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第32話「2人で話す夜」

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 その少女は屋上のドアが開く音に気づき、ボーイッシュの短い黒髪を風になびかせて楓の方へ振り返った。
 目が合った楓はつぶやく。
「烏丸さん」

 一瞬の沈黙の後、思わぬ人物とばったり会ったことに気まずくなった楓はあたふとドアを閉めて帰ろうとしたが楓の気配に気づいていた烏丸は外を見つめたまま声をかけた。
「気を使わなくていいですけど」
 少しの逡巡をして楓は烏丸の後ろ姿を見ながら、恐る恐る近づいていく。
「隣、失礼します」と楓は烏丸に一礼して同席することの許可を取るようにしてから腰掛け、隣に座る烏丸同様に屋上の縁から足を投げ出すように座った。

 死んだように静まり返った街の中に薄明かりの街灯に照らされる光景は2人がこの世界に生存している唯一の生物ではないかと思えるぐらいに街の中はヴァンパイアの影がなく無音の世界だった。
 そして、その沈黙に耐えきれなくなった楓は言った。
「この前のホテルでも深夜にどこか行ってたね。そのときも屋上に行ってたの?」
 無理して話題を絞り出したかのように言った楓に烏丸は怪しいものでも見るように眉根を寄せる。
「見てたんですか? かなり遅い時間だったはずですけど」
 楓は何かよからぬ誤解を招きそうだったので少し焦ってから「あ、いや、その寝れなくてたまたま…」と焦って更に誤解を招きそうな言い方をしてしまった。
 しかし、烏丸はそんなことは気にしていないようで「そうですか」と一言だけ返答した。
「今日も眠れなかったんですか?」と仕方なく会話を続けようという意思が透けて見えるように烏丸が訊いた。

 楓は頷いてから「男部屋は竜太と鋼星のいびきがうるさくてなかなか眠れないんだよね」と苦笑する。
 それから楓は話題を元に戻すように切り替えた。
「烏丸さんはこの時間いつも外にいるの?」
「まあ、そんなところですかね私も眠れないんで」と溜息を吐くように言い放った。
 楓は烏丸の発言が気になり少しの思索の間があってから、相手の機嫌を損ねないようにそして、語り掛けるように言った。
「最近何かあったの?」
「いえ、単純に夜型なだけです。ヴァンパイアは元々夜型なんで」
 つっけんどんに言った烏丸だったが楓はそれでもまだ納得できていない様子を見せた。
 しかし、楓は余計な詮索をすることを止めた。その後、2人の会話はそこで途切れて再び沈黙が訪れた。
 時折吹く風が2人の沈黙の間を取り持つように音を立てて吹いていた。

 会話を取り繋ぐ意志はないという烏丸に楓は烏丸を怒らせていないかどうか気になって横目で烏丸の様子をちらりと見た。
 しかし、楓の慎重な行動の努力は虚しく、すぐに烏丸は楓の視線に気がついて楓の方を見た。
「私の顔になにかついてます?」
 首を傾げて愛想を浮かべる事もなく、訝しげな表情で楓にその言葉だけを言い放っただけだった。
 こっそり見ていたことがバレていたことに驚いた楓は「あ、」と思わず声を漏らして顔を烏丸の方へ顔を向けた。そして、お互いの目が合う。

 夜の屋上、図ったようにまた2人の間に風が吹き抜けた。そして、楓の白髪と烏丸の黒髪が風になびく。
 烏丸の長いまつげに大きな瞳の奥は目の前に存在している楓を見ているようで見ていない瞳をしていた。まるで、視線だけは目の前の物体に向けているが意識はどこか遠くを見ているように。
 その瞳を見た楓は一瞬、時が止まったように静止した。

 それから、少しの沈黙があってから楓は口ごもって「いやなにも」と視線を逸らして再び目の前に広がる建物群に視線を向けていた。
 楓は頭の中で話すことを選び取るようにしばらく考え込んでから再び口を開いた。
「烏丸さんと2人で話すのって初めてだよね」
 烏丸は楓に視線を向けること無く正面を向いたまま「そうですね」と一言だけつぶやく。

