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番外編
セルトレインとコデルリヒト
しおりを挟む目の下にはクマがくっきりと浮かび、頬はこけ、手首も細くなり顔色も悪い。明らかに憔悴しきっているのにその表情は明るく、ときおり何かを思い出しては湯気が出そうなほど真っ赤になって恥らっている。
そんなだんだんと生気は失っているが幸せそうなレオンを、セルトレインはしばらく見守ることにした。
しかしだ。
弱りきっても真面目に遅刻もせず勤務し、健気に職務をこなす親友はいいとして、目障りなのはその伴侶であるセルトレインの兄、ユーグリッドである。
ことあることに研究室に「滋養にいいお茶」だの「貰ったお菓子」だのを持ってきてレオンを気遣っている。というか側にいたくて堪らないのだろう、理由をつけて顔を見に来ている事がバレバレだ。
いや、それはいいのだ。自分の伴侶である番を心配するのはいいことだ。いいことなのだが。身体を心配するならその前に、夜の営みの手加減をしろと言う話である。
「レオンが腹上死させられそうで心配なんだけど」
「いくらユーグが番狂いでも、さすがにヤリ殺しはしないだろ」
セルトレインが真面目な顔で伴侶のコデルリヒトに言えば、コデルリヒトも真顔で返事をした。
番狂いとはなかなか強めの言葉だが、学生時代からユーグリッドは意中のΩであるレオンに対してかなりの執着を見せていた。
たぶん、そのことに気付いていないのは執着されていたレオンだけである。
レオンのことになると平然と人も殺しかねないユーグリッドのいきすぎた行為を見て、セルトレインたちは番狂いと揶揄した。
ユーグリッドにも面と向かって言ったこともあるので、ユーグリッドも公認のあだ名である。
意中のΩに対しての執着を除けば、癖のない流れるような金の髪に青い瞳、眉目秀麗で運動神経もよく頭脳明晰、人当たりもよく気が利き侯爵家の嫡子であるユーグリッドは非の打ち所のないαだ。
そんなユーグリッドの伴侶の座を狙う者は昔から多かった。
幼い頃からユーグリッドに近寄る者も後を絶たなかったが上手くかわしていた。クリスタニア家は貴族ではあるが派閥にくみすることもなく、ユーグリッドもセルトレインも政略結婚など無縁だった。
だからユーグリッドは幼い頃から愛していたレオンへの執着を隠すこともなく、むしろ周りを牽制し攻撃していたほどだ。
そうなるとΩではあったけど平民であり、地味目の容姿から本来なら目立たないはずのレオンが注目される。
頑張り屋で優秀なレオンを陥れようとするΩや、目の敵にするα、懐柔しようとするβは多く、レオンを一人にしようものなら砂糖に群がる蟻のごとく、食いつくそうという存在に囲まれていた。
そんな者たちを一掃していたのがユーグリッドだ。
だが、セルトレインは知っていた。
レオンは芯が強い人間だ。
確かに純粋で騙されやすくて、目が離せないがやわじゃない。レオンが心を痛めるのはいつだってユーグリッドがらみだった。
レオンもまたユーグリッドを愛しているのは誰が見ても明らかだったし、セルトレインは発情期のお伴にとユーグリッドの私物をレオンに横流ししたこともある。
Ωだからわかるのだ、好きな人の匂いが発情期にどれだけ大事なのか。だから大好きな親友の苦痛を緩和するために、兄の物を多少貸借して横流しするのは心も痛まなかった。兄もレオンに渡したと知れば喜んだだろう。もちろんそんなことは教えなかったが。
そんな兄と親友だから学校を卒業すればすぐに番のだろうと思ったいたのに、モタモタしているうちに事件が起きた。
セルトレインは兄からレオンを汚したと聞いた時、正直なところ「ついにやらかしたか」としか思わなかった。ちなみにコデルリヒトも同意見だ。
その後、結婚して番になって収まるところに収まったと思ったのに、二人は見事にすれ違ったままだった。
痴情のもつれに第三者が割り込むのは多くの場合、さらにこじらせることなる。
静観しつつ機会があれば、自分はレオンの、コデルリヒトはユーグリッドの背中を押そうと思っていたが、その機会までに三年もかかってしまった。
