花形スタァと癒しの君

和泉臨音

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本編

④ このままだとまた流されそう

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「はい。これを取りに来たんでしょ?」
「あ、やっぱりここで落としてたのか。拾ってくれてありがとうライルさん。助かりました」

 ライルさんから身分証を受け取り確認してから、僕は深々とお辞儀した。
 顔をあげればこちらを見つめる黒い瞳と目が合う。本当につくづく顔の整った人だな。

「夕飯がまだなら一緒にどう?」
「えっと、もう食べました」

 ふわりと微笑まれてソファーへ座るよう促されたが、僕は視線を外してとっさに嘘をついた。
 このままだとまた流されそうな気がしたからだ。

「そっか残念」
「あっと、明日も仕事なんで僕はこれで失礼します。……あの」
「オレ下手だった?」

 立ち去ろうとした僕の鞄をライルさんがいつの間にか掴んでいて、気付かなかった僕の肩から鞄がずるりと落ちた。

「へた?」
「セックス」

 ?????!
 思わず真剣な顔のライルさんと、部屋のすみに見える天蓋付きの大きなベッドと、自分の鞄と、その鞄をつかむライルさんの手とを順番に見て、また真剣な顔のライルさんを見た。

「た、たぶん、上手だと思います」
「なら何で帰るの?」
「え? あ、えっと明日は仕事だから、その」
「今というよりこの前、何で帰ったか聞きたいんだ。オレの名前覚えてるなら、ここでの記憶もあるってことだよね?」

 あー、そっちか!
 僕は思わずぽんっと手を打ってしまった。
 確かにライルさんの名前を聞いたのはベッドの上でだった。「名前を呼んで欲しい」といわれて教えてもらった。

 あまり覚えてはないんだけど、全く記憶がない訳じゃない。

「この前は……起きたら帰らなくちゃって思って」
「誰かを待たせてた、とか?」
「いや一人暮らしの寮に帰っただけだけど」
「じゃあなんで?」

 まっすぐ見つめてくる黒い瞳を見つめかえす。答えないと鞄から手は離してもらえなさそうだ。

「えっとその、ライルさんにはなかなか理解してもらえないかもだけど、僕は初めてで、そのしかも男性とお酒に酔って寝るとか、あまりに現実離れしてて、逃げ帰ったというか」
「は、じめて…? え? まさか……男と寝るのがってこと?」

 ううん、やっぱりライルさんみたいな美男子には理解できないやつだよなあ。

「セックスも、言っちゃうとキスも初めて」
「!!? 嘘だろう?」

 あまりにも衝撃だったのか、僕の鞄からライルさんは手を離した。僕はその隙に鞄を肩にかけ直す。

「ごめんなさい。本当です」

 こういう場合どういう顔をするのが正解かわからなくて、思わず愛想笑いを浮かべる。
 ライルさんは信じられないものを見るような目で僕を見る。

「え、まって? 本当に? え? 嘘じゃなくて?」

 この様子からすると僕もそれなりに遊んでると思ってたのかな? そんな勘違いをしてたから、僕をこの部屋に誘ってくれたのかもしれない。
 それなりの歳だし、確かに全く経験がないなんて普通は思わないよね。

「なんか勘違いさせてしまったみたいですみません。初めてだったから上手いとか良くわからないんだけど、気持ちよかったし怪我もしてないからライルさんは上手いんだと思う。自信持ってください」

 戸惑いがちに揺れるライルさんの瞳をしっかり見据えて、僕は力強く頷いた。

「初めてって……なのになんでそんなにあっさりしてるの? なんかもっとこう、ないの?」
「あ、ライルさん意外とロマンチストですか? 僕は機会がなかっただけで、さすがにこの歳でセックスに夢とかもってませんよ。でもまさか男の人とするとは思ってなかったかな」

 ははっ、と再び愛想笑いをすれば美男子が頭を抱える。

「まさか……オレが一日一善とか言ってたのを本気にしたとか、ないよ、ね?」
「ああ、それもあります」
「……あるのか」
「あ、でも、それだけで妄信的にしたがった訳じゃないからあまり気にしないでください。僕もいい大人なので無理ならちゃんと逃げますよ」

 僕が自信をもって言えば、あからさまに疑心たっぷりな視線を向けられる。

「僕たぶんライルさんより歳上だし」

 そう、この美男子はたぶん僕よりも数歳年下だと思うんだ。肌艶の感じとか精力的な面とかもろもろでの判断だけど。

「年齢の問題じゃないと思うんだけど……とりあえずまた会ってもらえる?」

 ずいっと顔が近寄ったので思わず後ずさる。しかし逃すまいと腰を掴まれてしまった。さりげなく流れる動作で腰を抱いて顔を近づけるとか本当にライルさんは手慣れている。

「セリともっと話がしたい」
「話すだけなら……あ、でもやっぱり駄目だ」
「なんで?」
「徳が、なくなっちゃうから」
「んん??」
「ライルさんみたいなかっこいい人と会えると善行分の徳が消費されるみたいで、徳がなくなるみたい」
「……もう少しマシな理由で断れない……いや、本気なのかこれ」

 視線をそらさずに見つめていれば、ライルさんが諦めたようにため息をついた。

「判った。第二の感謝祭のチケット伝手で手に入れるから、またオレと会って」

 感謝祭の、ちけ、っと?????

「え???? 本当に???」
「そのための善行なんだろ? だから…」
「判りました。週末でいいですか!」

 僕は思わずライルさんの空いている手を両手で握った。
 僕の天使に、会える!!!!
 なんだ、ライルさんは神か??! 神だな!

「食いつき良すぎ。騙されてるとか思わない?」
「ライルさんが僕を騙すメリットがない!」

 僕がきっぱり言えば、ライルさんが苦虫を噛み潰した顔をした。

「めちゃくちゃ複雑……演技の方がマシかも」
「演技?」
「そ、オレの気が引きたくて純情なふりしてるとか、そういうの。だけどなぁ、チケットの話したらその顔だもんなぁ」

 僕が手を放すと、ライルさんが僕の頬を指でぐいぐい押してくる。

「あはは、嬉しくて顔が緩んじゃった」
「まあ、期待してていいよ。歌劇団にはそれなりに顔が利くから」

 そしてそのまま触れているのとは逆の頬にちゅっとキスされてしまった。本当にライルさんはキスが好きだ。油断するとすぐにあちこちにキスされてしまいそうでかなり焦った。

 この日はこの後すぐに帰ったんだけど、ライルさんに何度も「他の人に誘われても飲みに行くな」って言われてしまった。そんなに言わなくてもちゃんと週末の約束は守るのに心配性だな。


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