「なんか、こめんなさい。僕らのせいで急にここまで連れてきちゃって。迷惑だよねきっと。僕なんかの…その…バケモノのために…」
 自嘲気味に言う楓を見ていた烏丸は表情を変えること無く首を横に振って答えた。
「いえ、これも仕事なんで迷惑じゃないですよ」
「そっか、仕事…だもんね。烏丸さんは仕事熱心だもんね。キエスで僕らを守ってくれた時も強かったし」と愛想笑いを浮かべる楓。
 話す言葉が見つからず自分が絞り出した言葉になんだかぎこちない会話になっていることを楓は自覚した。
 そして、楓は目をしかめて自分が選び取った話題を間違えたような気がして後悔した。

 お互い会話が得意なタイプではなく口下手な2人の会話は途切れ途切れになり、その空気に耐えきれなくなった楓は「じゃあ」と言い残して腰を浮かせようとした。そのとき、
「私にはモラドしか残されてないんです」
 また、烏丸はどこか遠くを見つめながらそう言っていた。

 それは、その場を去ろうとした楓を引き止めるために言ったわけではなく、ただ自分に言い聞かせるように虛空に向かってそう言葉を放った。
「残されてること?」と出口に向かって歩を進めかけた楓は烏丸の方へ向きかえって聞き返した。

 烏丸は空を見上げる。
 アガルタの夜空は地上と違い星1つどころか雲ひとつすら存在しない漆黒はまるで異空間の裂け目のように吸い込まれしまいそうな程だった。
 烏丸はその漆黒の夜空を見上げながら空に向かって話した。まるで、独り言を言うように。
「私は空っぽなんです。なんにも無いんですよ。守るべきものも、好きなことも何にもない。ただただ空っぽで生きてるだけのヴァンパイア。無目的に生きて死ぬのを待っているだけ」
 烏丸は視線を楓の方へ向けた。
「もし、人間に生まれてたらもっと早く人生を終えることができたのかもしれませんね」と烏丸は自分のことを卑下するように言ってわずかに上げた口端から白い歯をのぞかせて更に続けた。
「自分から死ぬ勇気もないチキン野郎はこうやって長い生命が終わるのを待つだけなんです」

 一度止んだはずの風がまた吹き始める。楓の頬を撫でたその風はさっき吹いていた風よりも少し冷たくなっているように感じた。
 楓はその風を振り払うように首を横に振った。
「そんな事言わないで、烏丸さん。そんな事したら、大切な家族や仲間が悲しむよ」
 楓は烏丸の方へ向かって歩を進めた時だった。
「家族は私以外殺されました」
 楓は歩みだした足を止め、烏丸の背中を体が固まったように見つめる。ようやく動きだした体で楓は冗談であってほしいと願いながら尋ねた。
「殺…された?」
 すると、烏丸は楓の願いを意図して破壊するようにためらうこと無く淡々と続けた。
「ちょうど今みたいな真っ暗な闇の中で。私が出かけている間に私以外全員。でも、別に殺されたって構わないような親だったんですけどね」
 壮絶な事実を淡々と語る烏丸の表情は感情が消えて無くなったかのように彼女が言っていて、まるでヴァンパイアの皮をかぶった人形が話していることを思わせた。
 楓は何か言おうかためらったが意を決したように口を開いて「聞いてもいい?」と楓は烏丸の隣に再び座った。そして、烏丸は楓の方を振り返ることなく正面を見たまま小さく頷いて話を続けた。

「ALPHAに家族を殺されたんです。というか、私がいた国自体ALPHAの本拠地がある国から近かったのでいつ攻撃されてもおかしくありませんでした。だから、占領されるのも時間の問題でした」
 まるで他人事のように烏丸は淡々と言った。
「ALPHAに?」と楓が聞き返す。
「人間にもあるでしょ? 思想の違いで争いに発展することが」
 楓は烏丸の言葉を自分自身に染み込ませるように考え込んでからゆっくりと頷いた。
「ヴァンパイアの世界でも人間の存在の良し悪しがあってALPHAの思想に反する国で彼らが気に入らないと判断されたら実力行使されて支配されてしまうんです。だから、力のない国はALPHAの支配下にされちゃうんですよ。それで生き残ったヴァンパイアの殆どは国を追われる。私もその1人です」
 ややあってから楓は言った。
「…そんな酷いことがあったんだ」
「だから、私にはもう血のつながった存在がいないんです。別に家族に生きていてほしいとは思ってないですけど自分がこの世界で1人きりになってから虚無だけが私の中にいつまでも居座ってるんです」

