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探り合い
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その頃久秀が投宿している三堀屋の奥座敷では、三人の男が頭を寄せ合っていた。
権さんと呼ばれている男が口を開く。
「私の見立てでは白ですね。しかも相当な手練れですよ。恐らく私では敵いますまい」
亭主が驚いた顔をする。
「あなたでも? それは凄腕だねぇ」
三良坂が続ける。
「私も白と睨んでいるが、何か訳ありのようだ。素性はわかったのかい?」
「もと山名藩の浪人で、今は新吉原近くの仕出し屋で働いていると宿帳には書かれていますが、本当かどうかは知らせを待つしかありませんね」
「家族は?」
「女房と子が一人。十になる息子だと言っていました」
「まあ全ては江戸からの知らせ待ちということだね」
この三人の中で一番格上なのは、どうやら三良坂のようだ。
「知らせが届き次第決行しよう。それと山名のバカ息子は?」
権さんが答える。
「今回は焼津までのようです。ここに来るのは手先の商人だけで、宿泊は山名藩名代ですので山城屋です」
「いつ?」
「明日には到着でしょう」
「船は?」
「まだです」
「それなら数日は猶予があるね。今回も手筈通り泳がせだ。荷船を出す場所を確認してくれ。娘は?」
「はい、およしを潜り込ませますので抜かりは無いと思います」
「しかしバカなことをするものだ」
宿の亭主が口を挟む。
「しかし段取りが緻密ですよね。誰が後ろにいるのか……」
「うん、それがわからないうちは手が出せない。なかなか尻尾を見せないねぇ。ああ面倒くさい。それにしても権さん、安藤さんを気に入ったようだね?」
「ええ、一度手合わせをしてみたいと思わせるなにかを持っています。できれば道場で正式にやりたいですね。敵味方ではなく」
「なるほど……楽しみだね。どう出てくるのだろうねぇ?」
男たちはクツクツと忍び笑いを漏らした。
表玄関で声がする。
どうやら久秀が戻ったようだ。
三良坂が腰を上げる。
「さあ、私もひと風呂浴びてこようかね」
足音も立てずに部屋を出た三良坂を見送り、権さんと呼ばれている男も腰を上げた。
「ではわっしも」
無言の目礼で見送った三堀屋の亭主がホッと息を吐く。
「お侍さんの相手は本当に疲れるねぇ」
誰にともなく愚痴をこぼした。
「ああ、あなたでしたか」
素っ裸で湯殿に入ってきた久秀を、湯船の中で迎えた三良坂がニコニコと頭を下げた。
「お先によばれています」
「なんのなんの。今日は随分汗をかいたので、先に体を洗いますのでごゆっくり」
糸瓜の実を干して繊維だけにした垢すりたわしで、ごしごしと体を洗う久秀の背中を見ながら三良坂が声を出す。
「ご立派な背中だ。随分鍛えておいでですねぇ」
「ははは! 男に褒められても嬉しくないですなぁ」
「そういえばご妻帯で?」
「ええ、江戸に愛しい妻とかわいい息子を残して来ました」
「愛しい妻とは、なんとも羨ましいことだ」
「ええ、自分で言うのも面はゆいですが本当にできた妻なんですよ。貧乏にも文句ひとつ言わず、せっせと内職をして今回の路銀を工面してくれました」
「それはそれは。なんとも微笑ましいご夫婦だ」
「微笑ましいかどうかはわかりませんが、私には勿体ないような女です。気立ては良いしきれいだし、料理は旨いし。なんと言っても人間としての芯がある。そんな女です」
「ははは、これはやられました。どうもごちそうさまでございます」
「いや、これは……のろけてしまいましたね。お恥ずかしい」
「恋しいのでしょう? まだお若いんだ。よろしければ女の手配でも致しましょうか?」
「いえ、それは固くお断りしましょう。私は妻一筋ですので」
二人の笑い声が湯殿に響く。
三良坂は、権さんと呼んでいる配下である権左の言った通りこの男は白だと思った。
それならばなぜと疑問も浮かぶ。
しかしそれを口にした瞬間、この男とは決裂するだろうことも肌身で感じるのだ。
三良坂はこの安藤久秀という男に、尋常ではない興味を持っている自分に驚いている。
「安藤様、是非一度腹を割ってお話がしたいものですな」
「そうですか? 腹を割るも何も俺には何も隠し事がないですよ。言っていないことはあるが、噓はついてない。口を開けて腹の中を全部見せている鯉のぼりのような人間です」
「鯉のぼりとは! ははは! 安藤様は実に面白い方だ」
「俺も三良坂さんには興味がありますね」
笑いながら頷いた三良坂が湯から出た。
「ではお先に」
「ええ、どうぞごゆっくりなさってください」
湯殿に一人残った久秀は、廓の女たちに教わった唄を鼻三味線で唸りながら、ザバッと勢いよく湯を掛け流した。
ふと江戸の家を思い出す。
新之助は柴田のしごきに耐えているだろうか。
俺がいないからといって、咲良に甘えているのだろうか。
