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胡散臭い
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「権さんっていう人はどちらかな?」
久秀が板場に顔を出すと、昨日部屋に来た年嵩の女が声を出した。
「あれぇ、北の間のお客さんでないの。権さんをさがしてるのかね」
「うん、権さんが岬って所に住んでるって聞いてね」
そんな会話をしていると、水桶の横に座っていた男が立ち上がった。
人当たりの良さそう笑顔を浮かべているが、見る者が見ればその所作にまったく隙が無いことがわかる。
こいつはなかなかの手練れだと久秀は思った。
「わっしに何か御用ですかい?」
「ああ、あなたが権さん? さっき掃除に来た人に聞いたのだけれど、岬ってところに住んでいて南蛮船を見たことがあるって?」
「へい」
なんとも短い返事だった。
「いやぁ、実は私は見たことが無くてね。せっかくこの地に滞在しているのだから、なんとか拝めないかとおもってさ」
「さいですか。わっしの家からなら見えますよ。二か月毎には来るから、今月は来る月ですね。一度来たら五日くらいは停泊してます」
「肉眼で見えるの?」
「はい、乗組員の顔まで見えますよ」
「今月はまだ来てないってことは、待っていれば見れるかな」
「……見えたらお知らせしましょうよ」
ぶっきら棒な物言いだが、内容は明確で親切だ。
「権さんは通いかい?」
「はい、娘が一人で待っておりますので」
久秀はスッと側によって耳打ちした。
「仕事は何時まで?」
「宵に入る前には帰ります」
二人は暫し目を合わせ、無言の会話を交わした。
「ありがとうね。今夜は道場で食べるから俺の分の夕食は夜勤の人で分けて食べて」
権さんと呼ばれている男は何も言わず元居た場所に戻って行った。
そのまま玄関を出て宇随のいる道場まで歩く。
途中で餡子のたっぷり入った蒸饅頭を買い求め、手土産にした。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。安藤先生」
宇随に頼まれて時々若い剣士に稽古をつけている久秀は『安藤先生』と呼ばれている。
「宇随先生は?」
「朝からお出かけです。昼過ぎには安藤先生がいらっしゃるからそれまでは素振りをせよと申しつけられております」
来るかどうかなど約束もしていないのに、相変わらず宇随義正の先読みは恐ろしいと改めて思う。
「そうか、ではもう体は温まっているね」
久秀は宇随から借りている道着に着替え道場に向かった。
元気のよい挨拶を受けながら、上級者から剣を合わせていく。
真剣な顔で正座して見つめる若い剣士たちの覇気に、久秀は高揚を覚えた。
「うん、さすが宇随先生の弟子だ。もう俺では歯が立つまいよ」
宇随の叩きのめして這い上がらせる教え方に対し、久秀のそれは褒めて伸ばすやり方だ。
「ありがとうございました」
ひと通り終わると、久秀は持ってきていた饅頭を渡す。
全員で一列に並んで縁側に腰かけていると、宇随が供を連れて戻ってきた。
生徒たちが一斉に居ずまいを正そうとする中、久秀だけはそのまま吞気な声を出す。
「お帰りなさい、先輩」
「ああ、やはり来たか。おまえに土産があるぞ」
ニヤッと笑った宇随が久秀の隣に腰をおろす。
「そりゃ嬉しいなぁ。私も土産を持ってきましたよ。食べませんか?」
ここいらでは『へぎ』と呼ばれる経木のまま置かれている饅頭を指さした。
「おお、小饅頭じゃないか。これ旨いだろ?」
「ええ、とても気に入っています」
「これを食うと思い出すのは川土手で食った饅頭だよな」
「ははは! 宇随先輩に熱を上げてた饅頭屋の娘でしょ? かわいい娘でしたよね」
「バカを言うな。あの娘はお前に惚れてたんだぜ? 俺は当て馬さ」
「え?」
