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第79話「ユキ…」

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 楓はゼロ本部地下1階で特別収容室を出てモラドの大垣がいる洋館に向かって急いでいた。勢い余って何度か転倒して膝や肘を擦りむいたが、痛がっている暇はない。
 またどこでALPHAのヴァンパイアに遭遇するかわからない。味方に付いてくれたゼロの隊員はいたが、彼以外は楓の姿を見て見逃してくれる者なんているはずがない。人類にとって自分が吸血鬼の中で最も警戒されている存在であることを楓は理解していた。そんな不安を感じながら楓が地面を蹴り上げる力は強くなっていく。

 深夜の東京はヴァンパイアに遭遇する確率が日中に比べて飛躍的に上がる。ALPHAのヴァンパイアはもちろんのことモラドやALPHAの思想に属していない野良のヴァンパイアも自らの食欲を満たすためさまよっている。そのため、深夜に外をうろついている一般市民など殆どいない。
 しかし、楓が走っている先、街頭に照らされている一人の少女が楓の視界に入った。ヴァンパイアの嗅覚で楓はその少女が人間であることを即座に察知した。 
 楓は夜道を一人で歩くその少女を家まで送り届けるべきか悩んが、自分の姿を見て驚かれないだろうかと逡巡しているとその少女は楓の存在に気がついたようだった。楓は無駄だとわかっていても、咄嗟に街頭に照らされる顔を腕で隠した。そして、目の前にヴァンパイアがいて悲鳴を挙げられることを覚悟して物陰に身を隠そうとしたときだった。

「楓…なの?」

 楓は街頭に照らされていた自分の顔を隠していた腕を恐る恐る下ろして楓に話した少女を見た。祈るように胸の前で手を組んでいるその少女は、ポニーテールでセーラー服を着ている。
 楓は目の前にいる少女が誰だか瞬時に思い出した。その容姿を楓は今まで何度も見てきた。いつも近くにいた存在。ずっと、一緒に入られると思っていた存在。今まで楓の支えになっていた一人を楓は当然忘れるはずがなかった。

「ユキ…」

 楓は目の前にいる人物が幼馴染の片桐ユキであることを把握するのに多くの時間は必要なかった。
 楓は自然とユキに向かって歩を進めていた。そして、途中我に返って自分の今の姿を思い出した。大半の人間にとってヴァンパイアは忌むべき存在。それは今、目の前にいるユキだって例外ではない。
 きっと、自分の本当の姿を見たら飛び上がって去っていくかも知れない。そんな考えが楓の頭をよぎった。
 だから、楓は唇を強く噛み締めて踵を返そうとした。ユキはまだ確信を持って目の前のヴァンパイアを楓と認識したわけではない。今だったら何かの間違いだと後で思ってくれるかも知れない。そんな淡い可能性にかけて楓はその場を離れようとしたが楓の期待は簡単に裏切られた。

「楓なんだよね? 今までどこに行ってたの? 探したんだよ」

 楓は必死になって走っていたため気が付かなかったがここは楓と竜太が襲われた喜崎町の廃材置き場からそう遠くはない場所だったことを思い出した。
 ユキは目の前にいるのがヴァンパイアであるにも関わらずためらう様子もなく近づいてくる。そして、ユキは楓に作ったような笑みを見せた。後方から街灯が照らしているせいかユキの顔に陰がかかって疲れているように見える。顔を見られないように顔を伏せていた楓は覚悟を決めて顔を上げた。

「来ちゃダメだ。ユキだけは…ユキだけは巻き込みたくない。だから、お願いそのまま振り返って帰ってくれ」
 ユキは楓に近づく歩を止めた。しかし、振り返って走り去ることはなかった。

 ユキは瞳に溜めた涙を零さないようにそして、無理やり作ったであろう笑顔を消さないように楓に言った。
「急に二人がいなくなっちゃって私どうしていいかわからなくなっちゃったんだ」
 ユキは笑顔を絶やすこと無く続けた。
「学校ではね二人は亡くなった言われたんだよ。私、どうしても信じられなくて…だから、だから、少しでも二人が生きている手がかりを見つけられたらなって思ってたの」 
 楓は普通ならばこの時間に女性が、しかも人間が出歩いているはずがないと疑問に思っていたがその疑問が解消された。
「まさか…ずっと探してくれていたの?」
 ユキはそっと頷いた。
 楓はこみ上げてくるものを抑えることが出来なかった。そして、ユキの方へ振り向いて体を向ける。

「ごめん…ごめん一人にして。今までずっと何も言ってあげられなくて」
 ユキは胸の前に手を組んだままでポニーテールを左右に揺らした。
 そして、瞳から溢れかけた雫をユキは人差し指で払い除けた。そして、弾けるように笑った。今度は心から湧き上がってきたユキの笑顔だった。
「いいよ。でも、よかった。楓が生きてて、本当に死んじゃってたらどうしようかと思ってたの」
「心配かけちゃってごめんね」
 ユキは頬を膨らまして拗ねるように、そして、少し冗談交じりに言った。
「ホントだよ。一人ぼっちにするなんて酷い!」
 楓は無理して明るく振る舞っているユキを察していた。だから、その言葉を自分の中で強く受け止めた。 

