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本編
⑧ 交換条件
しおりを挟む釈放されて寮に戻り、僕はまずは風呂に入ることにした。
普段はシャワーだけで溜めることのないバスタブにお湯を入れる。特務隊の寮はその辺のアパートメントよりもよっぽど立派で、整備された水道からお湯も出すことが出来るのだ。
鼻歌まじりに制服を脱ぐ。クリーニングに出さないといけないけど、職場から出さないといけないのがちょっと面倒だ。
せっかくだから疲労回復ができるっていう香油も入れて。
「……田舎に帰ろうかな」
ちゃぷんと風呂につかって最初に出た独り言が虚しい。
気持ちを上げようと普段はしない鼻歌とか歌ってたから余計に悲しくなってしまった。淋しい。髪を洗うのにも躊躇してしまう。ライルさんの痕跡を消したくないって思ったからだ。
こうなった原因はチケットをくれたからだけじゃない。
独房でずっと、ライルさんのこと考えちゃったからだ。刷り込みともいう。しかもわざわざ僕に会いに来てくれた。いや警備隊詰所に来るついでだったんだろうけど。でも汚い僕を抱きしめてくれた。それは本当にすごいと思う。
脱衣所の鏡に映る自分を見る。
赤い髪に青い瞳。何の特徴もないよくある顔。分隊長やライルさんを見た後だと、なんとも不細工だ。
生まれ持った顔の造形だって運だ。僕は見た目に運をつかわなかった分、帰りたくなる田舎や優しい家族がいる。それでいいんだ。
自分で気持ちを上げたり下げたりしながら、風呂からあがってライルさんに貰った封筒を取り出す。
それを手にしただけでほんわりと嬉しい気分になってしまった。ライルさんは僕の気持ちを上げるだけで下げないのがすごい。
封筒の中には言葉通り、ちゃんと一月後の第二歌劇団の感謝祭のチケットが入っていた。
せっかく用意してもらったものだ。ちゃんと楽しんで、ん? んんんん???
「はぁ? なにこれ」
僕は思わずチケットの席番号を見て変な声を出してしまった。
見たことのない番号だけど、それがどこの席かは知っている。いわゆる関係者席、いうならば特等席。だいたい座っているのは有名人、の席。
王女様とか特務隊の隊長とか他の歌劇団の花形スタァが座る場所だ。
「まって、うん、待って。これは無理、だよ」
さすがにそんな席に座る勇気はない。申し訳ないけどライルさんに返そう。そうしよう、それがいい。約束を反故にしたんだから、元々もらえないはずだったんだし。
でもどうやって?
ホテルに行けば会えるかもしれない。だけど浮気現場みたいなものだ、それは良くない。
もう、ライルさんに会うのは良くない。
そうなれば、ライルさんにチケットを返す方法なんて僕には一つしか浮かばなかった。
***
翌日、出勤した僕を待ってたのはリオネットさんをはじめとした職場の人からの労いだった。なんていい職場なんだろう。
休んでた日は公休扱いになると聞いてさらに驚いた。「日頃の行いがいいからよ」とリオネットさんが言ってくれた。
溜まっていた仕事をこなしていたらその日は終わってしまった。
翌日、第四分隊長の予定を確認すれば、午後の会議に出席とあったので、その前を狙って執務室へ向かう。
上司には警備隊で世話になったお礼を言いたいと伝え、届ける書類のついでに話してくる許可をちゃんと貰った。
「失礼します」
第四分隊長の執務室に入れば、執務机で書類を見る色男の姿があった。何気ない動作もかっこいい人だと改めて思う。
「書類はそこの箱に入れておいてくれ」
「はい。あの少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「ん? なんだい?」
書類から顔を上げてくれた分隊長にほっと息をついて、チケットの封筒を差し出した。
「大変お手数なのですが、ライルさんにこれをお返しいただけないでしょうか」
分隊長は封筒と僕を交互に見て、持っていたペンを机におけば指を組む。探るような視線をしっかり受け止めて、僕は怯まないように気持ちを強くする。
「せっかく君が切望して手に入れたものだろう? 素直に受けとる方が後腐れはないんじゃないか?」
「僕もそうしようと思ったんですが、その、席が良すぎてとてもじゃないですけど僕が居ていい場所じゃないんです」
僕の言葉に分隊長は暫し悩んでから納得したように「ああ」と呟いた。
そして僕の手から封筒を受け取り中を確認して苦笑している。
「これは確かに一般人には荷が重いね。判った返しておくよ」
「ありがとうございます」
よかった。これでひと安心だ。
「……ティアーネ主任は芝居を見るのは好きなんだよね?」
「え、あ、はい。熱心な方ではないですけど」
「徹夜で並ぶのに?」
「それは応援してる子限定です」
「ふふ、それだと興味がないかもしれないんだが、これを彼に返す交換条件として、私の代わりにこちらを観に行ってくれないかな」
そういって分隊長が机から出してきたのは僕が渡した封筒の色違いだ。薄いブルーのそれは第三歌劇団用の封筒である。ちなみに第二歌劇団は薄いピンクだ。
「失礼します」と声をかけて受け取り中を確認した。
第三歌劇団をチェックしてない僕でも知ってる、人気の恋愛劇の次回公演のチケットだ。
王女様がた貴族女性に男性同士の恋愛劇は大人気で、その主演を常に務める二人はその演目名にちなんで『闇夜と月』と二人一組であだ名されている。このチケットも相当手にいれるのは大変なはずだ。
「どうしてもはずせない仕事が入ってしまってね。むやみやたらに譲るには好みも別れるし難しくて。でも空席にするには演者にも行けなかった顧客にも申し訳ないだろう? だから君に行ってもらえるとありがたい」
どうだろうか? と視線で聞かれる。たしかに分隊長の言うことは尤もだ。
僕だけ一方的にお願いするのも良くないし、休みの日に僕は予定がほとんどないのでチケットの日も予定はない。僕にはなにも不利益はない。
タダで人気の公演が見れるんだ、幸運だろう。
「わかりました行ってきます。感想お伝えしますね!」
「ああ、よろしく頼む」
僕が気合いをいれて答えれば、分隊長が優しく微笑んだ。
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