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第46話「狂楽⑥」

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 「よし! 捨てよう」

 バートンは優秀なおもちゃを捨てることに悔しさを滲ませぐっと拳を握った。それでも希望に満ちた輝いていた。
「この経験から私達は新しい結論を得た。同じ対象を何度実験しても快楽は延々に続かないんだ。しかし、これは、失敗じゃない。成功のための発見だ。この経験を通して私達は新しい価値観を得ることができたんだ決してこの実験は無駄ではなかった。いや、むしろ私達の大きな躍進につながったと言えるだろう」
 座り込んでいたアーノルドはスックと立ち上がりバートンに両手の人差し指を向けていった。
「僕も同じこと思ってた!」
「私もよ。やっぱり皆家族なのねぇ。考えることはいつでも一緒」
 3人はまるで目の前に希望という名の光を見つめように同じ方向を向いて思いを馳せている。実験に対する新しい価値観を手に入れたことで彼らの今後の期待は胸の中で煌々と燃えていることだろう。さらに、家族の絆は深まり3人は手を添えて重ねてから天に掲げて今後の極上の快楽を期待した。
 そして、バートンは「せっかく良いおもちゃを持ってきてもらって名残惜しいが鋼星、頼めるかな?」と言うと鋼星は「了解っす」と実験室入口付近を警備して固めていた鋼星は体中に杭を刺されて力なくうなだれる楓に近づいてゆく。
 鋼星は楓に対して配慮などは微塵もなく四肢に刺さっている杭を遠慮なく且つ手際よく抜いて、後方に放り投げていく。
 そして、楓はまるで軟体動物になったかのように地面に滑り落ちて力なく横たわる。それを見ている鋼星は億劫そうに片手で楓を担ぎ上げて「Dust Chute(ダストシュート)」と書かれた装置の前に立った。
 そして、鋼星は取っ手に指を駆けて引き出しのように引っ張ると、ちょうど人1人分は入れそうな広さの直方体をした空間が現れて鋼星は楓を頭からゴミを捨てるように放り込んだ。そして、踵を返した時の後ろ足で蹴けってダストシュートの引き出しを締めると出口で待っているディアス家の元へ向かっていった。
「やっぱこれもダメでしたか」と鋼星は照れ隠しをするように頭を掻いて言う。
「申し訳無いね鋼星。また、引き続き実験体の獲得を頼むよ」
「任せてください。いつでもどこでも捉えてきてやりますよ」と鋼星は親指を立ててはにかんだ。