「ねぇ楓、今まで何があったの?」
「そうだね。全部話すよ。ちょっと長くなるけど、いい?」
 ユキは即、首を縦に振った。

 目の前にいるユキが今までのユキとは違うことを楓は理解していた。その原因を作ったことも当然理解していた。
 だからこそ意を決した。楓はもう嘘なんか付いてもしょうがないと思ったからだ。
 楓は深く息を吸った。
「ユキ、驚かないで訊いてくれる?」
 楓がユキをまっすぐ見て言うとユキはコクリと頷き、唇を結んだ。

 楓はユキに今まであった経緯を話した。自分が混血であることや自分の力を求めている組織がいること、喜崎町の廃材置き場で起きた事件、そこで瀕死の竜太をヴァンパイアにしたことなど楓はユキに話せることは全て話した。もちろん、竜太がALPHAへ行ったことも。
 涙もろいユキは話を聞いている途中こらえきれず涙を流したりした。

 ユキは疲労のせいかよろつきながら楓の元へ歩を進めた。いつものポニーテールを揺らしているものの以前のように遅刻寸前で教室に入ってくるときのような快活さは感じられなかった。まるで、楓までのたった数歩。それが、遠く感じるような、そんな足取りだった。
 ユキは倒れ込むように楓の胸に顔を伏せた。
「辛かったね」
 たったその一言が楓にとって心の奥底に響き渡るようなそんな不思議な力を感じた。

 すると、ユキはすがりつくように楓の両肩を掴んで今まで抑えていた涙をすべて出し切るかのように大粒の涙を流していた。
 楓は胸元で涙を流すユキの頭に触れるか触れないかの距離で、そっと手を置いた。
「ごめん。こんな姿で会うことになって…ずっと黙ってて」
 その言葉を訊いてユキは楓の胸に拳を叩きつけた。
「本当だよ、もう。何も言わないで勝手にいなくなるなんて卑怯だよ。ヴァンパイアでも楓は楓だし竜太は竜太だもん。ひどいよ私だけ置いてくなんて」
「…ごめん」

 ユキはそっと顔を上げて赤く腫らした眼で楓を見上げた。そして、小さく首をかしげる。
「もう3人で会えないのかな? あの時みたいに一緒に遊んだり出来ないのかな?」

 楓は片手に拳を爪が食い込むほど強く握りしめた。そして、頭を振った。
「そんなことない。竜太を取り戻してこの世界を平和にしていつもの日常を取り戻してみせる」
 ユキは綺麗な花のようににっこりと笑った。
「そう言いそうな感じがしたんだよね。なんかさ、楓はこんな短い間でも大人になったね。ついこの間まではもやしみたいな高校生だったのに。男の子はどんどん前に進んでいっちゃうんだな」
「もやし?」と楓は聞き返したがユキは意に返さなかった。

 ユキは抱きついていた楓から離れ制服のスカートに付いている汚れを払った。
「私も前に進まないとな」
 それから再び楓のことを見上げた。手を後ろに組んで小首を傾げてユキは言う。
「私は楓についていくよ」
「え?」と楓が問いかけるとユキは迷うこと無く答えた。
「私もモラドに行きたい。楓に協力したいもん」
「いや、でも…」
 ユキは楓が話そうとするのを遮って頭を振った。
「もう嫌なの。みんなが離れ離れになっちゃうのは」


 楓とユキはモラドの洋館に向かって歩いていた。楓はさっきまで急いでいたがもちろん周りに気を張りながらだが、可能な限りこの時間を長く続けたい楓は思っていた。そして、幸いにも今夜は周りにヴァンパイアの気配はなく静かな夜だった。

「楓やつれたね。目の下のくまが酷いよ」
 ついに訊かれたかと言わんばかりに楓は少し恥ずかしくなって顔を赤らめた。そして、自分を棚に上げてユキに反撃した。
「ユキこそ、前とは随分変わったね。痩せた?」
「二人のせいだからね。あと痩せてないから! むしろストレスで1kg太ったから!」
 1kgなら誤差では? と楓は思ったが口には出さなかった。
 ユキは頬を膨らませて顔を赤くしていた。そして、ちらりと楓の方を向いた。
 そして、思わず二人は吹き出して笑う。なんだかおかしくなって二人は段々と弾けるように笑いあった。
「なんか久しぶりだなこの感じ。急に10年ぐらい年取ったみたいに遠い昔の話だったように思えるよ」
 ユキは「10年かぁ~」と空を見上げた。
「10年経っても楓は今のままなんでしょ?」
「いや、一応2歳は年取るから20歳のままかな。人間として肉体が活発な年齢で止まるんだって」
「20歳かぁ。じゃあ、お酒は飲めるんだ」
「うん…まあそうだね。実はもう飲んだけど」
「ええ! それって未成年飲酒じゃん。いけないんだ」
「でも、ヴァンパイアにとってお酒を飲むのに年齢制限無いんだって。モラドの先輩に飲みに連れて行ってもらったし」
「それってヴァンパイアの?」
「そうだよ」
「ヴァンパイア…。これから行くところってヴァンパイアがいるんだよね?」
「うん。でも、大丈夫。みんな優しいからユキも馴染めると思うんだ。あ、でも、もし、怖かったら無理しなくていいよ。そしたら、僕が家まで送っていくから」
「ううん、いいの。楓がお世話になったところなんだからきっと大丈夫なんだと思う」

 二人の会話はまだ続いた。笑ったり、泣いたりときには怒ったり。それは、今まで空いた空白の時間を埋めるように色んな話をした。それは本当にたくさん、語りきれないくらい多くの出来事が今まで起きたからだろう。
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