもできた。

「さあ、もう少し頑張りましょうね」

 咲良が手にしているのは久秀の袴だ。
 筍が皮を剝がすように、着物を一枚ずつ売って暮らしていたあの頃を、懐かしくさえ感じるのは、暮らしに余裕ができたからだろう。
 三人が江戸に来て、もうすぐ三年という月日が流れている。

 年が明けて25歳になった咲良は、両親の顔を思い浮かべて嫁がぬ親不孝を心で詫びた。
 すべてが終わったら夫婦にという久秀の言葉を信じていないわけではないが、巨悪に立ち向かおうとしている今、その約束が果たされることは無いと思わねばならない。
 命に代えてもと口では言いつつ、女としての幸せを諦めきれない自分に腹がたつ。
 咲良はギュッと目を閉じて、己の甘さを追い払った。

「お先に、今ちょうど良い加減だよ。咲良も入ってきなさい」

「はい、ではそうさせていただきます」

 風呂から上がった久秀の声に、咲良は何事もなかったように笑顔を見せる。
 咲良がそのままにした縫物を見た久秀は、ギュッと唇を嚙みしめた。

「咲良……必ず幸せにするからね」

 台所に降りてゴソゴソと酒を注いでいると、バタバタと足音がした。
 振り向くと襦袢だけの姿で咲良が何かを握りしめていた。
 よほど急いでいたのだろう、いつもはきっちりと詰めている胸元がゆるんで、その隙間から双丘の裾野が垣間見えている。

「さ……咲良!」

 真っ赤な顔をした久秀の言葉を無視して、咲良が腕を伸ばした。

「旦那様! お許しください。すっかり失念しておりました」

 咲良が差し出した結び文を受け取り、板の間に腰かける。
 酒を用意している途中だったのだと察した咲良は、そのまま土間に降りた。

「さあ、どうするかな……乗るか反るか……」

「何事でございますか?」

「明日は留守にしろと書いてあるよ」

 久秀が結び文を広げて見せると、流れるような女文字が綴ってあった。

「どなたからかしら……」

「恐らくはお朝」

「え? お朝さんとはお昼ごろにお話ししましたよ? この文はそれより随分前に投げ込まれたのです」

「その文を投げ入れてから俺のところに顔を出したのだろう。そして何食わぬ顔でお前の前に現れた。ということは、この文を書いたのが自分だと知られるわけにはいかなかったということだろう。それでも伝わらないことを懸念して俺に念を押したのかもしれない」

 咲良は胸の前で腕を組んで難しい顔をしている。
 久秀が揶揄うような口調で言った。

「俺を誘惑しているのなら、すでに大成功だ。咲良が両手で抱えているその白桃は、俺の大好物だから、早く逃げないと押し倒して食らいつくぞ」

 襦袢のまま久秀の前で腕を組んでいることに気付いた咲良は、小さく悲鳴を上げて風呂場に駆け戻って行った。

「しまった……黙っていればもう少し拝めたものを……」

 久秀は膝前に置かれた酒を呷った。

 湯にのぼせたのか、いつまでたってもゆで上がった蛸のような顔をしている咲良に、迎えに行くまで柴田道場に居ろと言いつけて寝床に入る。
 久秀は咲良の白い肌がチラついて眠れない。
 思い余って上半身を起こすと、当の咲良は涼しげな顔で寝息を立てていた。

「女の方が絶対に強いよな……」

 久秀の独り言は闇に吸い込まれていった。
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