上 下
31 / 61

30

しおりを挟む
 ばあさんが冷蔵庫からビールを持ってきて飲み始めた。
 さっきまでの沈痛な顔ではなく、今はニヨニヨと笑っている。
 そのことに心の底から安心した私は、しゃくりあげながら質問した。

「それでお婿さんにって思ったんだね? でもお父さんが会社を売ろうとしたって……」

「ああ、あれか。あれは俊介が悪いわけじゃないんだよ。でも私に内緒で事を進めようとしたことは看過できない。だから辞めるというのを受け入れたんだよ。辞めて欲しかったわけじゃない」

「どういうこと?」

「銀行に勤めている長男が自分の成績のために合併の話をもってきたんだ。そして俊介に『受けないなら新しい融資は潰す』と脅した。私はその頃体調を崩して入院していたから、立場の弱い婿をターゲットにしたんだろう。自分の息子ながら姑息な男だ」

「新しい融資?」

「いいかい、洋子。会社というものは借金も財産なんだよ。融資を受けていないのが健全というわけではないんだ。その融資を断られるということは、会社としての信用を失うということになる。それがどういう影響を受けるかは分かるね?」

「うん……信用の失墜は会社存続の危機だよね」

 ばあさんは満足そうに頷いて、自分でビールを注ぎ足した。
 そう言えば私がまだ中学に入る前だったろうか、ばあさんが入院したことがあったと思い出す。

「そう言えば、あの時っておばあ様は何の病気で入院してたの?」

「過労で胃をやられちまったんだよ。幸いガンは見つからなかったけれど、大きな穴が開いちゃって、本当に痛かったよ」

「過労で胃に穴が開くって、比喩なのだと思ってた」

「人間というのは弱い生き物だからね。でも強いとも言える。治るんだもの」

 ばあさんがいたずらっ子のような顔をした。
 ああ……ばあさん、今まで思い込みで委縮していた私を許してほしい。

「ねえ、鰤の照り焼きがもう一つあるんだけど、温めようか?」
 
 私は何の償いにもならないような提案をした。

「バカな子だねぇ。それは明日の昼だろう? 贅沢は敵だよ」

 私のセンチメンタルは鰤以下なのだと悟った。

「それよりアレ出して。アレ」

「アレ? アレ……アレ……ああ! アレ!」

「そう、アレ」

 私は勢いよく立ち上がり、冷蔵庫からクリームチーズと味付け海苔を持ってきた。

「これこれ! お前も付き合いなさい」

「はい! 喜んで!」

 クリームチーズを海苔巻きにして、ばあさんが私に手渡ししてくれた。
 このシーンは、兄に対してはよく見ていたけれど、私に対しては初めてだ。

「美味しいね。おばあ様に作ってもらったは初めてよ」

「ああ、優紀さんには良く作っていたけれど、お前は寄り付きもしなかったからねぇ。優紀さんだけだったよ。私に遠慮なく話しかけたり、甘えてくれたのは」

 そうか……ばあさんも疎外感を感じていたんだね。

「うん……怖かったっていうより、委縮してたんだと思う。今までごめんね?」

 私は思い切って言ってみた。

「いや、私も悪かったんだ。ほら、私は子育てに失敗しただろ? だからお前にどう接していいのかわからなかったんだろうね。そっちに転んでも家事さえできればどこででも重宝されると思って、そこだけは叩き込んだけど、辛かったかい?」

「そうでもないよ。私は料理も掃除も嫌いじゃない、洗濯は洗濯機がやってくれるから関係ないけど、それを取り込んで畳んで、みんなに配ってっていうのは、ちょっと苦手かな……面倒だなって思う唯一の家事かも」

「そうか、それで優紀さんがよく手伝ってたんだね。お前たちの兄妹仲が良くて本当に嬉しいよ。うちの三人は仲が悪かったから」

「おばあ様も苦労の人生だねぇ……」

 ぴしゃっと手の甲を叩かれた。
 もちろん冗談のような叩き方だから痛くはない。

「偉そうなこと言ってるんじゃないよ。あんたも大学に行くなら勉強しないとね。春休みだからってうかうかしてると落ちてしまうよ! 浪人はさせないからね!」

「ひゃぁ~ 頑張りますぅ。ああ、そう言えば、友達と一緒に勉強したいのだけれど、うちに呼んでも良い?」

「友達? ああ、もちろんだ。友達は大切にしなさい。親兄妹っていうのはいつかは離れるものだけれど、友達というのは一生の宝だからね」

 なぜ私は今まで『友達を連れて来るとばあさんに怒られる』なんて思っていたのだろう。
 兄の言うとおりだった。
 ばあさんは怖くもないし、それほど強くもない。
 いや……今のは訂正しよう。
 強くもないのかもしれないが、私よりは数万倍強い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夜食屋ふくろう

森園ことり
ライト文芸
森のはずれで喫茶店『梟(ふくろう)』を営む双子の紅と祭。祖父のお店を受け継いだものの、立地が悪くて潰れかけている。そこで二人は、深夜にお客の家に赴いて夜食を作る『夜食屋ふくろう』をはじめることにした。眠れずに夜食を注文したお客たちの身の上話に耳を傾けながら、おいしい夜食を作る双子たち。また、紅は一年前に姿を消した幼なじみの昴流の身を案じていた……。 (※この作品はエブリスタにも投稿しています)

その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介
ライト文芸
血の繋がらない3人が様々な困難を乗り越え、家族としての絆を紡いだ本編【愛すべき不思議な家族】の続編となります。【小説家になろうで200万PV】 ひとつの家族となった3人に、引き続き様々な出来事や苦悩、幸せな日常が訪れ、それらを経て、より確かな家族へと至っていく過程を書いています。 少女が大人になり、大人も年齢を重ね、世代を交代していく中で変わっていくもの、変わらないものを見ていただければと思います。 ※この作品は小説家になろう及び他のサイトとの重複投稿作品です。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

バカな元外交官の暗躍

ジャーケイ
ライト文芸
元外交の音楽プロデューサーのKAZが、医学生と看護師からなるレゲエユニット「頁&タヨ」と出会い、音楽界の最高峰であるグラミー賞を目指すプロジェクトを立ち上げます。ジャマイカ、NY、マイアミでのレコーディングセッションでは制作チームとアーティストたちが真剣勝負を繰り広げます。この物語は若者たちの成長を描きながら、ラブコメの要素を交え山あり谷なしの明るく楽しい文調で書かれています。長編でありながら一気に読めるライトノベル、各所に驚きの伏線がちりばめられており、エンタティメントに徹した作品です。

宇宙との交信

三谷朱花
ライト文芸
”みはる”は、宇宙人と交信している。 壮大な機械……ではなく、スマホで。 「M1の会合に行く?」という謎のメールを貰ったのをきっかけに、“宇宙人”と名乗る相手との交信が始まった。 もとい、”宇宙人”への八つ当たりが始まった。 ※毎日14時に公開します。

【声劇台本】お化け屋敷ガイド

茶屋
ライト文芸
デートでやってきた遊園地のお化け屋敷に入ってみると、ガイドが付いてきた?

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指すい桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

医者兄と病院脱出の妹(フリー台本)

ライト文芸
生まれて初めて大病を患い入院中の妹 退院が決まり、試しの外出と称して病院を抜け出し友達と脱走 行きたかったカフェへ それが、主治医の兄に見つかり、その後体調急変

処理中です...