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同志
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「さすがに炊き立ては旨いですね。それにこの煮びたしも最高です」
「ありがとうございます」
着物が思っていたより高値で引き取ってもらえたので、咲良は米と味噌、しょう油や塩などを購入した。
古着ではあるが久秀の着物も1枚購入し、夏に向けての着物を仕立てるために麻の反物も手に入れてある。
「咲良、苦労をかける」
「いえ、無理やりついてきたのは私です。私がいるばかりに旦那様には要らぬ苦労をさせてしまいました」
「いや、あなたがいることで怪しまれることもなく江戸に辿り着けたのだ。苦労はお互い様というもの。後は為すべきことを為すのみ」
「はい」
久秀が三杯、新之助も負けじと二杯のお代わりをした夕餉のあと、風呂に入った久秀が外で焚き付けの世話をしている咲良に話しかけた。
「後で話すことがある。あなたの部屋で待っていてください」
「畏まりました」
部屋に戻ると新之助はすでに夢の中だった。
並べて敷いた布団の真ん中で、布団を跳ねのけて無邪気に手足を伸ばしている。
あまり贅沢はできないが、薄掛けも購入しようと咲良は思った。
静かに障子を閉めて自室に戻ると、ほどなくして久秀の声がかかる。
「入ってもよろしいか?」
「はい、どうぞ」
咲良の前に座した久秀は一気に距離を詰めた。
「あの……」
「内密の話なのだ。我慢してください」
「あ……いえ、我慢などと……」
「此度のこと、咲良はどこまで知っている?」
三沢家での出来事だと悟った咲良は正直に答えた。
「私はその日、お休みだったのです。家で母の手伝いをしていたのですが、なぜか物凄く妙な胸騒ぎがしておりました。するとお隣のご主人が駆け込んでこられて……」
「なんと言われたのか?」
「三沢様のお屋敷で騒動が起こったようだと言われました。私は持ち帰って洗濯をしておりました新之助様の肌着などを包みました。なぜそのようなことをしたのか、今となっては思い出せないのですが、おそらく相当に動転していたのだと思います」
「なるほど」
「お屋敷に入るにはお仕着せを着る必要がございますので、急いで着替えました。すると母がやってきて、この懐剣を渡してくれたのです。そして何があってもお子様方をお守りせよと。母にも何やら予感めいたものがあったのやもしれません」
「何というか流石に武家の女房殿だ」
「父は出仕しておりましたので、そちらも気がかりではありましたが、お屋敷に向かう途中で新之助様を抱えた安藤様を見つけて、後先も考えずにそのまま追ってしまいました」
「ん? 安藤様とは誰のことだ?」
「あ……旦那様です。申し訳ございません」
「謝ることは無いさ。俺はあなたに旦那様と呼ばれるたびに心が浮いたような気分になる。まあ、要するにそう呼ばれるのが気に入っているということさ。話を戻すが、お屋敷で何があったかは知らないのだね?」
「はい、道中で旦那様からお聞かせいただいたことが、私の知る全てでございます」
「なるほど。では今から話そう。しかしこれは他言無用だよ。言えば俺は愛妻を切らねばならんことになる」
咲良がその場で三つ指をついた。
「この命に代えましても」
久秀は満足そうに頷くと、咲良の肩に手をかけた。
咲良が顔をあげると、慈愛に満ちた視線が降ってくる。
久秀はゆっくりと口を開いた。
「お城に知らせが届いて、ご家老はその場にいた数人だけを連れてお屋敷に戻られたんだ。御門のところで狼藉者の供をしていた者たちに庭に連れて行かれた。当然我らは抗おうとしたが、ご家老はそれを止められて……全てを悟ったようなお顔だった」
「まあ! そのようなことが」
「うん、俺ともう一人はついて行ったのだ。するとご家老が俺の顔を見て一言『新之助を託す』と……おろおろしている使用人を捕まえて聞くと、まだ学問所から戻られていないという
ことでなぁ。俺は大急ぎで迎えに走ったんだよ。裏から出てふと振り返ると……」
急にクツクツと笑いだす久秀に、咲良が怪訝な顔をする。
「もうその角を曲がれば御門というところで、蹲っている新之助さまがいたのさ。焦ったよ。もう手にかかったのかと思ってね。慌てて走り寄ると、新之助様ったら蟻の行列を見物してるんだぜ? 確かにまだ春先なのに蟻が行列を作るのは珍しいが、だとしてもさ。とんでもない騒動が起こっている屋敷と、塀を一枚隔てたそこにある平穏。不思議な気がしたよ。だから俺は新之助様に見せたんだ」
「何をですか?」