何だかんだで誤解も解けて、今は三年遅れの蜜月を迎えているのはわかっている。
わかっているのだが。
はあっ…と思わずセルトレインはため息をつく。
子どもたちを寝かしつけ、コデルリヒトとの夜のひと時になると、ここのところセルトレインの顔は曇る。
兄と同じくさらさらと流れる金の髪はうつむき顔に影を作り、セルトレインの溢れ落ちそうなほど大きな瞳は不安げにゆらゆらと揺れていた。
気が強く普段は自信に溢れたオーラをまとうセルトレインだが、見た目は薄幸の美少年だ。憂いを帯びた姿は一枚の絵画のように儚く美しい。
見た目と中身の差が激しい己の番をコデルリヒトは溺愛していた。
αと言う生き物は大切な番に対して、βやΩには理解されにくいほどの執着をもつ。
これはもう、そういう生き物なのだとしか言いようがない。
コデルリヒトの紫水晶のような瞳に、うっすらと嫉妬の闇が浮かぶ。
ユーグリッドは親友だ。親友が長いこと番との関係が上手くいかずに苦しんでいたのも知っている。
レオンだとて友人とも言える位、仲が良い関係だ。
その二人が上手くいったのだ。暖かく見守りたいとは思う。
しかし拗らせていた時もセルトレインは自分の兄と親友のすれ違いに心を痛めていた。
その時はまだ、あの二人も辛いからとセルトレインと共にコデルリヒトも心配が先行したが今は違う。なぜ義兄夫婦はいつまでも可愛いセルトレインを悩ませるのか。自分達は幸せになっているというのに。
昨日会ったユーグリッドの春爛漫としたデレた顔を思い出せばイラつき、コデルリヒトは知らず自分の髪を掻きむしった。
「明日、乗り込むぞ」
寝る前ですら王子として育った立場からか身なりには気を使うコデルリヒトが、その綺麗な黒髪を乱したまま、やや荒々しい声でつぶやいた。
いつもは物静かなのに珍しくイラついているような番の様子に、セルトレインが顔をあげる。
「え? 明日?」
「レオンが腹上死する前にユーグを殺そう」
この国の第二王子だが現在は王家を離れ、公爵となったコデルリヒトも優秀なαであり、その黒髪も紫の瞳も聞き心地のよい声も気品があり美しい。だが実のところコデルリヒトも立派な番狂いである。
「ま、まって。それはレオンが泣いちゃうから半殺しくらいにして」
コデルリヒトの真剣な提案に大きな青い瞳をバチバチと瞬かせて、セルトレインが慌てて言う。
兄に制裁を加えるのは賛成だが親友を悲しませたくはない。
「わかった手加減する。お前の望みなら何でも叶えようオレの美しい妖精」
ユーグリッドたちは研究者だが、コデルリヒトは国防を預かる軍人だ。本気を出せばユーグリッドを殺すことなどわけがない。
「その呼び方恥ずかしいからやめて……」
コデルリヒトいわく、幼い頃出会ったセルトレインをしばらくの間、妖精だと本気で思っていたらしい。それほど綺麗で愛らしくて見とれていたと、よく語られた。
セルトレインが嫌がるので人前で妖精とは呼ばなくなったが、二人の時や気を引きたいときに使うのだ。
不満を表すために口をへの字にするセルトレインをコデルリヒトはそっと抱き寄せ、その額に触れるようにキスをする。セルトレインも唇をへの字にしたままだが、逞しい伴侶の胸にぎゅっと抱きついた。
セルトレインは不満を表しつつも、ロマンチストでややキザなコデルリヒトにベタ惚れなのである。なので割りと簡単に絆される。
「しかしユーグは例え自分の足の骨が折られても、レオンへの欲望は自重しないんじゃないか」
「そこは任せて。過去の事例にあったαの執拗な行為で命を落としたΩの報告例を集めてあるから」
「さすがセルトレインだ。あいつらは脅しよりも理屈とデータに弱いからな。作戦を詳しく教えてくれ」
兄さんに解らせてやるんだから、と意気込むセルトレインにコデルリヒトは幼い頃、今と変わらず美しい妖精と悪戯を考えた時のことを思いだした。
作戦を話すセルトレインの顔にも自信と笑顔が戻れば、コデルリヒトの嫉妬の闇も少しおさまったのだった。
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