 楓は空を見上げる烏丸を一瞥してから眼下の街並みに視線を落として自分の中の考えをまとめるようにゆっくりと話した。
「その気持ちは僕も分かるよ。僕も家族がいないし、誰から生まれたのかもわからない。だから、生まれたときからもう何がなんだかわからない状態だった。親なんて存在しないんじゃないかって小さい頃、思った時期もあったよ」と楓も自らを嘲笑するかのような笑みを見せる。
「おまけに死なない体になってるし、ホントにもう何がんなんだか…」
 烏丸は楓の方へ視線を向けてから言った。
「この任務に当たる前、楓さんの資料を見ました。出生の情報や生まれてから過ごした学校の情報とか。あと、実験のこととか」
「そっか。じゃあ僕の今までのことも伝わってるんだね」
 楓も空を見上げてから言い放った。
「僕は人工的に作られた人間でありヴァンパイアだから、親の顔を知ってる烏丸さんは恵まれてるよ」
「親の顔ですか。あんまり思い出したくもないですけど…。でも、楓さんはずっと一人でいて辛くないんですか?」
 遠くを見つめていた楓は少し目を細めてから言った。
「物心ついて自分が1人って気づいた時は寂しかったよ。外で親と手を繋いで楽しそうに歩いている家族を見ていると自分が何のために生まれてきたのかわからなくなるときだってあった。同時に姿を見たこと無い親のことを恨んだりもした」
 楓は空を見上げてすーっと息を吸う。
「でも、色んな出会いがあって仲良くしてくれる人間の友達がいたし、こんな僕に夢を託してくれるヴァンパイアもいた。そんな経験をしてやっとわかったんだ、僕の存在は僕だけで無価値だと決めつけてはいけない。僕にはやらなければいけないことがあるって。実験で作られたバケモノかもしれないけど僕だって1人の人間でありヴァンパイアだ。だから、例え肉親がこの世にいなくても僕を支えてくれる人がいる限り孤独じゃないと思ってるんだ」
 楓は視線を烏丸の元へ移してから頬を緩めた。
「だから、余計なお世話かもしれないけど烏丸さんも自分で抱え込まないで僕ら仲間なんだから何でも言ってよ。戦闘で力になれるかはわからないけど…」
 烏丸は楓が話す姿を、口を半開きにして聞いていた。そして、思い出したかのように口を閉じて楓が言ったことを自分の中に取り込み長い瞬きが開けてから言った。
「意外ですね。楓さんはそんな事考えてたんですか」
「え? 意外かな?  というか、僕の事どう思ってたの?」
「死なないって事を除いたらただのヘタレです。鋼星に練習でもボコボコにされてたので」と烏丸は即答で答えた。
 楓は突かれたくないところを突かれたようで思わず苦笑した。
「でも、なんか勇気出ましたよ。それに楓さんのこと資料でしか知らなかったので話してみたら意外といい人でした。いや、いいヴァンパイアですね」
「意外と…か。でも、それなら良かった。烏丸さんもあまり気を落とさないでね」
「楓さんまだ弱いですもんね」と烏丸は口元に手を添えてから笑みを浮かべて、楓もつられて笑った。
「よかった。烏丸さんってそんなに楽しく笑えるんだね。烏丸さんのそんな笑顔見たの初めてだから安心した」
「私にも感情はあるんですけど」と烏丸は隣に座る楓を見つめて楓は苦笑する。

 話し終えた2人は屋上から泊まっている部屋の前まで来ていた。
「じゃあ、おやすみなさい。…楓君」
 楓はニッコリと笑みを浮かべて依然としていびきが鳴り響く男部屋に戻っていった。
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