和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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柳の絵

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 あくる朝、新之助を柴田道場に残し久秀と咲良、そしてお嶋はお朝の家に向かった。
 まだ正晴がいる可能性もあるので、久秀は近くの茶屋で待機することになり、女二人で向かうことになった。

「ごめんなさいよ。お朝さん、いるかい?」

 遠くで返事の声がして、お朝が顔を出した。

「あれぇ、お嶋さんと咲良さんじゃないか。昨日はどうもありがとうね、本当に助かったよ」

「お客さま方は?」

「三河屋さん達は昨日のうちにお帰りになったよ。あとは新吉原へ繰り出してそのままさ」

「そう……じゃあ大黒屋は大繫盛ってことだ」

「いや、今は肥後屋だよ。うちの旦那もあたしを引かせてから、もう誰の馴染みって訳じゃないし。何といっても若様が胡蝶太夫に夢中だからね」

「なるほどね……ああ、そうだ。これ蒸し饅頭だよ。昨日はたんと祝儀を戴いたからね、そのお礼さ」

「あれぇ、そいつはありがたいねぇ。いくら入ってた?あたしはまだ開いてもいないんだ」

 咲良が二人の会話に割り込んだ。

「お朝さん、昨日のご祝儀をそのまま見せてもらえないかしら」

 お朝は驚いた顔で咲良を見たが、何も言わず頷いた。
 
「はい、これ。昨日のままさ」

 礼を言った咲良が懐紙を開くと、うっすらと柳の絵が描かれていた。

「ありがとう」

 一朱金を包みなおしてお朝に渡すと、差し出した手をそのまま押し返された。

「これで新之助さんに菓子でも買ってやっておくれ」

「それはいけませんよ、お朝さん」

「いや、下心があるんだよ。うちの旦那が言うには、昨日のようなことが何度もあるらしくてね。できれば手伝いを頼みたいんだ。ほら、あたしは友達もいないし……頼るところが無いだろ?」

 お嶋が頷いた。

「あたしたちで良ければいつでも呼んでおくれな。遠慮はいらないよ。来れない時はちゃんと断るし、無理はしないからさ」

「そう言ってくれると助かるよ。来月の初めにもあるようなことを言ってたから、日がわかったら早めに伝えるからさ……ああ、それと咲良さん。仕立てを頼みたいから、あとでお邪魔するよ」

「はい、わかりました。お待ちしております」

 女たちは笑顔で別れ、お嶋と咲良は逸る気持ちを押さえながら茶屋に向かう。
 二階の個室に陣取っていた久秀が、女中に汁粉を二つ注文した。

「どうだった?」

 咲良が懐から出して差し出す。

「柳か……胡蝶ではないな。まあとにかく柳葉太夫が座頭を呼ぶのを待つしかないな」

 久秀は懐からご祝儀が包まれていた懐紙を出して改めて眺めている。

「この九曜紋……」

 久秀の独り言はお嶋と咲良の耳には届かなかった。
 運ばれてきた汁粉をくろもじでくるくると混ぜながら、お嶋がポツンと言う。

「柳葉太夫はちょいと訳ありの太夫なのさ。引き込み禿から振袖新造にも留袖新造にもならずに、いきなり番頭新造になったってんだからおかしな話だよ。普通の番新なら三十路の前だけれど、柳葉太夫はまだ二十歳かそこらだもの」

 咲良が聞く。

「そういうことって珍しいのですか?」

「滅多にないね。私の知っている限りでは二人目だ。引き込み禿の時からお大尽に目をつけられて、他の客を取らせないために、いきなり番新にするんだよ。番新ならあいさつ回りも必要ないし、部屋持ちだし買い切り扱いにもできる」

「買い切り?」

「うん、見世に大金を積んで年中買占めにするんだよ。引かせるよりも金がかかるから、余程の金持ちしかしない」

 久秀がお嶋の顔を見ながら声を出した。

「引かせた方が安上がりなのになぜそんなことを?」

「全ての世話を見世にやらせりゃ管理ができるだろ? 浮気もないし、会いたいときだけ会えるしね。それに飽きたら捨てても恨みっこなしって寸法さ」

 久秀と咲良が顔を見合わせる。

「それが柳葉太夫ってことかい?」

「それだけなら訳ありなんて言いやしないさ。あの子はね、飼い主がいなくなってしまったんだよ。番新から留新に戻るなんて前代未聞さね」

「では今は客もとるってこと?」

「うん、そういうことだね。珍しもの好きには人気だって話だよ」

 久秀はじっと考え込んでいる。
 汁粉を食べきったお嶋が声を掛けた。

「さあ、仕事に行こうかね」

「あ……ああ、そうか。仕事か」

 咲良が茶代を払っている間に、お嶋が久秀に耳うちをする。

「柳葉太夫を買い切っていたのはどこぞの藩のお偉いさんって話だよ」

「へぇ……そうなんだ。そういえば柳葉太夫って弁当頼んでないよね?」

「ああ、頼むのは胡蝶太夫だけだね」

 お嶋と久秀はそのまま柳屋に向かい、咲良は家に戻った。
 朝餉を食べ損ねていたので茶漬けで済ませ、自室で針仕事に精を出す。
 近くの寺の鐘で顔をあげるまで、一心に針を動かしていた。
 そろそろ新之助を迎えに行こうと立ち上がった時、玄関が開く音に気付く。

「どなたでしょうか」

 久秀も新之助も普段は勝手口を使っている。
 玄関を開けて入ってくるのはお嶋かお針仕事を頼みに来る客だけだ。
 式台まで出てみたが誰もいない。
 ふと見ると沓脱石の上に結び文が置かれていた。

「どなたからかしら……宛名も差出人も書いてないなんて」

 開けてみようかとも思ったが、久秀宛のものであったらいけないと考えた咲良は、それをそのまま文箱に入れた。
 戸締りを確認して柴田道場に向かう。
 昨夜のお礼に虎屋の蒸し羊羹を買った。

 買い物をしながら本所の大通りを歩いていると、子供に手を引かせて歩いている座頭とすれ違う。
 荷物を担がせ手を引かせているところを見ると、どこかに呼ばれているのかもしれない。

「どうされましたか? 母上」

「いえ、なんでもありません。それにしても今日もたくさん傷を作ってますねぇ」

「はい……昨日の夜、父上の一人稽古を見たのです。私はまだまだ覚悟が足りていないと思い知りました」

「それで無理をしたのですか?」

「いえ、無理ではありません」

 新之助がニカッと明るい顔をした。
 その笑顔に咲良は胸が痛む思いがする。
 あんなことが無ければ、今でも屈託のない日々を送っていたはずなのに……

「新之助、今日は鶏と根深を甘辛く煮付けて卵を落としましょうか。たくさん食べて元気を出さねばなりませんからね」

 大好きな献立に、踊るような仕草を見せる新之助。
 咲良は何を犠牲にしてでも、早くこの子を自由にしてやりたいと思った。
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