咲良の胸に顔を埋めて眠っているのではないだろうか。
「ちくしょう! 羨ましい! 俺も新之助になりてえ!」
久秀は独り言ちながら湯殿を後にした。
権さんと呼ばれている男が口を開く。
「私の見立てでは白ですね。しかも相当な手練れですよ。恐らく私では敵いますまい」
亭主が驚いた顔をする。
「あなたでも? それは凄腕だねぇ」
三良坂が続ける。
「私も白と睨んでいるが、何か訳ありのようだ。素性はわかったのかい?」
「もと山名藩の浪人で、今は新吉原近くの仕出し屋で働いていると宿帳には書かれていますが、本当かどうかは知らせを待つしかありませんね」
「家族は?」
「女房と子が一人。十になる息子だと言っていました」
「まあ全ては江戸からの知らせ待ちということだね」
この三人の中で一番格上なのは、どうやら三良坂のようだ。
「知らせが届き次第決行しよう。それと山名のバカ息子は?」
権さんが答える。
「今回は焼津までのようです。ここに来るのは手先の商人だけで、宿泊は山名藩名代ですので山城屋です」
「いつ?」
「明日には到着でしょう」
「船は?」
「まだです」
「それなら数日は猶予があるね。今回も手筈通り泳がせだ。荷船を出す場所を確認してくれ。娘は?」
「はい、およしを潜り込ませますので抜かりは無いと思います」
「しかしバカなことをするものだ」
宿の亭主が口を挟む。
「しかし段取りが緻密ですよね。誰が後ろにいるのか……」
「うん、それがわからないうちは手が出せない。なかなか尻尾を見せないねぇ。ああ面倒くさい。それにしても権さん、安藤さんを気に入ったようだね?」
「ええ、一度手合わせをしてみたいと思わせるなにかを持っています。できれば道場で正式にやりたいですね。敵味方ではなく」
「なるほど……楽しみだね。どう出てくるのだろうねぇ?」
男たちはクツクツと忍び笑いを漏らした。
表玄関で声がする。
どうやら久秀が戻ったようだ。
三良坂が腰を上げる。
「さあ、私もひと風呂浴びてこようかね」
足音も立てずに部屋を出た三良坂を見送り、権さんと呼ばれている男も腰を上げた。
「ではわっしも」
無言の目礼で見送った三堀屋の亭主がホッと息を吐く。
「お侍さんの相手は本当に疲れるねぇ」
誰にともなく愚痴をこぼした。
「ああ、あなたでしたか」
素っ裸で湯殿に入ってきた久秀を、湯船の中で迎えた三良坂がニコニコと頭を下げた。
「お先によばれています」
「なんのなんの。今日は随分汗をかいたので、先に体を洗いますのでごゆっくり」
糸瓜の実を干して繊維だけにした垢すりたわしで、ごしごしと体を洗う久秀の背中を見ながら三良坂が声を出す。
「ご立派な背中だ。随分鍛えておいでですねぇ」
「ははは! 男に褒められても嬉しくないですなぁ」
「そういえばご妻帯で?」
「ええ、江戸に愛しい妻とかわいい息子を残して来ました」
「愛しい妻とは、なんとも羨ましいことだ」
「ええ、自分で言うのも面はゆいですが本当にできた妻なんですよ。貧乏にも文句ひとつ言わず、せっせと内職をして今回の路銀を工面してくれました」
「それはそれは。なんとも微笑ましいご夫婦だ」
「微笑ましいかどうかはわかりませんが、私には勿体ないような女です。気立ては良いしきれいだし、料理は旨いし。なんと言っても人間としての芯がある。そんな女です」
「ははは、これはやられました。どうもごちそうさまでございます」
「いや、これは……のろけてしまいましたね。お恥ずかしい」
「恋しいのでしょう? まだお若いんだ。よろしければ女の手配でも致しましょうか?」
「いえ、それは固くお断りしましょう。私は妻一筋ですので」
二人の笑い声が湯殿に響く。
三良坂は、権さんと呼んでいる配下である権左の言った通りこの男は白だと思った。
それならばなぜと疑問も浮かぶ。
しかしそれを口にした瞬間、この男とは決裂するだろうことも肌身で感じるのだ。
三良坂はこの安藤久秀という男に、尋常ではない興味を持っている自分に驚いている。
「安藤様、是非一度腹を割ってお話がしたいものですな」
「そうですか? 腹を割るも何も俺には何も隠し事がないですよ。言っていないことはあるが、噓はついてない。口を開けて腹の中を全部見せている鯉のぼりのような人間です」
「鯉のぼりとは! ははは! 安藤様は実に面白い方だ」
「俺も三良坂さんには興味がありますね」
笑いながら頷いた三良坂が湯から出た。
「ではお先に」
「ええ、どうぞごゆっくりなさってください」
湯殿に一人残った久秀は、廓の女たちに教わった唄を鼻三味線で唸りながら、ザバッと勢いよく湯を掛け流した。
ふと江戸の家を思い出す。
新之助は柴田のしごきに耐えているだろうか。
俺がいないからといって、咲良に甘えているのだろうか。
咲良の胸に顔を埋めて眠っているのではないだろうか。
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