 楓は実験で気を失った後に鋼星によってダストシュートで地下に放り出された。
 放り出されてからしばらくして楓が意識を取り戻すと目の間には延々の暗闇が広がっていた。そこは、一筋の光の侵入さえも許さないような密閉された空間である。換気をしているような窓も通気口も見当たらない。そして、長年のこの空間に空気がこもっているようで異様に生暖かい。そして、息苦しい。
 楓は目を開けて辺りを確認するが、どこが後ろでどこが前なのかもわからない、ただただ深い闇が広がる空間に楓はぽつねんと立ち尽くしていた。しかし、楓は肌をピリリと伝うようななにかの気配を感じていた。
「何かいる…」
 ヴァンパイアとしての勘か生物としての勘なのか楓は何か感じ取った。
 暗闇を見ようと視覚に意識を集中しようとしたがひどい頭痛で立ちくらみし、足元をふらつかせて楓は目を押さえた。
 どうやらディアス家に実験で額に刺された杭の傷がまだ癒えておらず、視覚に影響を及ぼしているらしい。そのため、その他の感覚を研ぎ澄ます。
 鼻に意識を集中しようとしたが気づけばその必要がないほど辺りは卵が腐ったような匂いがする。むしろそのせいで嗅覚が自在に機能しない。一方、耳を済ませればどこからかぴしゃぴしゃと水を跳ねる音がわずかに聞こえた。
 楓はその異様な気配に周りを警戒する。
「やっぱり何かいるんだ…。ヴァンパイアか? とりあえずここを出ないと」
 異様な雰囲気を感じた楓はいち早くこのゴミ溜めから脱出する事を試みた。自分がダストシュートで放り込まれたであろう角度を確認して出口に向かって駆けた時だった。何かに足を取られて盛大に水しぶきを上げて転倒した。
 すると、急に辺りが閃光を発したかのように明るくなる。何かが引っかかて照明のスイッチを押したのか昼間のように明るくなった。
 楓は一瞬目がくらんだが視界が段々と落ち着いてから顔をしかめて自分の足元を確認してみる。
「わぁぁ! っぅ」
 楓は思わず叫びかけたが手を塞いで必死に声を殺した。明かりがついてしまったものの、近づいてくるものが敵なのか味方なのか何者か判別できないため楓は慎重に行動していたからである。
 すると、そこにあったのは腐敗が始まって男性なのか女性なのかさえわからないような死体だった。一体いつここに来たのかもわからない。ただ、ここまで腐敗が進んでいるということは死後かなりの時間が経過していると言える。
 腐敗したその死体は楓が足をかけたことによって体に張り付いていただけの肉が削ぎ落ち腹は割け、体は崩れていった。そして、赤黒い体液が水たまりに染み渡るように広がる。
 しかし、そのような死体は一体だけではなかった。
 周りを見渡すとおびただしい数の死体の山がある。腐敗が進んでいるものや白骨化して骨だけになったもの、生物としての原型を留めずただの肉の塊になっているものなど、どれが誰だか判別がつかないほど崩れている。腐った卵のような匂いがしたのはこの死臭のせいだった。
 不幸中の幸いか辺りを照らされたこの空間のおかげで楓は自分がここに放り込まれた入り口を見つけた。しかし、そこはヴァンパイアの身体能力でも登るのは難しい高さにあり楓は他の出口を探すべく、とにかく今の場所を離れることにした。楓は無数に転がる死体を踏まないように気をつけながら出口を目指して進んでいく。

 しばらく、歩くと曲がり角で照らされる光の影で誰かの人影が見えた。きっと、さっき楓が聞こえた足音はそのヴァンパイアのものだろうと思った楓はそのヴァンパイアのことを足音を立てないように慎重に追いかけた。

 壁に身を隠してそうっとヴァンパイアが消えていったところを見てみると。そこには誰もいない。確かに、その角をヴァンパイアのような人影が入っていったはずだった。
 楓が曲がり角に入ってみると「コ」の字になった場所に出て、楓の視線の先には「コ」の奥の壁があるだけで行き止まりだった。
 楓は姿を消した人影が気になり側面の壁に手を伝いながら行き止まりになっている壁まで歩いた。
 その途端、楓の後方でさっき聞いたぴしゃぴしゃという足音が聞こえる。
 振り向くと、ローブのフードを深々とかぶった楓と同じくらいの背丈のヴァンパイアが立っていた。しかし、フードの影でそのヴァンパイアの顔は見えない。
「あの…あなたは?」と楓が恐る恐る訊くと、
「…く」
 絞り出したようなかすれた声で何かをつぶやいた。楓は聞き返してみると、内容はより鮮明になって聞こえた。
「肉…」
「はい?」 
 そのヴァンパイアは楓に向かって前進し、フードの影が消えて顔が顕になる。
 その顔には目玉が片方無くなって、歯は前歯が3本あるだけ。さらには、骨は丸見えになって腐りかけている頬の肉が剥がれてぶら下がっている。その姿はまるでゾンビそのものだった。
「新鮮な肉をくれ…」
「…何、いってるんですか」
 楓は冗談であることを願い引きつった笑みを浮かべた。もはや楓の中で何が起こっているのかわけが分からない。
 しかし、楓が先程訊いたぴしゃぴしゃと水を跳ねる音は一つではなかった。
 まるで獲物を嗅ぎつけた蟻のようにどこから湧き出てきたのか楓にゾンビのようなヴァンパイアたちが集まり始めた。そして、あっという間に取り囲まれて逃げ場を失う。入ってきたところだけを塞いでいると思いきや遠くの方を見渡してみるとぞろぞろとゾンビたちが集まってきた。その数は多すぎて数え切れない。 
「若い肉体…ほしい」「ヴァン…パイア…の肉で…いい」「肉をくれ…」「血がほしい…」…。
 ただただ、目の前にある肉の塊に対して己の欲求を満たすためだけに近づいてくる生物。まるで、楓の事をヴァンパイアとしてではなくただの肉の塊としてしか認識していないかのようだった。
 