「現実を。兄哲成様の無残な亡骸と、その横で腹を召されようとしている父上の姿だ」
咲良は息をのんだ。
「なんと惨い」
「ああ、惨いよな。でもね、咲良。俺は後悔してないんだよ。確かに新之助様はまだ幼い。しかし新之助様は三沢長政様の御子なんだ。俺たちとは背負っているものが違う。覚悟が……相当な覚悟が必要なんだよ。ご家老は俺に『託す』と仰った。それは『逃がせ』でもなく『助けろ』でもない。新之助様の命を繋ぐだけなら、どこぞの商家に預けたって良いし、なんなら武士にせず山奥の杣人にしたって良いんだ」
「それは……」
「だろ? 三沢新之助を託すってそういう意味じゃないだろ? だからたとえ幼くとも現実を知る必要があると思ったんだ。でもね、個人的には道端にしゃがんで蟻の行列を嬉しそうに眺めている新之助様が大好きだよ。できればそのまま大人にしてあげたい」
「そうですね。哲成様は嫡子としてご立派なお覚悟をお持ちの大人びた御子でしたが、新之助様は天真爛漫と申しましょうか……大変お可愛らしい心をお持ちですもの」
「うん、愛らしいよね。だから俺は物凄く悩んでいるんだ」
「何をですか?」
「今から新之助様が歩むであろう道の苦難を思うと……そういうのは全部俺が引き受けて、新之助様には町人として……」
「なりません!」
咲良が大きな声を出した。
慌ててその口を押さえる久秀。
「起きてしまうよ」
口をふさがれたままコクコクと首を振る咲良。
「申し訳ございません」
久秀は笑いをかみ殺すような表情を浮かべる。
ああ、世の女たちはこの笑顔に癒されるのだなぁと咲良は思った。
「新之助様には新之助様だけに与えられた運命というものがございます。もちろん旦那様には旦那様だけの、そして私には私だけの運命があると存じます。如何に荊の道なれど、それを進むが定めというもの。それを他人が勝手に曲げては神仏にしかられましょうぞ」
「やっぱり?」
「はい」
「じゃあ覚悟を決める? 俺もあなたも」
「勿論でございます」
「うん、じゃあ話すね。でも申し訳ないが話せないところもあるんだ。それは許してほしい」
咲良は真剣な眼差しで頷いた。
「俺は情報を集める。留守にすることも多いだろうし、いろいろな事を言ってくる奴もいるだろう。でも咲良、あなただけはどうか私を信じて欲しい。何があっても俺は今宵の覚悟を捨てることは無いと。俺の行動のすべてはそのためなのだと心に刻んで欲しい」
久秀の目は本気だった。
「ありがとうございます」
着物が思っていたより高値で引き取ってもらえたので、咲良は米と味噌、しょう油や塩などを購入した。
古着ではあるが久秀の着物も1枚購入し、夏に向けての着物を仕立てるために麻の反物も手に入れてある。
「咲良、苦労をかける」
「いえ、無理やりついてきたのは私です。私がいるばかりに旦那様には要らぬ苦労をさせてしまいました」
「いや、あなたがいることで怪しまれることもなく江戸に辿り着けたのだ。苦労はお互い様というもの。後は為すべきことを為すのみ」
「はい」
久秀が三杯、新之助も負けじと二杯のお代わりをした夕餉のあと、風呂に入った久秀が外で焚き付けの世話をしている咲良に話しかけた。
「後で話すことがある。あなたの部屋で待っていてください」
「畏まりました」
部屋に戻ると新之助はすでに夢の中だった。
並べて敷いた布団の真ん中で、布団を跳ねのけて無邪気に手足を伸ばしている。
あまり贅沢はできないが、薄掛けも購入しようと咲良は思った。
静かに障子を閉めて自室に戻ると、ほどなくして久秀の声がかかる。
「入ってもよろしいか?」
「はい、どうぞ」
咲良の前に座した久秀は一気に距離を詰めた。
「あの……」
「内密の話なのだ。我慢してください」
「あ……いえ、我慢などと……」
「此度のこと、咲良はどこまで知っている?」
三沢家での出来事だと悟った咲良は正直に答えた。
「私はその日、お休みだったのです。家で母の手伝いをしていたのですが、なぜか物凄く妙な胸騒ぎがしておりました。するとお隣のご主人が駆け込んでこられて……」
「なんと言われたのか?」
「三沢様のお屋敷で騒動が起こったようだと言われました。私は持ち帰って洗濯をしておりました新之助様の肌着などを包みました。なぜそのようなことをしたのか、今となっては思い出せないのですが、おそらく相当に動転していたのだと思います」
「なるほど」
「お屋敷に入るにはお仕着せを着る必要がございますので、急いで着替えました。すると母がやってきて、この懐剣を渡してくれたのです。そして何があってもお子様方をお守りせよと。母にも何やら予感めいたものがあったのやもしれません」
「何というか流石に武家の女房殿だ」
