上 下
29 / 61

28

しおりを挟む
 兄は希望通り北大に進学することが決まり、学舎に近い場所にある学生用アパートに入ることになった。
 そこは1階が食堂になっていて、入居者のほとんどは北大生なのだそうだ。
 食の確保ができれば妹としては安心できる。
 まるで姉になったような気分だ。

 入学式には両親が揃って出席することになった。
 そしてあの日以来、父さんはとても頑張って母さんに話しかけている。

「今更感が半端ない……」

 今日も頑張っている父を見ながら言った私の言葉に、兄は何度も頷いた。

「まあ、同じ家に暮らして、同じ職場で同じような仕事をしてるんだ。話題が無くて当たり前だよ」

「そりゃそうだね。今日の出来事さえ、喋る前に共有されてるもんね……」

 私たちはそっと溜息を吐いた。
 ふと兄が真剣な顔をする。

「あと1年だ。ここからが勝負だぞ」

「うん、頑張るよ」

「それともうひとつ。来週一週間は洋子とおばあ様の二人だけだ。しかもお前は春休みだ」

 一瞬だが、気が遠くなるような感覚に襲われた。

「……」

「おばあ様は、お前が思っているほど怖くもないし、強くもない。いいチャンスだと思って話しをしてみろ」
 
 ソウデスネ ガンバリマス

「それと、これはお前にやる。付箋が張ってあるところは重点的にやっておけ。絶対に損はしないから、逃げずにやり遂げろ」

 それは兄が使い込んだ参考書の山だった。
 一冊手に取ってみると、ページが黒ずんでいるところがある。
 きっと何度も何度も繰り返し開いたページなのだろう。
 
「お宝だ……完璧な地図をゲットしたトレジャーハンターになった気分だ!」

「ははは! 落とし穴も書いてあるから、しっかり頭に入れろ。ガンバレよ、洋子」

「うん、ありがとう。お兄ちゃんも頑張ってね」

「俺は楽しみしかないからな。心残りがあるとすると、お前の麦茶が飲めないことくらいだ」

「安っ!」

 家族揃ってとる最後の夕食は、兄のリクエストですき焼きだった。
 柏原さんが空港まで送ってくれることになったようで、私とばあさんに手を振った兄は、颯爽と会社のロゴが入ったワンボックスに乗り込んだ。

「行ってきます!」

 みるみる遠ざかる車をばあさんと二人で見送るのは、なんだか妙な気分だった。

「洋子、昼は素麵がいい」

「はい。12時からでいい?」

 頷いたばあさんが事務所に入っていく。
 ばあさんはあと10年を受け入れたのだろうか。
 父さんは出て行くのだろうか。
 最近の雰囲気から考えると、父さんが出て行くなら母さんもついて行きそうな感じだが。
 兄が家を出てまだ10分というところだろうか……すでに恋しい。

「洋子が作る麵つゆは少し甘いね」

「そう? 習った通りにしてるんだけど」

「私が恵子に教えたのはもっとシャキっとしてる。これはお前の父さん好みの味だよ」

「へぇ……」

「いつからこの味になっていたんだろうね……気付かなかったよ」

 兄の助言で、私はばあさんに敬語を使うのをやめてみたのだが、ばあさんは何の問題もなく受け入れている。

「母さんもいろいろ気を遣ってたんだろうね」

 ばあさんがフンッと鼻を鳴らした。

「不器用な子だよ。俊介も恵子も」

 ばあさんの口から父の名前を聞くのは久しぶりだった。
 いつも『婿さん』か『部長』だったもんね。
 私に言わせれば、ばあさんも十分に不器用だ。
 絶対言わないけど。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

処理中です...