飛べない羽はただのゴミ

真冬

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絶望

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 俺は足を引きづりながら大樹の森を歩く。
 何がどうなっているんだ。急に目の前が真っ暗になって意識が朦朧として翼が全く動かなくなった。このままじゃ、ロベルトが追ってくるのも時間の問題だ。

 普段、飛んでいる状態だから見下ろしているような視線が多いけど地面を歩きながら見上げるような感覚はあまり慣れない。地面を見る視線を変えるだけで世界が変わって見える。
 すると、前方の茂みから草が揺れる音がした。その時、今までのレースから思い出す。大樹の森に生息する生き物を。

 茂みの中からにゅうっと顔を出したのは全長10mはあるだろうか。太さだけでも俺の横幅くらいはありそうな大蛇が姿を現した。
 確かに、この大蛇いることは何度もこのコースを飛んできたことからわかっていた。しかし、地面を這うだけの移動手段の大蛇に対して空を飛べる鳥人。普段なら有利なのは明らかに鳥人の方だ。
 しかし、今は状況が違う。地面を歩くことしかできない鳥人と地を這うことを得意とする大蛇だ。

 その大蛇は俺と目を合わせると「シャーッ!」と大きな口を開けて威嚇する。
 まずい! このままじゃ奴にやられる! 逃げないと!
 俺は動かなくなった片足を無理やり前へ踏み出しながらなんとか走っている格好になる。地面を踏んでる感覚が薄れていく。
 身体中が痛い。でも、そんなこと構ってる場合じゃない。
 大樹の森ももう少しで出れるはずだ。そこまで耐えればなんとかなるはず。

 しばらく、走って走っても大蛇もまだ追ってくる。すると大樹の森の出口が見えた。
 もう少しだ!
 後ろを振り返ると大蛇とはまだ距離がある。このままいけば逃げ切れるはずだ。
 両足が折れたっていい! 出口まで行ってフェンスをよじ登ればなんとか生き残れるはずだ。救護が来るまでそこで待とう。
 だから、走れ! 走れ! もう少し!
 もう一度、後ろを振り返る。大蛇との距離は? 

 その大蛇はまるで勝ちを確信した鬼ごっこであえて手加減していたかのように、そしてわざと逃げ回る俺の反応でも楽しんでいたかのように、急に加速して俺の背後すぐに来る。目が合う。

 は?

 思わず声が出る。

 途端、視界がぐらついた。
 真後ろにその大蛇はいて、大きな口は俺の翼に噛み付いて首を俺のことを左右に振っている。視界がぐわんぐわんグラつく。

「あああああああぁぁぁぁぁっぁあああぁぁああああ!!!」
 思わず俺は一体のどこから声が出てきたのかもわからないような叫び声をあげた。
 イタイタイイタイイタイタイイタイイタイタイイタイイタイタイイタイイタイタイイタイイタイタイイタイ。
 尋常じゃない痛み。いや痛いを通り越して何も感じなくなった。翼がもげる。翼が無くなる。背中が無くなる。
 翼を噛まれたまま大蛇は首を左右に振って俺を放り投げる。
 俺は大木に背中を叩きつけられる。
 あまりの衝撃に漫画であるみたいに目玉が飛び出すんじゃないかと思うほど体の内部にある内臓とかがあるべき場所から離れていくような感覚。

 もう無理だ動けない。
 なんでこうなった? 
 どうして…こうなった?

 ありとあらゆる疑問が脳を駆け巡り、朦朧とする意識の中、地面を這いずるように前進してようやく大樹の森の出口に到達した。
 
 大樹の森を出てその下にはもう島がない。つまり、鳥人ではない人間が暮らす地上まで真っ逆さまだ。

 もうこうするしかなった。今の体じゃ大樹の森に残ってもあの大蛇の前で生き残るのは無理だ。

 落ちていく。落ちていく。
 大樹の森が俺の視界からみるみるうちに遠ざかっていく。上空に浮かぶ島が小さくなっていく。自分の顔の前でかざす手の方が数倍大きくて島を手で掴めそうなほどだ。
 空を飛ぶ時はあんなにも爽快なのに。翼を使えない鳥人となると空に放り出されたらこんなにも無力になるのか。自分がこの大空に見下されているようなそんな感覚さえ思わせる。

