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本編
⑦ 隣に立つべきは僕じゃないから
しおりを挟む考えようによっては三食昼寝付きで約一週間だらだらと過ごせた。
初日に殴られたしベッドは埃っぽくてご飯は硬くて自由に出歩けなかったけど、済んだものは仕方ない。
「帰っていいぞ」
そう言われて独房から出て、まず思ったのは「お風呂に入りたい」である。
さすがに三日に一度濡れタオルで身体を拭くことは出来たけど、ちゃんとしっかり身体を洗いたい。なんか自分も埃っぽいのが染みついてしまった気がする。
警備隊詰所の正門側は人々からの相談などの窓口があるので、なんだかんだとどの時間でもにぎわっている。さすがに薄汚れた特務隊の制服でそこを通るわけにいかないので、裏口から帰宅させてもらうことにした。
ゆっくり静養できたので足取りは軽く、ルンルンと歩いていれば廊下の曲がり角の陰から、ぬうっと手が伸びてきて抱き付かれる。
「ひっ!!!」
「セリ無事でよかった!!」
僕が驚いて悲鳴をあげるのと、耳元で知った声が名前を呼ぶのとほぼ同時だった。
「え? ライルさん?」
ぎゅうっと力強く抱きしめられてちょっと苦しい。
驚いて見上げればこの前と変わらず美男子なライルさんの顔があった。ライルさんは僕の腰を抱いたまま、片手で頬に触れて辛そうな表情を浮かべる。
「アリオンにセリが怪我したって聞いたんだけど……もう、平気?」
「叩かれただけだからもう痛くないよ。っていうかライルさん第四分隊長を知ってるの?」
僕の返事と怪我がないことにライルさんは安心した顔をした。
それにしても分隊長をファーストネームで呼ぶ関係とは、ますますライルさんの素性が謎めく。
「ああ、それなりに親しいから、今回のセリのことも聞いたんだ。今日会えるかもって思って待ってた」
ライルさんの回答に思わず頷いてしまった。なるほど親しいなら名前で呼んでもおかしくないか。第四分隊長もそれなりにいい家系の出身だって聞いたことあるし、家同士の知り合いとかなのかも知れない。
ふとそこで、分隊長が僕たちのことを「恋人」と聞いたのはもしかして自分の身に置き換えたからではないかと気付いた。
そう、ライルさんと第四分隊長が恋人同士なんだ!
思い出せばライルさんは第三特務隊に残業が多いって知ってたし、それは分隊長との時間が取り辛いってことだったんだ。
いやでも、身内の関わる事件って担当できなかったような記憶もあるけど……。うーん、僕が尋問されたのはライルさんがらみではなく、たまたま聞かれたのがライルさんと一緒の日だったってことかな?
思わずじっとライルさんを見つめていれば、張り手を受けた頬をゆっくりと撫でられる。
そのままじっと見つめていると、恐ろしい事にちゅっと髪にキスしてきた。
思わずぐいっと身体を押し返すが、すぐに抱きしめられてしまった。
「ライルさん、僕風呂に入ってないから汚いよ!」
「別に構わない。オレのせいでこんなことになってごめん」
いや、僕が構うんだけど……なんて思うんだけど再び身体を押し返すことはできなかった。
纏わりつくと言うか縋りつくように髪にキスしてくる様子をみれば、ライルさんは僕が警備隊詰所に連れてこられたことに責任を感じているのが判る。
判るんだけど、ううん? やっぱりライルさん絡みなのか?
考えても結局何のために僕がここに居たかは判らないから、考えるのをやめた。まあ、僕の証言が何かの役に立ったならよいことをしたと思うことにしよう。徳も上がったに違いない。
「僕こそ約束破ってごめんなさい。結局僕は三食昼寝付きで一週間過ごしただけだから、そんなに心配しないで」
最初の夜にも思ったけど、ライルさんは凄く寂しがり屋なんじゃないかな。
本当はお似合いの恋人に甘やかして貰えればいいと思う。だけど分隊長は忙しい方だからなかなか会えないんだろう。だから誰でもいいから構ってくれる人に甘えたり甘やかすんだな。
そう考えればなんだか全部しっくりとした。
「それでね、良くしてくれるライルさんにこんなこと言うの悪いとは思うんだけど、浮気は良くないと思う」
「は?」
「恋人……っぽい人? もきっと忙しいだけだって思うんだ。だからってライルさんが浮気したら駄目だよ。余計に寂しくなっちゃうと思う」
「まって、セリ。何の話をしてる?」
ライルさんがやっと身体を離して、僕をちょっと怖い顔で見つめて来た。図星を指されると人間って臨戦態勢を取ってしまうものだ。
「おい、来ないと思ったらなにしてるんだ……っと、ティアーネ主任か」
そしてこういう時に間が悪く、見られたくない人が来ちゃうんだ。
僕は多分ここ五年位で一番力を振り絞って、ライルさんを力いっぱい押した。分隊長の出現に気を取られたライルさんは僕に押されて後ろによろける。
「お疲れ様です。先日はありがとうございました」
僕は分隊長の前に走り寄ると、がばっとお辞儀をした。これで誤魔化されてくれないかな。
「え、あ、ああ。釈放が今日になってすまないね。ラ……彼の調査の関係があってね」
頭を上げて分隊長を見上げれば、慌てて笑顔を作っていた。
そうだよね、恋人が他の男を抱きしめてるなんて……見たくないよね。
「そうなんですね。では僕はこれで失礼します。お邪魔をしてすみません! あ、分隊長。出過ぎたことを申し上げますが、仕事が忙しくてもちゃんと恋人との時間は取るべきです。配慮してください!」
「え??」
どうしても言いたくて、上官に失礼だとは思うけど早口で言えば分隊長が驚いた声を出す。僕はお辞儀してから踵を返し、最初の予定通り裏口に向かう。
「じゃあ、ライルさんもさようなら!」
「待って!!」
ライルさんの横を通り過ぎようとしたら腕をがしっと掴まれてしまった。うーん、僕の運動神経が仕事をしてくれない。
「……これ、約束のチケットだから」
僕の腕を掴んでない手でチケットの入っているだろう封筒を差し出してくる。
その封筒と、ライルさんの手と、ライルさんの真剣な顔を見て、再び封筒に視線を落とした。
「僕は約束守ってないから……受け取れない」
じっとライルさんの顔を見つめれば、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。怒らせたというより苛つかせてしまったかな。
「おい、本当に時間がないんだから、とっとと来い」
思わず見つめ合っている僕たちに分隊長のどこか呆れた様な声がかかる。
ぐっとライルさんは唇を引き結び、封筒を僕の制服のポケットに押し込んだ。そして腕を放して肩をぽんっと叩く。
「……ごめん」
酷く辛そうな声でぽつりと呟いたライルさんは、そのまま分隊長と警備隊詰所の奥へ消えていった。
当たり前だけど、僕に振り返ることはない。
そう、僕は早く二人の前から消えなくてはって思ってたのに、ライルさんが廊下の奥に消えるまでずっとその姿を見送ってしまっていた。
ずきりと胸が痛む。
僕は勝手にライルさんと同士の様な、寂しさを紛らわす相手の様な、変な運命の様なものを感じてしまっていたのかもしれない。
これで二度と会うことはない。最後の「ごめん」は浮気は駄目だと指摘した事への謝罪だろう。ライルさんの隣は分隊長みたいな色男がお似合いである。判って貰えたなら嬉しい以外の感情はない。
一日一善、僕は今日もいい事をしたんだ。
徳を積んで手に入れたポケットのチケットが、酷く重たいような気がした。
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