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27 血塗れの狂犬
しおりを挟む「もしかしてお前が、ヴァルドラ家のミルドリッヒ……様か?」
強くなったミントの香りに俺は我に返る。
そうだ。俺はヴァルドラ公爵家のミルドリッヒだ。
落ち着け、まー姉ちゃんたちのことはとりあえず横に置いておこう。
俺は俺が今やるべきことをやるんだ。
目の前に立つやたら雰囲気のあるワイルドイケメン、たぶん名前はアレスだ、の問いかけに俺は大きくうなずく。
それにしてもこの男、顔もいいけど声もいい。騎士として鍛え抜かれた胸筋が襟元からチラ見していて無駄にセクシーだし、瞳の色だけじゃなくて全身に魅入ってしまう。ううむ、羨ましい。
と、観察している場合じゃなかった。俺はわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。
「いかにも。俺がヴァルドラ公爵家のミルドリッヒだ。君は?」
「オレは騎士団のアレス・グレイドル」
自己紹介は簡潔だが、ゆるりと胸に手を置き騎士の礼を一応俺にしてくれる。
眠そうだった赤い瞳が面白いおもちゃを見つけたように輝きだしたが……気のせいだってことにしよう。
「グレイドルってことは……グレイドル男爵家の出身か」
苗字までは覚えていなかったが、聞けば貴族の名前はわかる。
ミルドリッヒとしての知識と姉ちゃんたちに植え込まれた知識が混乱しないようにしないと……。
「男爵家つってもオレは四男だからあんま関係ねぇけど。で、ミルドリッヒ様もこれからヒューベリオンのとこに行くんだろ? なら丁度いい、一緒に行こうぜ」
「え、って、おいっ」
くいっと顎で廊下を示すと、アレスは俺の横を通り過ぎてヒューベリオン殿下の寝室へと向かう。反射的に俺はアレスの後に続いたが、アレスは足が長いからか歩くのが早く俺は必死についていく羽目になった。
それにしてもと廊下にいる貴族たちと目の前を歩くアレスをそれとなく観察する。
アレスの方は人だかりにまったく興味も関心もないのか、明らかに貴族だとわかる服装の人物の前であっても気にすることなく歩みを止める様子もない。
一方、貴族連中はそんなアレスを忌々しそうに遠巻きに見つつ、なんで俺が一緒にいるのかと奇異の視線を向けてきた。
アレス・グレイドル。十二歳で王都の騎士団に入り、十五歳で小隊長を打ち負かし、十九歳の現在、騎士団には彼に敵う者はいないと言われている。
真偽はわからないが、ヒグマを素手で倒したとか、オオカミ十五匹を短剣一本で仕留めたとか、もはや人間業ではない功績もまことしやかにささやかれており、ついた中二病全開のあだ名が「血塗れの狂犬」。
血気盛んな問題児として王城では有名人なので、俺も勿論その名を知っていた。
騎士団は規律を重んじるし貴族の子女も多いから、アレスのような礼儀知らずの無礼者は嫌われる傾向にあるが、その容姿の良さと実力で自分に歯向かう相手は黙らせてきたらしい。カリスマ性抜群の、これぞ絶対無敵のα様である。
……まあ、見た目を無視して行動だけ見てるとヤンキー漫画のキャラかな? って思ってしまうけど。とにかく拳で会話してるとことか、あと、捨てられた子猫を保護するタイプのギャップ萌え担当キャラだと思う。
それはさておき。普通に考えると実力はあるが問題もあるアレスが、こんな朝早くにヒューベリオン殿下の寝室にやってきた理由は分からないだろう。
貴族たちが戸惑うのも嫌がるのも納得できる。俺だって俺の記憶しかなければ疑問に思うし、正直めちゃくちゃ警戒する。だけど。
――… 殿下が十八歳の時、アレスとヒューベリオン殿下はα同士にもかかわらず熱愛の末、恋人になる。
だから、今ここにアレスがいるのは時期的にも、話の流れ的に何もおかしなことはないのだ。
……そっかそうだったんだな。殿下の心に決めた相手って、アレスだったんだ。
漫画の展開とは大きく違ってはいるけど、好きになる相手は変わらないのだろう。
いつの間に? と思う反面、殿下は騎士団の訓練に参加していたからアレスとの接点なんていくらでもあったのだろう。
制服越しの背中を見るだけでも筋肉のついた男らしい肉体やスタイルの良さもよくわかる。黒髪も赤い瞳もこの国ではあまり見ることはなく、容姿の良さだけでなく希少さでもアレスは目を引いた。
素直にその姿を羨ましいと思ってしまう。俺が手にしたかったαの姿といってもいい。
ぼんやりと先を歩くアレスを観察しつつ、俺が俺としての記憶と、今さっき思い出した双子の姉から聞かされ覚えてしまった設定を照らし合わせて思考している間に、俺たちは殿下の寝室の前にたどり着いていた。
扉の前に立つ護衛たちは訪問者のことを知っていたのだろう。
アレスの姿を見れば殿下の返事を確認することなく寝室の扉を開いた。
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