二人の剣士の若い頃の話に、興味津々の弟子たちだったが、宇随が放った解散の一言で、残念そうに帰り支度を始めた。
「そういえば私への土産ってあれですか?」
「ああ、あれだ」
「そいつはありがたい。こちらも少し面白い話があるのですよ」
帰っていく少年たちの挨拶に、手を上げて応えながら久秀は三良坂弥右衛門の話をした。
「胡散臭いな」
「でしょ?」
「日にちは?」
「まだですが、そろそろと言っていました」
「三河と言ったか?」
「ええ、漁師というか舟の管理をしている元締めだと自分では名乗っていましたね。苗字を持っているということはそれなりの者なのでしょう」
「そこだよ。苗字も名乗るってことは疑ってくれと言っているようなものさ。もちろん乗るのだろう?」
「ええ、でも騒いでこっちが捕まるってのはいただけませんや」
「うん、それが狙いかもしれんな。もしかしたらお主、疑われているのではないか?」
「え? 俺が?」
「ああ、抜け荷や人買いの話は数年前から耳に入っているんだ。お前は一味だと思われているのかもしれんぞ?」
「まさか……そうなると俺の宿の主も……」
「宿はどこだと言ったかな」
「えっと……なんていう名だったかな。とにかく山城屋の隣ってことだけで選んだので……」
「山城屋の隣なら三堀屋か。ああ、あそこの亭主は公儀の犬だぜ」
「ああ、なるほど。それで合点がいきましたよ。板場にもなかなかの手練れが居ますし、俺は話していないのに、宇随さんの道場に通っているって知ってましたもん」
「ははは! じゃあやはりお主は疑われているのだな。なかなか面白いじゃないか」
「やっぱり? では三良坂ってのもその筋ですか」
「おそらくな。なんともわざわざ疑わせるようなことばかりだ。お前がそれを察知して中止にさせる魂胆じゃないか?」
「なるほど、これで本当に中止になれば俺は抜け荷一味確定ってことだ」
それから久秀と宇随はその日の段取りを相談した。
同行させる者を宇随が選び、当日を待つことにして、何食わぬ顔で久秀は宿に戻った。
久秀が板場に顔を出すと、昨日部屋に来た年嵩の女が声を出した。
「あれぇ、北の間のお客さんでないの。権さんをさがしてるのかね」
「うん、権さんが岬って所に住んでるって聞いてね」
そんな会話をしていると、水桶の横に座っていた男が立ち上がった。
人当たりの良さそう笑顔を浮かべているが、見る者が見ればその所作にまったく隙が無いことがわかる。
こいつはなかなかの手練れだと久秀は思った。
「わっしに何か御用ですかい?」
「ああ、あなたが権さん? さっき掃除に来た人に聞いたのだけれど、岬ってところに住んでいて南蛮船を見たことがあるって?」
「へい」
なんとも短い返事だった。
「いやぁ、実は私は見たことが無くてね。せっかくこの地に滞在しているのだから、なんとか拝めないかとおもってさ」
「さいですか。わっしの家からなら見えますよ。二か月毎には来るから、今月は来る月ですね。一度来たら五日くらいは停泊してます」
「肉眼で見えるの?」
「はい、乗組員の顔まで見えますよ」
「今月はまだ来てないってことは、待っていれば見れるかな」
「……見えたらお知らせしましょうよ」
ぶっきら棒な物言いだが、内容は明確で親切だ。
「権さんは通いかい?」
「はい、娘が一人で待っておりますので」
久秀はスッと側によって耳打ちした。
「仕事は何時まで?」
「宵に入る前には帰ります」
二人は暫し目を合わせ、無言の会話を交わした。
「ありがとうね。今夜は道場で食べるから俺の分の夕食は夜勤の人で分けて食べて」
権さんと呼ばれている男は何も言わず元居た場所に戻って行った。
そのまま玄関を出て宇随のいる道場まで歩く。
途中で餡子のたっぷり入った蒸饅頭を買い求め、手土産にした。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。安藤先生」