「父は出仕しておりましたので、そちらも気がかりではありましたが、お屋敷に向かう途中で新之助様を抱えた安藤様を見つけて、後先も考えずにそのまま追ってしまいました」
「ん? 安藤様とは誰のことだ?」
「あ……旦那様です。申し訳ございません」
「謝ることは無いさ。俺はあなたに旦那様と呼ばれるたびに心が浮いたような気分になる。まあ、要するにそう呼ばれるのが気に入っているということさ。話を戻すが、お屋敷で何があったかは知らないのだね?」
「はい、道中で旦那様からお聞かせいただいたことが、私の知る全てでございます」
「なるほど。では今から話そう。しかしこれは他言無用だよ。言えば俺は愛妻を切らねばならんことになる」
咲良がその場で三つ指をついた。
「この命に代えましても」
久秀は満足そうに頷くと、咲良の肩に手をかけた。
咲良が顔をあげると、慈愛に満ちた視線が降ってくる。
久秀はゆっくりと口を開いた。
「お城に知らせが届いて、ご家老はその場にいた数人だけを連れてお屋敷に戻られたんだ。御門のところで狼藉者の供をしていた者たちに庭に連れて行かれた。当然我らは抗おうとしたが、ご家老はそれを止められて……全てを悟ったようなお顔だった」
「まあ! そのようなことが」
「うん、俺ともう一人はついて行ったのだ。するとご家老が俺の顔を見て一言『新之助を託す』と……おろおろしている使用人を捕まえて聞くと、まだ学問所から戻られていないという
ことでなぁ。俺は大急ぎで迎えに走ったんだよ。裏から出てふと振り返ると……」
急にクツクツと笑いだす久秀に、咲良が怪訝な顔をする。
「もうその角を曲がれば御門というところで、蹲っている新之助さまがいたのさ。焦ったよ。もう手にかかったのかと思ってね。慌てて走り寄ると、新之助様ったら蟻の行列を見物してるんだぜ? 確かにまだ春先なのに蟻が行列を作るのは珍しいが、だとしてもさ。とんでもない騒動が起こっている屋敷と、塀を一枚隔てたそこにある平穏。不思議な気がしたよ。だから俺は新之助様に見せたんだ」
「何をですか?」
「現実を。兄哲成様の無残な亡骸と、その横で腹を召されようとしている父上の姿だ」
咲良は息をのんだ。
「なんと惨い」
「ああ、惨いよな。でもね、咲良。俺は後悔してないんだよ。確かに新之助様はまだ幼い。しかし新之助様は三沢長政様の御子なんだ。俺たちとは背負っているものが違う。覚悟が……相当な覚悟が必要なんだよ。ご家老は俺に『託す』と仰った。それは『逃がせ』でもなく『助けろ』でもない。新之助様の命を繋ぐだけなら、どこぞの商家に預けたって良いし、なんなら武士にせず山奥の杣人にしたって良いんだ」
「それは……」
「だろ? 三沢新之助を託すってそういう意味じゃないだろ? だからたとえ幼くとも現実を知る必要があると思ったんだ。でもね、個人的には道端にしゃがんで蟻の行列を嬉しそうに眺めている新之助様が大好きだよ。できればそのまま大人にしてあげたい」
「そうですね。哲成様は嫡子としてご立派なお覚悟をお持ちの大人びた御子でしたが、新之助様は天真爛漫と申しましょうか……大変お可愛らしい心をお持ちですもの」
「うん、愛らしいよね。だから俺は物凄く悩んでいるんだ」
「何をですか?」
「今から新之助様が歩むであろう道の苦難を思うと……そういうのは全部俺が引き受けて、新之助様には町人として……」
「なりません!」
咲良が大きな声を出した。
慌ててその口を押さえる久秀。
「起きてしまうよ」
口をふさがれたままコクコクと首を振る咲良。
「申し訳ございません」
久秀は笑いをかみ殺すような表情を浮かべる。
ああ、世の女たちはこの笑顔に癒されるのだなぁと咲良は思った。
「新之助様には新之助様だけに与えられた運命というものがございます。もちろん旦那様には旦那様だけの、そして私には私だけの運命があると存じます。如何に荊の道なれど、それを進むが定めというもの。それを他人が勝手に曲げては神仏にしかられましょうぞ」
「やっぱり?」
「はい」
「じゃあ覚悟を決める? 俺もあなたも」
「勿論でございます」
「うん、じゃあ話すね。でも申し訳ないが話せないところもあるんだ。それは許してほしい」
咲良は真剣な眼差しで頷いた。
「俺は情報を集める。留守にすることも多いだろうし、いろいろな事を言ってくる奴もいるだろう。でも咲良、あなただけはどうか私を信じて欲しい。何があっても俺は今宵の覚悟を捨てることは無いと。俺の行動のすべてはそのためなのだと心に刻んで欲しい」
久秀の目は本気だった。
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