和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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我儘とは

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 無事に関所を越えた一行は、一旦柴田研吾の道場へと向かった。
 妻と娘が迎えてくれて、久々に心置きなく風呂に浸かる。
 咲良が台所で立ち働く柴田の妻を手伝いながら、座敷で難しい顔をしている柴田と久秀の様子を気にしていたその時。

「これだけは勘弁願いたい。どうぞご容赦下され」

 風呂の方から新之助の声がした。
 久秀を見ると、柴田と共に腰を浮かせて様子を伺っている。

「私が参ります」

 咲良が小走りに土間を出た。
 柱の影から久秀が様子を伺っているのを確認してから、声を掛ける。

「新之助様。何事でございますか」

「咲良……さすがに恥ずかしい。これでは出るに出られない」

 脱衣所の前には困った表情を浮かべた柴田家の娘、彩音が正座していた。

「なにかございましたか?」

 娘がますます困った顔で咲良に言う。

「我が家には父上と母上と私の着物しかございません。旅塵で汚れておりましたので、新之助様の着物を洗濯してしまったのですが、着替えが……」

 咲良は笑いを堪えつつ、振り返って久秀に頷いて見せた。

「彩音様のお着物をお貸しいただいたのですね?」

「なるべく花柄でない方が良いと思いましたが……」

「ご厚意に感謝いたします。後は私が致します」

 彩音は頷いて台所の方へ立ち去った。

「新之助様、咲良でございます。開けますよ」

 返事を待たずに板戸を開けると、紺地に流水柄が染め抜かれ、蔦の葉が風に舞う意匠の浴衣を眺めている新之助が立っていた。

「新之助様、お湯あみは済まれましたか?」

「ああゆっくりさせていただいた。しかし着替えが……なあ咲良、これはおなごの浴衣であろう? 私の着物は無いのか?」

「旅塵で着れたものではございませんので、洗ってくださいました。お色も地味なものを選んでくださって。彩音様はお優しい方です」

「しかし……」

 後ろから久秀の声がした。

「新之助様、こちらへ来なさい」

 剣の師の声に、ごねていた新之助の背筋が伸びた。
 咲良の顔をチラチラと見ながら、俯き加減で歩を進める。
 
「うっ……」

 新之助の呻き声に慌てて振り返ると、仁王立ちの久秀の前で正座している幼子の背中が目に映った。

「何か問題がございましたか?」

「いえ、なんでもございません」

「はっきりお言いなさい」

「着物が……おなごの物なので、恥ずかしくて……」

「なるほど。では裸でいなさい」

「あ……いや……それは」

「新之助様、私が申し上げたことをもうお忘れか? あなた様の唯一の使命は何だと申しげましたか?」

「命を繋ぐことです」

「そうです。命を落とさないことが肝要だと申しました。裸でいると湯冷めをして病気になるかもしれない。親切に貸してくださった浴衣はそれを防ぐためだ。違いますか?」

「いえ、間違ってはおりません。この浴衣をお借りします」

 その時後ろからパタパタと走り寄る足音がした。

「気が利かぬことで大変申し訳ございません。どうぞこちらをお召しくださいませ」

 柴田の妻が濃紺の着物らしきものを差し出した。

「これは我が娘が縫いかけている羽織でございます。まだ拙い運針でお恥ずかしゅうございますが、お色も着丈も新之助様には丁度良いと存じます。針などは残っておりませんのでご安心くださいませ」

 母の後ろで泣きそうな顔をしている彩音が立っていた。
 久秀が柴田の妻に問いかける。

「これはご主人の羽織では? もしやお嬢様が初めて父親のために縫われたものではありませんか?」

 母娘とも俯くだけで返事をしない。
 袷に縫うつもりなのだろう、袖口や裾は仮縫いのままだ。
 それを受け取った久秀が新之助に顔を向けた。

「どうなさいますか? これをお借りなさるか?」

 新之助が一度ギュッと目を瞑ってからその場に正座した。

「我儘を申しました。どうぞお許しください。彩音さま、ご気分を害されたことは重々承知致しておりますが、何卒この浴衣を私にお貸し願えませんか。私のためにお心を砕いてくださいましたのに……本当に申し訳ございませんでした」

 幼少の身とは言え、大名家の家老の子息である新之助が真剣な顔で頭を下げている。
 母娘は慌ててその場に蹲って頭を下げた。
 新之助が彩音の顔をじっと見て口を開く。

「お許しください。未熟者ゆえの我儘と笑ってください。恥ずかしいことを申しました」

「とんでもございません。私の方こそ配慮が足りずに申し訳ございませんでした」

 年端もいかぬ子供が互いに頭を下げあっている。
 柴田と久秀は笑顔でそれを見ていたが、柴田の妻と咲良は複雑そうな顔をしていた。
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