「にくぅー」「若いにくぅー」
 まるで、機械仕掛けの人形であるかのようにそれだけ発している。
 その中によく見てみれば楓が実験室でアーノルドによって額に刺されたものと同じ杭をまだ腹に刺したままの者がいる。そして、楓はふと確信したことが頭によぎった。
「まさか、あそこから落とされたヴァンパイア…」
 楓の予想通り、ここにいるヴァンパイアたちはディアス家によって残虐非道な行いをされた後、地下に捨てられ、生きるために血を求めるも、そこにあるのはディアス家の放棄されたゴミだけで、それを漁り生命を維持していた。それ以外にもこのヴァンパイアたちは強い生命力で生きながらえて人間の血は愚か血肉を削ぎ取られた死にかけのヴァンパイアしかこの場にいないため共食いもすることができず、楓のようなたまに落ちて来る若い血肉を期待して生きている者たちだった。

 彼らは目の前の若い肉にゆっくりと近づいてゆく。
「来るな…」
 楓はジワジワと近づいてくるそのヴァンパイアたちから距離を取る。一歩また一歩と後ろに下がって行くが、やがて楓のかかとは固いもに当たる。振り向いてみるとそこにはコンクリートの壁が虚しくそびえ立っていた。かかとが付いたその壁はやたらとひんやりとして冷たかった。
「来るな…来るな」
 楓は怯え、そして壁に背をこすりながら座り込む。上を見てもコンクリートの壁。右を見てもコンクリートの壁。左を見てもコンクリートの壁。後ろを見てももちろんコンクリートの壁。
 逃げる場所なんて髪の毛一本の隙間さえ存在しなかった。
「肉…ほしい」
「やめろ! やめろ!」
「にくぅー」「若い肉…」
「ああああぁぁぁぁぁぁあああぁあぁぁっっっ!」

 あぁ、終わった。
 全部終わった。
 ハハハハハハハハハッ。終わった。終わっちゃった。
 もうどうにでもなれよ。ハハッ、ハハッ。

「心臓…うびゃい…ぷるぷるしてる」
  
 ハァ、体がしびれる。僕は食われてるんだな。
 
「頬は柔らかくておいきぃ」

 嗚呼、不思議だなぁ。杭を刺されたときより痛くないや。
 てか何? 杭って? なんで僕は捕まえられて串刺しにされてバラバラにされて杭を刺されてこんなゴミ溜めにいんの?
 それにこの状況何? もう、意味わかんねぇよww。ナニコレ?ww何がどうなってんの?
 何? コイツら? 何者? なんでヴァンパイアがヴァンパイア食ってんの?
 ヴァンパイアって人の血吸うんじゃなかったっけ?
 マジで意味わかんねぇww。

「これ睾丸かな? …食えるのかな」

 ハハハ、もう死にたいw。
 あー眠い…寝よう。ゆっくり休もう。今までの分もゆっくりと。
 あ! そうだ。人間に戻ったら竜太とユキの3人で旅行へ行こう。自然豊かな沖縄あたりの南の島が良いな。きっと絶対リラックスできるだろうなぁ。あ、でもそのためにはバイトしないとなぁ。今、貯金いくらあったっけ? 国内旅行だといくら貯めればいいんだろう? 3万? 4万? 5万かな? 何日シフトに入ればいいんだろ? 時給はいくらがいいかな? てか、今から働いて夏休みに間に合うかな?

 あ、無理だわ。今、食われてんだった。

「肉肉肉ぅ…あぎゃっ!」

 はぁーあ、なんかもうどーでもよくなっちゃったなー。

 楓を食らうゾンビたちが一体二体と次々に倒れていく。 
「楓! 待ってて絶対助けるから!」
 遠くで誰かが叫んでいる。
 楓は食われて崩れていく顔で朦朧とする意識の中、どこからともなくそんな声が聞こえたような気がした。しかし、声はだんだん遠のいていって自分自身が深海に埋もれていくように意識も消えて無くなってゆく。
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