上 下
39 / 42

39 特製マッサージオイル

しおりを挟む
 
 いつの間にやら夏も過ぎ、王都も紅葉の時期を迎えていた。

「―― 本日の殿下のご予定は以上となります。この後はよろしく頼みます、アレス」
「あー……了解」

 朝、ヒューベリオン殿下の一日のスケジュールを読み上げてからアレスに引き継ぐのが俺の日課である。

 仕度を完璧に終えた殿下はソファーに座り優雅に紅茶を飲んでいる。
 その横に立つ最近服装を正すようになったためさらにイケメンキラキラ度が増してしまったアレスが俺からメモを受け取った。

 俺が殿下の側仕えに復帰したことでてっきりアレスはお役御免になるのかと思えばそんなことはなく、今度はアレスと俺の二人体制となった。
 分担は身の回りの世話はアレスが、政務や勉強などの調整いわゆるマネジメント的な部分を俺が担っている。

 うん、そうだよね。
 朝起こすのとか洋服用意するのとか……そういう御役は恋人の方が良いよね……。やややっかみつつも少しでも好きな人と一緒にいたいという気持ちは分からないでもないので、この程度の公私混同は黙認することにする。

 そんなわけで現在の俺は殿下の仕事の肩代わりもお世話の時間も減ったので、自分のスキルアップと今後の地盤づくりに時間を割くことにした。

 見ないようにしていても冬の足音と共に俺が殿下と過ごせる時間も減っているのをヒシヒシと感じる。
 まだΩとしての決定的な身体の変化は無いものの、もし俺がΩだとすれば次の試薬検査ではさすがにまったく無反応ということはないだろう。
 ちなみに試薬検査は反応が出ない限り、貴族の子女は二十歳まで年に一度誕生月に行うのが習慣である。次の俺の検査まで半年程度しか猶予はない。

「ねぇ、ミルヒ。今夜少し時間を取れないかな?」
「構いませんが? どなたかとお会いになりますか? それなら場所の確保も……」
「違うよ、ミルヒに聞いてるんだ。今夜私の部屋に来てほしいんだけど、駄目かな?」

 駄目なことは無いけど……。
 俺は思わずアレスの顔を見る。

「て、ことは夜の世話はミルドリッヒ様がしてくれるから、オレは帰っていいってことだな」
「ミルヒがいいって言ったらね」

 アレスは俺と目が合うとルビー色の瞳を細めて笑う。相変わらず人を小馬鹿にしたような笑顔だ。
 俺と殿下が二人っきりになったところでオレたちの愛は揺るがない、という自信の表れなんだろう。

 ほほう、その挑戦買ってやんよ! と思いつつも、まあアレスから殿下を略奪しようなんて考えてませんがね。
 だって俺はきっと来年には殿下の元を離れ領地に帰ることになる。今の殿下は十分立派に成長したけど元々真面目で繊細な方だ。弱音を吐ける相手が、支え裏切らない、絶対的な味方がそばにいた方がいい。

 ……その役目は俺じゃなくてアレスが適任だ。

「構いませんよ。アレスもたまにはゆっくり休んでください」

 殿下の世話係は何気に朝から晩まで仕事がある。アレスは遅くまで殿下の部屋にいることが多く、最近は騎士の宿舎へ戻るのが明け方なのだという噂も耳にしている。
 殿下の部屋に泊まってないのは不思議だが、着替えをしに戻っているのだろう。殿下とラブラブなのはうらやましい。

 あれ? ちょっと待てよ……もしかしてゆっくり休んでってのはあからさまに嫌味に聞こえるだろうか? でも関係を知らない体ならこの返事で間違いない気がするけど……。

 俺はそっと二人の様子を伺う。
 俺の視線の先には嬉しそうにニコニコ笑う殿下と、物凄くホッとした顔のアレスがいた。

 ……アレスって体力ありそうだし、浮名も凄いし、ぶっちゃけ絶倫っぽいのに……殿下のほうが精力旺盛なのかな……? まあ歴史的に王族って精力強い印象があるから殿下もそうなのかも? アレス、実は困ってたのか?

