和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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旧友

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 それから五日、久秀はひたすら歩き続け、目的地である焼津に到着した。
 焼津港という日本有数の漁港を有しているが、庶民にとっては大井川の方が有名だろう。
 この大井川を眼下に収める旅籠に草鞋を脱いだ久秀は、宿の亭主を呼んだ。

「すまんが長逗留なんだ。留守にすることも多いので寝られればそれで問題ない。安い部屋を用意してくれないか」

「左様でございますか。長いとはどのくらいのご予定で?」

 安い部屋を所望された亭主だが、嫌な顔も見せない。

「二月ほどを考えている」

「左様ですか。それでは……裏庭に面したお部屋はいかがでしょうか。大井川も見えませんし、障子を開ければ板塀が目の前という、なんとも殺風景なお部屋でございますが」

「そうか、勿論それで構わない。昼間はほとんどいないんだ。景色なぞ関係ないさ」

「こちらのお部屋代は二百文でございますが、そこでしたら百文で結構でございます。お食事はついておりますがいかがなさいますか?」

「食事はお願いしたい。もし留守であれば使用人達で食べてもらって構わないので準備はしておいて欲しい」

 そう言うと久秀は胴巻きから二両出した。

「これで足りなくなったら言ってくれ。それとこの金は我が女房殿がせっせと節約して貯めてくれた金なんだ。これを払えば俺は文無しだから、早めに言ってくれると助かるよ」

 亭主は顔色も変えずに頷いた。

「左様でございますか。それではお預かりいたします。今日からお移りになりますか?」

「そうしていただけると助かるが」

「よろしゅうございますとも。準備が整いましたらお声をおかけいたしますので、それまではごゆっくりなさってくださいませ」

 さすがに荒れると長逗留となる大井川側の宿屋だと久秀は思った。
 この辺りはお伊勢参りの庶民を相手にした木賃宿も多いのだが、わざわざ商人が使うような宿屋を選んだのには訳がある。

「ああ、ここならよく見えるな。裏側というのも好都合だ」

 その宿は山名藩御用達宿に隣接しているのだ。
 部屋を移った久秀は、部屋からすぐの板塀に節穴を見つけ、外の様子を伺った。
 表門は見えないが、そこに続く道に面しており、裏門の出入りも確認できる。

「まだ猶予はあるな。先に挨拶に行くとするか」

 久秀は咲良が縫いあげた着物に着替え、刀を腰に佩いた。

「お出かけですか」

 表に出ると仲居が声を掛けてきた。

「うん、ちょっと知り合いのところに挨拶に行ってくるよ」

「お気を付けて」

 玄関を出ると右に折れて山名藩ご用達宿の前を通った。

「山城屋か……なかなか飯の旨い宿だったな」

 三沢について何度か泊まった事がある久秀は、懐かしむような目でその看板を見た。
 
「さあ、急ぐか」

 感傷をその場に捨て去り、久秀が向かったのは水戸弘道館と武の双璧を成すと言われるほどの道場だった。
 そこの師範代は、久秀の剣友である宇随義正だ。
 宇随は久秀より二年先輩で、入門したての頃は文字通り死ぬほどの目に何度もあわされている。
 その剣は先読みに優れ、打ち込もうとした瞬間に防御されていたと言っても過言ではない。
 コツを聞いても見えるものは説明のしようがないと言う、いわゆる天才肌の剣士だった。

「ごめんください」

 正面玄関から声を掛けると、まだ稚児髷を結った少年が出てきた。
 その頬には青痣がくっきりと残っており、苛烈な稽古がうかがえる。

「はい、いらっしゃいませ」

「稽古中に申し訳ない。私は安藤久秀と申します。こちらにご在籍の宇随義正殿とは一緒に剣の修行をした者です。宇随先生は御在所ですか?」

「左様でございますか。少々この場にてお待ちください」

 小走りで去る少年の足の裏には、黄色く変色したタコがたくさんあった。
 あれがつぶれて、また出来て。
 それを何度も繰り返す事で強い踏み込みができるようになるのだ。
 ドシドシという音が響き、懐かしい顔が覗いた。

「おお! 安藤! よく来たな。まあ上がってくれ」

「宇随先輩、ご無沙汰しております」

 宇随は嬉しそうな顔で久秀を招き入れた。
 道場に案内され、神棚に頭を下げた久秀を、宇随は弟子たちに紹介する。

「私の修行時代の後輩で安藤久秀殿だ。機会があれば教えを乞うと良い。安藤の剣さばきは神速と言われていたんだ」

 宇随の弟子たちが一斉に頭を下げた。
 宇随は一番上級の弟子に稽古を任せ、久秀を促がして道場を後にした。
 通されたのは奥にある八畳間。

「久しいな、安藤。漏れ聞いたがなかなか大事があったらしいじゃないか」

「ええ、ここまで聞こえていましたか。そりゃもう大騒ぎでしたよ。お陰で私は無職です」

「無職? お前ほどの剣客であればどの藩でも欲しがるのではないか?」

「いやぁ、この世知辛くも平和な時代に、私のような剣しか取り柄が無いものはだめなようですよ。今は新吉原近くの料理屋で手伝いなどをして糊口をしのいでおります」

「それは何とも勿体ない話だな。それで? 此度は何か用事があるのか? それとも故郷へ帰る途中かな?」

 久秀はきまりが悪そうな顔で首すじをポリポリとかいた。

「実は先輩を見込んで頼みがあって参りました」

 宇随が目を丸くする。

「そうか、お主に頼られるとなんとも面はゆいが、うれしい限りだ。私にできる事であればなんでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

 久秀は宇随の言葉に笑顔を浮かべた。
 残夏の蝉が庭のクスノキにとまって、忙しない鳴き声を振りまいている。
 スッと風が部屋に入り込み、旅塵で汚れた久秀の頬をそっと撫でていった。
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