和ませ屋仇討ち始末

志波 連

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出奔

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「ああ……お気がつかれましたか。ようございました」

「咲良? 咲良か?」

「はい、咲良でございますよ。新之助様」

 歩き始めたころから新之助の世話をしてくれていた侍女の咲良の顔を見て、新之助は悪い夢を見たのだと思った。
 しかし自室では無い天井が目に飛び込み、慌てて体を起こす。

「ここは? 父上はいかがなされた! 兄上は? 母上は何処におられる」

 目に涙を浮かべた咲良は、新之助の言葉に返事をせず、ただじっとその小さな体を抱きしめた。

「まずはお白湯をお口になさいませ。あれから2日、意識の無いままでしたからね」

「2日? 意識が無かったとはどういうことか? ここはいったい……」

「城下を出て二つ目の宿場町ですよ」

 久秀の声に、新之助は途轍もない不安を覚えた。

「先生……父上は……」

「ご家老様は切腹なさいました」

 ひゅっと息をのむ。

「母上は? 兄上は……」

「新之助様、その目でご覧になったでしょう? 兄上は奥方様を助けようとなさって命を落とされました。奥方様は……御自害なされました」

 新之助が目を見開いている横で、侍女の咲良が声を出す。

「安藤様、新之助様はまだ八つでございます。もう少し言い方というものがございましょう」

「事実は事実です。八つといえど新之助様は武家の子。ましてや三沢様の御子であらせられる。無用な気遣いはかえって無礼と存ずる」

「めちゃくちゃですね」

 目を開けたまま気絶したようになっている新之助を再び抱きしめる咲良。

「新之助様。気をしっかり持ってくださいませ。さあ、お白湯を」

 咲良が湯吞を握らせようとするが、新之助は反応できずにいた。

「ぱぁぁん!」

 久秀がゆっくりと近づき、いきなり新之助の頬を張った。
 咲良が帯に刺していた懐剣袋の結び紐に手をかけた。
 それを左手で制しながら、久秀が新之助を諭すように声を出す。

「兄上哲成様は幼いながらも、手籠めにされそうになった母上様を守るために立ち向かわれました。そして見事一太刀報いられたのです。大人相手に十になったばかりの子供が……見事なご覚悟でございました」

「兄上が?」

「そしてお母上もそうです。主君のご次男といえど無体な狼藉。細腕で懸命に抗い、命を賭して操を守られたのです。三沢家の家名を辱めることを避けられたのですよ」

「母上も……」

 咲良は目に涙を一杯ためて、新之助の背中を必死で撫でた。

「ご当主長政様の剣技であれば、あのような下郎を切り伏せることなど赤子の手をひねるようなものでございました。それでも逆らわず……これも一重に新之助様を守り、三沢家の再興を願われた故にございます」

「お家再興? それは……まさか三沢家はなくなったのですか?」

「武士の風上のも置けぬ下郎とはいえ、城主山名家のお血筋。口から出た言葉は覆りません。護衛の者を全て切り伏せて、あの下郎を切ったところで、どの道三沢家は終わります。それよりも新之助様だけでも生き延び、いつの日か汚名を晴らすことを信じて、ご家名再興の道を選ばれたのです」

「父上が……生き残ったのは私だけですか……」

「そうです。ですから本日これより、三沢新之助様は重大な使命をその身に背負われたとご覚悟なされませ」

「重大な使命とは……家名の再興ですね?」

 久秀が大きく頷いた後、静かに言った。

「そちらの方は時間もかかりますし、まずはことの顛末を江戸家老の柴田様にお伝えせねばなりません。こちらの方は私が動きましょう。新之助様の使命は唯一つでございます」

 新之助の喉がゴクッと鳴った。
 久秀が新之助の目を見て、一文字ずつ区切るようにゆっくりと声を出す。

「何があっても命を繋ぐ。それが新之助様の使命でございます」

 久秀の言葉を嚙みしめるように、俯いて拳を握っていた新之助が顔を上げた。

「その使命、必ず全ういたします」

 久秀がホッと息を吐いた。
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