 そこまで考えて俺は思考を強制停止させる。
 いかんいかん。朝からえっちな気分になるばかりか自分にダメージを受けるところだった。

 殿下とアレスのことは理性では割り切っていても、感情的にはまだまだどうにも消化しきれていない。ここ数ヶ月実際にアレスと仕事をしていて彼の有能さは痛いほど実感している。殿下を任せられるとも確信できている。だけどやっぱりヒューベリオン殿下のことが好きだなぁという俺の気持ちは膨らむばかりで……。

 俺はこれ以上余計なことを考えないよう、改めて夜訪問することを伝えると殿下の部屋を後にした。危ない危ない、感情の渦に飲まれるところだった。
 そういえば、俺が呼び出された理由ってなんなんだろう? ……まあ行けばわかるからいいか。
 俺は一人納得すると綺麗に晴れ渡る秋空を見上げた。


 夕食後、殿下の部屋を訪問すれば朝と同じくご機嫌笑顔の殿下が待ち構えていた。すましていればイケメンなのに無防備な笑顔が可愛いすぎる。

「こっちに来てくれ、ミルドリッヒ」

 ギャップがエグい殿下はニコニコしたまま俺をソファーの隣に座るよう促してくる。
 そのご機嫌な姿に俺の頬も思わず緩むが、室内にはアレスへの気遣いなのか護衛とメイドが一人ずつ扉前に控えており、ちょっとだけ胸が痛んだ。

 殿下と二人きりで過ごせる時間は……もう来ないのかもしれないな。

「ミルヒ? どこか痛むのか?」

 沈んだ気持ちが表に出てしまったのか、心配顔の殿下が俺を覗き込んでくる。

「いえ、大丈夫です! ちょっと今日は慌ただしかったので疲れているだけで」
「そうか。それならちょうど良かった」

 殿下はそう言うとローテーブルに置いてあった蜂蜜色の液体が入った瓶を手に取る。

「それは?」
「ふふふ、最近マッサージにハマっててね。これは特別に配合したマッサージオイルなんだ」

 それはもう本当に嬉しそうに殿下が説明してくれる。王太子に正式に決まった時よりも嬉しそうだ。

「ミルドリッヒにはずっと苦労をかけてきたからねぎらいたいって思ってて……触ってもいいだろうか」

 そそくさと殿下はマッサージオイルを手にとってから俺に許可を求める。ここで駄目とは言えないだろう。
 そもそも断る気は無いけど。

「勿論どうぞ、お願いします。えっと……」
「手を、腕をまくって」
「はい」

 俺は殿下に言われるままに両腕の袖をまくると手を差し出す。
 俺の右手を取った殿下は両手でゆっくりと俺の掌を包み込むと、ヌルヌルとオイルを塗り込めるようにしながら指を這わせてきた。
 俺の掌を撫でる指が色っぽく見えて思わずドキドキしてしまう。殿下は100%善意での行動なんだろうけど、俺には下心があるので意識してしまうのは仕方ない。

 いつの間にかホットミルクのような香りがふわりと優しく漂っていた。もしかしたら殿下のいつもの匂いとこのオイルは同じ成分なのかもな……。

 マッサージされてまだそんなに時間は経っていないと思う。
 だけど気付けばさっきまで五月蝿かった煩悩の鼓動は収まっており、全身がぽかぽかと心地よい熱に包まれて力が抜けていくのを感じた。


 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください

わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

無気力令息は安らかに眠りたい

餅粉
BL
銃に打たれ死んだはずだった私は目を開けると 『シエル・シャーウッド,君との婚約を破棄する』 シエル・シャーウッドになっていた。 どうやら私は公爵家の醜い子らしい…。 バース性?なんだそれ?安眠できるのか? そう,私はただ誰にも邪魔されず安らかに眠りたいだけ………。 前半オメガバーズ要素薄めかもです。

麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る

黒木  鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。

主人公は俺狙い?!

