世界の終わりで君と恋をしたい~あやかし夫婦の奇妙な事件簿~

黒幸

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第153話 歌姫、キレる

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 ベルの音と共にエレベーターが消失し、平衡感覚を失いかねない一面の闇に包まれた世界へと放り込まれた二人だが、それほど慌てた様子は見えなかった。

「えっと、こういうのをなんていうんだっけ?」
「ラスボスかな?」
「そうそう! それだわ。それっぽい雰囲気じゃない?」
「そうとも言うけど……降りるかい?」
「うん」

 むしろ普段とほとんど変わらない様子である。
 麗央は床かどうかも分からない黒一面の場所にユリナを立たせるとにしっかりとマントのチェックをする。

(よし。大丈夫だな)

 本人に自覚のない独占欲だったがしている方もされている方も自覚はないのにまんざらではないと満足している。
 今はそれだけで十分な未成熟な夫婦である。

「やれやれ」

 二人の声ではない別の声だった。
 まだ大人になり切れていない変声期を迎えたばかりの少年の声だ。

 声の主は闇の中にふわふわと浮いている。
 麗央が纏い、今はユリナの身を守っている外套マントと同じく、大きな外套マントを靡かせ、浮いていた。

「さあ始めよう。最終闘争ファイナルゲームの開始だよ」

 透き通るような白い肌。
 黒曜石を思わせる瞳が収められた切れ長の目と整った顔立ち。
 少年というよりも少女と言っても通る儚い美しさを醸していた。

 これから始まる『パシフィックホテル迷宮』の最後を飾るのにふさわしい神聖な雰囲気が場を支配した。
 ……などということは決してなかった。

「どうする?」
「俺がやろうか?」
「うん。私、動きにくいし」
「だろうね」

 少年の存在など目に入っていないかのような二人の振る舞いに少年が切れた。
 少年の堪忍袋の緒はどうやら細く、切れやすいものだったようだ。

「僕は大魔導スバル。さあ。さっさとかかってこい。バケツ野郎! ……とおっぱいお化け」
「は?」

 反応したのはユリナ一人だった。
 麗央に接する時の甘い声を微塵も感じさせない低く、どすの利いた声だ。
 眦も上がり、猫目がさらにきつい印象を与えるものになっている。
 ユリナにとって、自分のことを悪く言われる以上に麗央が貶められることを許せない。
 彼女の周囲だけ、明らかに温度が低下し始めていた。
 不機嫌さが減少として、現れているのだ。

 一方、バケツ野郎と言われた麗央はさして気にしていない。
 一点だけ、気になるところがあったもののそれを自由に出来るのは自分だけとの自負心が少なからず、あるのかそこもあまり気にしていない。
 自分がバケツらしきモノを被っているのは疑いようのない事実。
 ユリナの胸が目立つのも事実。
 それでいいではないかと鷹揚に考える心の広さもまた彼の長所である。

「ああ。おっぱいお化け。お前はいらん。魔法がちょっと使える程度だろう? おっぱいに栄養がいきすぎたは黙って見ているがいい」

 スバルと名乗った者が放った言葉は明らかに悪手だった。
 麗央は半歩後ろでユリナがおとなしくしていることをかえって不気味に感じている。
 明らかに肌で感じられるほどに温度も下がっていた。

(リーナ、切れてるよな、これ)

 麗央はぷちっと音がしなかっただけで、ユリナが既に切れていると確信した。
 おとなしくしているように見えるだけだ。
 俯き加減でぶつぶつと何かを呟いている。
 初めのうちは明瞭な言葉だった。
 「なんですって」「誰が役立たずですって」と聞き取れたからだ。
 ところが次第に不明瞭な言語に変わっていく。
 明らかにまずい兆候だった。

「ᛟᛋᛟᚱᛖ ᛁᚴᚪᚱᛖ ᛗᚪᛞᛟᛖ」

 ユリナは不明瞭な言語でメロディを口ずさんでいる。
 麗央は彼女の怒りが本気なのを知って、青褪めた。

「まずい」

 初めてライブを行って以来、ユリナは力のコントロールに注力していた。
 最大出力フルパワーで唄を歌えば、意識を喪失する。
 そうならないように力を抑えることしか、現状での解決法がなかったからだ。

 そのユリナが怒りのあまり、力をコントロールせずに唄を歌っている。
 そうすれば、どうなるのかは明らかだった。
 風もないのに巻き上がっていた特徴的なツインテールが急に力を失ったのと同時にユリナ自身も糸が切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ちた。

「ふぅ。間に合ったか」

 反射的に麗央は体が動いていた。
 ユリナの体が完全に倒れる前に腕で支え、そっと抱き寄せた。
 彼にとって目の前に敵がいようと関係なかった。
 それ以上にユリナのことが心配で堪らなかったのだ。
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