 落下していく時、水色の空しかないはずなのに黒い何かが俺の視界を横切った。
 目が合う。見覚えのある顔だ。
「お前!」
 丸いメガネをしておかっぱの髪型。今朝、俺に水を渡してきた男。バス。
 ニヤニヤ不敵な笑みを浮かべて今朝配っていたペットボトルの水を持っている。キャップの先端を2本の指でゆらゆらとつまんで揺らしている。
「幻覚剤を仕込ませていただきました。一流の選手たるもの試合前に口にするものには用心しなければいけませんよ。速峰コ・ウ…君♡」
 ぶん殴ってやる!
 このクソ野郎の顔を手で鷲掴みしてやろうとするが上昇することもできない。ただただ、落下するばかりで遠ざかっていく。小さい翼でただその場に止まって飛んでいるバスがむかつく。
 視界の先で伸ばした手は空を切り何も掴むことがでいなかった。当然だ。

 俺を見下ろしながらバスはわざと申し訳なさそうに言った。
「いや、本当に申し訳ないと思ってるんですよ? うちの高校史上最速の鳥人をこんなザマにさせちゃってね。でもね、私にとってロベルトさんは特別なんでね」
 バスが背中を見せて大樹の森へ向けて上昇する。
 レースだったらこんな奴簡単に追い抜けるのに。今から行けば追いつけるのに。そんな、雑魚にさえ俺は届かない。

 次第に俺の視界に映るバスは米粒のように小さくなっていく、もう追いつくことはできない。
 ただただ地面に向かって落下していくだけ。

 なんだろうか? 心に残る虚無は。俺は死ぬのだろうか? まだ、何も成し遂げてないのに。翔颯会で優勝したかったのに。もっと、もっとこの大空を自由に飛びたかった。
 落ちていくのに空の青さは変わらない。自分がどんな状態でも空は変わらず青く広いのが逆に空に嘲笑われているみたいで、初めて空に対して恐怖を感じた。
 
 ただただ落下していくだけの空を飛ぶことのできない背中についた飾りは空気抵抗を抑えるだけのただの飾りに過ぎなかった。

 もう何分落下したか? 死を覚悟した。
 しかし、背中に衝撃を受けた時に大空がまだ俺の視界に広がっていた。背中にはクッションみたいに柔らかいものが当たった。
 俺の視界の先には都会のビル群が並んでいて、中には自分の今の視線の高さと同じビルも存在していた。忙しなく動く自動車の音が聞こえる。道ゆく人々の話し声。
 落下した衝撃で全身が痺れて動かない。けど、状況はなんとなくわかった。
 今自分がいる場所。見たことがある。ここは地上では野球を行うところ。…確か、東京ドーム。
 天井がクッションみたいになっていてなんとか命は失わずに済んだのだ。

 不幸中の幸い…と言ったらいいのだろうか? しばらく目を閉じて荒い息を整えようと深呼吸する。多分今俺は血だらけの汚ない状態なんだろうな。

 ただ、コイツが目の前に来た時にまた鼓動が速くなる。
 視界の先に金髪の前髪を上げた大きな羽を持った鳥人がいる。ロベルトだ。
「もうレースは終わったよ。速峰コウ君。俺の優勝でお前が勝手に自滅したことになってる。残念だったな」
「ふざけんな!! バスに命令したのもお前だろ?」
 身体中が痺れて動かない分、怒りを言葉に込めて今のできる限りの力でロベルトに俺は声をぶつけた。
「だったらなんだ?」
 しかし、ロベルトは俺のそんな感情なんて何も感じてないみたいに平然と見下ろす。
「ってか、お前その様子じゃあもう飛べねぇだろ?」
「いや、俺はまた飛ぶ。飛んでお前を絶対に翔颯会で抜いて本当の実力を証明してやる」
 ロベルトはわざと東京ドームの屋根の上に着地して俺を跨いで仁王立ちなる。そして、また俺を見下しながら言った。
「二度と空に戻ってくんな負け犬が。お前が勝手に事故って負けただけだろうが」
 は? ふざけんな。起き上がりたい。起き上がってコイツを一発ぶん殴ってやりたい。…けど、今はそれすらもできない。
「その背中につけてるもんはなんだ? 飛べなかったら。それ、ただのゴミ同然だよな」
 言い返したいのに意識が遠ざかっていく、俺の前でロベルトが翼を広げ空の彼方に消えてゆく。
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