宇随に頼まれて時々若い剣士に稽古をつけている久秀は『安藤先生』と呼ばれている。
「宇随先生は?」
「朝からお出かけです。昼過ぎには安藤先生がいらっしゃるからそれまでは素振りをせよと申しつけられております」
来るかどうかなど約束もしていないのに、相変わらず宇随義正の先読みは恐ろしいと改めて思う。
「そうか、ではもう体は温まっているね」
久秀は宇随から借りている道着に着替え道場に向かった。
元気のよい挨拶を受けながら、上級者から剣を合わせていく。
真剣な顔で正座して見つめる若い剣士たちの覇気に、久秀は高揚を覚えた。
「うん、さすが宇随先生の弟子だ。もう俺では歯が立つまいよ」
宇随の叩きのめして這い上がらせる教え方に対し、久秀のそれは褒めて伸ばすやり方だ。
「ありがとうございました」
ひと通り終わると、久秀は持ってきていた饅頭を渡す。
全員で一列に並んで縁側に腰かけていると、宇随が供を連れて戻ってきた。
生徒たちが一斉に居ずまいを正そうとする中、久秀だけはそのまま吞気な声を出す。
「お帰りなさい、先輩」
「ああ、やはり来たか。おまえに土産があるぞ」
ニヤッと笑った宇随が久秀の隣に腰をおろす。
「そりゃ嬉しいなぁ。私も土産を持ってきましたよ。食べませんか?」
ここいらでは『へぎ』と呼ばれる経木のまま置かれている饅頭を指さした。
「おお、小饅頭じゃないか。これ旨いだろ?」
「ええ、とても気に入っています」
「これを食うと思い出すのは川土手で食った饅頭だよな」
「ははは! 宇随先輩に熱を上げてた饅頭屋の娘でしょ? かわいい娘でしたよね」
「バカを言うな。あの娘はお前に惚れてたんだぜ? 俺は当て馬さ」
「え?」
二人の剣士の若い頃の話に、興味津々の弟子たちだったが、宇随が放った解散の一言で、残念そうに帰り支度を始めた。
「そういえば私への土産ってあれですか?」
「ああ、あれだ」
「そいつはありがたい。こちらも少し面白い話があるのですよ」
帰っていく少年たちの挨拶に、手を上げて応えながら久秀は三良坂弥右衛門の話をした。
「胡散臭いな」
「でしょ?」
「日にちは?」
「まだですが、そろそろと言っていました」
「三河と言ったか?」
「ええ、漁師というか舟の管理をしている元締めだと自分では名乗っていましたね。苗字を持っているということはそれなりの者なのでしょう」
「そこだよ。苗字も名乗るってことは疑ってくれと言っているようなものさ。もちろん乗るのだろう?」
「ええ、でも騒いでこっちが捕まるってのはいただけませんや」
「うん、それが狙いかもしれんな。もしかしたらお主、疑われているのではないか?」
「え? 俺が?」
「ああ、抜け荷や人買いの話は数年前から耳に入っているんだ。お前は一味だと思われているのかもしれんぞ?」
「まさか……そうなると俺の宿の主も……」
「宿はどこだと言ったかな」
「えっと……なんていう名だったかな。とにかく山城屋の隣ってことだけで選んだので……」
「山城屋の隣なら三堀屋か。ああ、あそこの亭主は公儀の犬だぜ」
「ああ、なるほど。それで合点がいきましたよ。板場にもなかなかの手練れが居ますし、俺は話していないのに、宇随さんの道場に通っているって知ってましたもん」
「ははは! じゃあやはりお主は疑われているのだな。なかなか面白いじゃないか」
「やっぱり? では三良坂ってのもその筋ですか」
「おそらくな。なんともわざわざ疑わせるようなことばかりだ。お前がそれを察知して中止にさせる魂胆じゃないか?」
「なるほど、これで本当に中止になれば俺は抜け荷一味確定ってことだ」
それから久秀と宇随はその日の段取りを相談した。
同行させる者を宇随が選び、当日を待つことにして、何食わぬ顔で久秀は宿に戻った。
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