和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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 久秀の顔を正面から見たその男は正座をして挨拶をする。

「手前は三河で漁師の元締めをしております三良坂弥右衛門と申します。先ほどお話しいたしました通り、こちらへは新しい取引先を紹介するとの話で参りました。どうぞお見知りおきくださいませ」

「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。拙者は安藤久秀と申します。以前は山名藩国家老三沢長政様にお仕えしていましたが、今は浪々の身ですよ。江戸には妻と子がおります」

「左様でございましたか。こちらにはご友人に会いに来られたとか」

「ええ、そうです。江戸で剣の修行をしていた時の先輩がいましてね」

 宿の亭主が口を挟む。

「そのご友人と仰るのは宇随様でございましょう?」

 久秀の眉がぴくっと動く。
 ピりついた気分を悟らせないように、久秀はわざと口調を変えた。

「あれ? 俺ってそんなことまで言いましたっけ。そうですよ、宇随義正殿です」

 三良坂と名乗った男と宿の亭主が顔を見合わせた。

「実は……安藤様を見込んでお話しがございます」

 宿の亭主が居ずまいを正した。
 久秀が真剣な顔で頷くと、亭主がパンパンと手を打って番頭を呼んだ。

「こちらにな、酒と魚を持ってきておくれ。せっかくの食事も手つかずのうちに冷めてしまったから、これは下げて何か見繕っておくれ」

 番頭が下がると、三良坂が膝を進めた。

「手前は船頭を束ねて居りますが、仕事は漁だけではないのですよ。荷を運ぶから舟を出せと言われればそのようにいたしますし、漕ぎ手を貸せと言われたらそのようにいたします。でもね、人買いと抜け荷には手を出すつもりは無いんですよ」

 久秀の膝が動いた。

「人買いと言われたか? それに抜け荷とは?」

「へい、実は今回も新しい魚の取引だと呼ばれておりますが、恐らくは違うものを運ばせようという魂胆ではないかと思うのです」

「それはなぜそう思われるのか?」

「前回の事ですが、同じお店から話がございましてね。舟を三艘と漕ぎ手を六人出したのです。前の二艘は確かに焼津の魚を三河まで運んだのですが、最後の一艘がどうやら魚ではない物を運ばされたようで。船頭が言うには大きな木箱を三つ積み込まれて、これは干物で長崎まで運ぶから、沖の船まで運ぶように言われたのだそうです」

 久秀が前のめりになった。

「舟が傾くほどの大荷物で、横波が来た時にガタンと揺れて、中の干物が声を出したと申すのです」

「それはまた……」

「何を運ばされているのか考えただけでも恐ろしく、気付かぬふりで指示通り仕事を終えて戻ったのですが……」

「戻ったのに? 何かあったのか?」

 三良坂の喉がゴクッと鳴った。

「その舟の船頭がいなくなっちまいましてね。探しはしましたがさっぱり行方が分からずに居りました。それがつい最近、ここ島田で姿を見たというものがおりまして。本当ならあのお店の仕事はなんとか言い訳をして断ろうと思っていたのですが、それを聞くと放っておくわけにもいかず」

「なるほど、それで出向かれたのか」

 仲居が数人やってきて、料理や酒を運び込む。
 宿の亭主がテキパキと指示を飛ばし、あっという間に宴席のような設えになった。

「おいおい、これは……何を頼もうとしているのか知らないが、俺は断るかもしれないんだ」

「へえ、それは勿論心得ておりますよ」

 亭主が徳利を持ち上げて、久秀に酒を勧めた。
 くいっと飲み干し、久秀が静かな声で言う。

「事と次第によってはご助力申す。しかし、内容を聞いてからだ」

 三良坂が大きく頷いた。

「ようござんす。あまり話を引っ張るのもご迷惑でしょう。はっきり申し上げます。私たちが商談をしている部屋の隣で騒いでいただきたいのです。道場のお仲間を連れて」

「はぁ?」

「要するに穏便に流れるようにしていただきたいのですよ。相手は商人ですが、数人の用心棒を連れてきております。そんな奴らと渡り合えるのは剣客の方達しかおられないでしょう?」

「しかし、その日は流れても翌日にもう一度なんて言われるんじゃないのかい?」

「そこはそれ、蛇の道は蛇と申しましょう? この港から出るために荷を隠す場所は一か所しかございません。そこには別に雇った者たちを向かわせて、干物を逃がします。そうすれば取引どころじゃございませんからね」

「なるほどの。それで、その干物はどこに隠すのかな?」

 宿屋の亭主が胸に手を当てた。

「それはこちらで」

「在所に帰すのか?」

「そう望む者はそうしますし、帰らぬことを望む者は手前の店で引き取りましょう」

「ふむ……なあ、二つ教えてくれ」

「何なりと」

「その店というのは『富士屋』か?」

「はい、仰せの通りで」

「そこには武家の……そうだなあ、年のころは俺くらいのやたら威張っている男も来るか?」

「私は二度目でございますが、前回はそのような方はおられませんでした」

「そうか……う~ん。悩みどころだな」

「と申されますのは?」

「実はその富士屋と懇意にしている威張りくさった侍に顔を観られたくないのだよ。それに富士屋がそいつと切れるのも不味い」

「なるほど。ではこうしましょう。富士屋の責任ではなく、隣の倉庫から出荷して、駆け付けた者たちが偶然見つけて逃がすっていう筋書です」

「うん、それなら乗ろう。ただし先ほど言った侍がいたら、俺は尻をまくって姿を隠すぜ」

「はははっ! これはなかなか面白い方ですの。騒ぎさえ起こしていただければ問題ございませんよ。要は干物を逃がすまでの時間稼ぎです。私はその席におりますので、もしそのような方がご同席であれば合図をいたしましょう」

「なるほど、それで、合図とは?」

「なに、大きな声で騒いでいただけましたら、こちらも大きな声で返します。いる時は『お静かに願います』と申しましょう。いないときは『うるさい』とでも怒鳴りましょうか」

「あい分かった。場所は?」

「隣の山城屋でございます」

「本陣で密談か? そりゃ豪気だなぁ」

 宿屋の亭主が言った。

「まあ三番ですから一般客も泊めますからね。うちの三倍払えばいいだけです」

 久秀は肩を竦めた。

「俺は一生泊まることは無さそうだ。宴会の費用は持ってくれるのかい?」

「勿論でございます」

「それを聞いて何より安心したよ。では明日にでも道場の奴らに話を通しておこう。日にちはいつわかる?」

「便りで知らせてくるでしょう。先触れがあってからもう十日ですからね、そろそろだとは思います」

 改めて男たちは酒を飲み、料理を腹に収めた。
 先ほど相談に来た娘も、危うく干物にされるところだったのだろう。
 あれほどの訛りがある、さほど別嬪というわけでもない少女だ。
 売られた先の行く末など考えたくもない。

「どうりで亭主があっさり引き受けたわけだ」

 久秀は静かに酒を酌み交わす二人の初老の男に少なくない興味を覚えた。
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