suzu
BL
生まれた時から前世の記憶が朧げにある公爵令息、アイオライト=オブシディアン。 容姿は美麗、頭脳も完璧、気遣いもできる、ただ人への態度が冷たい冷血なイメージだったため彼は「細雪な貴公子」そう呼ばれた。氷のように硬いイメージはないが水のように優しいイメージもない。 だが、アイオライトはそんなイメージとは反対に単純で鈍かったり焦ってきつい言葉を言ってしまう。 朧げであるがために時間が経つと記憶はほとんど無くなっていた。 15歳になると学園に通うのがこの世界の義務。 学園で「インカローズ」を見た時、主人公(?!)と直感で感じた。 彼は、白銀の髪に淡いピンク色の瞳を持つ愛らしい容姿をしており、BLゲームとかの主人公みたいだと、そう考える他なかった。 そして自分も攻略対象や悪役なのではないかと考えた。地位も高いし、色々凄いところがあるし、見た目も黒髪と青紫の瞳を持っていて整っているし、 面倒事、それもBL(多分)とか無理!! そう考え近づかないようにしていた。 そんなアイオライトだったがインカローズや絶対攻略対象だろっ、という人と嫌でも鉢合わせしてしまう。 ハプニングだらけの学園生活! BL作品中の可愛い主人公×ハチャメチャ悪役令息 ※文章うるさいです ※背後注意

謎の死を遂げる予定の我儘悪役令息ですが、義兄が離してくれません

柴傘
BL
ミーシャ・ルリアン、4歳。 父が連れてきた僕の義兄になる人を見た瞬間、突然前世の記憶を思い出した。 あれ、僕ってばBL小説の悪役令息じゃない? 前世での愛読書だったBL小説の悪役令息であるミーシャは、義兄である主人公を出会った頃から蛇蝎のように嫌いイジメを繰り返し最終的には謎の死を遂げる。 そんなの絶対に嫌だ!そう思ったけれど、なぜか僕は理性が非常によわよわで直ぐにキレてしまう困った体質だった。 「おまえもクビ!おまえもだ!あしたから顔をみせるなー!」 今日も今日とて理不尽な理由で使用人を解雇しまくり。けれどそんな僕を見ても、主人公はずっとニコニコしている。 「おはようミーシャ、今日も元気だね」 あまつさえ僕を抱き上げ頬擦りして、可愛い可愛いと連呼する。あれれ?お兄様、全然キャラ違くない? 義弟が色々な意味で可愛くて仕方ない溺愛執着攻め×怒りの沸点ド底辺理性よわよわショタ受け 9/2以降不定期更新

平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。

無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。 そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。 でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。 ___________________ 異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分) わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか 現在体調不良により休止中 2021/9月20日 最新話更新 2022/12月27日

三十路のΩ

BL
三十路でΩだと判明した伊織は、騎士団でも屈強な男。Ω的な要素は何一つ無かった。しかし、国の政策で直ぐにでも結婚相手を見つけなければならない。そこで名乗りを上げたのは上司の美形なα団長巴であった。しかし、伊織は断ってしまい

転生先がハードモードで笑ってます。

夏里黒絵
BL
周りに劣等感を抱く春乃は事故に会いテンプレな転生を果たす。 目を開けると転生と言えばいかにも!な、剣と魔法の世界に飛ばされていた。とりあえず容姿を確認しようと鏡を見て絶句、丸々と肉ずいたその幼体。白豚と言われても否定できないほど醜い姿だった。それに横腹を始めとした全身が痛い、痣だらけなのだ。その痣を見て幼体の7年間の記憶が蘇ってきた。どうやら公爵家の横暴訳アリ白豚令息に転生したようだ。 人間として底辺なリンシャに強い精神的ショックを受け、春乃改めリンシャ アルマディカは引きこもりになってしまう。 しかしとあるきっかけで前世の思い出せていなかった記憶を思い出し、ここはBLゲームの世界で自分は主人公を虐める言わば悪役令息だと思い出し、ストーリーを終わらせれば望み薄だが元の世界に戻れる可能性を感じ動き出す。しかし動くのが遅かったようで… 色々と無自覚な主人公が、最悪な悪役令息として(いるつもりで)ストーリーのエンディングを目指すも、気づくのが遅く、手遅れだったので思うようにストーリーが進まないお話。 R15は保険です。不定期更新。小説なんて書くの初めてな作者の行き当たりばったりなご都合主義ストーリーになりそうです。

処理中です...