153 / 159
第152話 濡れた歌姫、くしゅん
しおりを挟む
地上から高層の十一階を目掛け、両手持ちの大槌を投げつけ、見事に目標を破壊した張本人は手元に戻ってくるのを待っていた。
「まるで道化だな」
ふんと鼻を鳴らし、空を切り物凄い勢いで戻ってきた大槌を何の苦もなく受け止めたのは大柄な男である。
どことなく麗央に似た顔立ちのブロンドの男だった。
大柄な麗央よりも上背があり、鍛え抜かれた筋肉質の肉体は非常に美しい。
大理石の像もかくやという造形美の極致と言っても過言ではなかった。
「さて。後は頼んだぞ」
大槌を肩に担ぐと男は『パシフィックホテル迷宮』に背を向け、何処かへと去った。
言葉を交わす必要はなかった。
かつて全力で激突したことのある相手だった。
勇者と呼ばれていた麗央がまだ『名もなき島』にいた頃、遠く離れた地から単身、島へと渡ってきた男がいた。
目的は勇者と呼ばれる子供の力量を知る為という名目で戦いに来たのだ。
男の力は絶大な物で発する威圧感に晒され、島の魔物は怖気ずくほどだった。
まともに戦える者は片手の指で足りる数しかいない。
勇者と呼ばれる存在ではあるもののまだ子供に過ぎない麗央。
麗央の兄貴分であり、ネズミの獣人で魔法使いでもあるイソロー。
そして、麗央の幼馴染であり、押しかけ女房のように島で過ごしていたユリナ。
この三人だけだった。
アスガルドの軍神、雷神として知られる男の力はあまりに強大だった。
当時の麗央とユリナは己の力をまだ自由にコントロールしているとは言い難く、ともすれば暴走しかねない危険な状態にあった。
それでもどうにか辛くも力を認めさせることに成功した。
以来、男とは会うことすらなかったのである。
その男が、影から手助けしてくれたことに麗央は深く感謝した。
ユリナを庇いながら、戦ったとしても苦戦はしなかっただろうと彼は考えている。
しかし、それでも男の気持ちが何よりも嬉しかった。
それがなぜだかは分からないが、自分とユリナの存在を認めてくれたようで嬉しかったのだ。
「あれ?」
「お目覚めかい?」
十一階のスカイバー『マーブル』は半壊しているが、エレベーターホールとエレベーターは無事だった。
麗央は僅かなアルコール成分を吸っただけでぐったりしたユリナを横抱きに抱え、ホールへと退避したのだ。
ぐったりするまでの間に「レ~オ~、そんなの脱いじゃおう♪」とバケツヘルメットを無理矢理、脱がそうとしてくるユリナを相手に麗央は手を焼いた。
力で押さえることも出来ず、悩む麗央と裏腹にコメント欄は沸く。
ほんのりと桜色に染まったユリナが押し倒さんばかりの勢いで迫って来るので沸かない道理もないのだ。
もっともアルコールを摂取した彼女の稼働限界は非常に短く、ボーナスタイムはあっという間に終わったのだが……。
「くしゅん」
「大丈夫?」
可愛らしいくしゃみをするユリナを麗央は気遣った。
だが、実は原因になったのは彼の善意からの行動である。
ぐったりしたユリナを心配した麗央はよせばいいのに水の魔法を使った。
剣士として、戦士としての技量は高い麗央だが、魔法の才能は高いと言えない。
雷の魔法に関する適性は高く、自在に使いこなせているもののそれ以外の魔法はてんで駄目なのだ。
「やってしまった」と思わず心の声が呟きとして漏れてしまったのも仕方ない。
麗央は善意で早く目覚めさせようと顔がほんのりと濡れる程度に水滴を落とすつもりだった。
しかし、うまくいかない。
思った以上に大量の水が出てしまった。
頭から完全に水を被った形になったユリナは髪から身に着けているレオタードまでぐっしょりと濡れた。
それがまずかった。
元はワンピースドレスだった白のレオタード。
あまり厚い生地ではない。
(外套があってよかった)
麗央は改めて、そう思っている。
薄いピンク色の下着がはっきりと見えた。
大判の花柄があしらわれた可愛らしいデザインの下着の模様までもが分かるほどに透けている。
危ないの一語である。
胸元のリボンが解けているので危なさと破壊力が増していた。
マントで包んでおいて正解だったと合点する麗央は気付いていない。
麗央視点のカメラがあるなどと思ってもいない彼は、食い入るような舐め回すカメラアングルでユリナが映されているとは思ってもいないのだ。
思わぬ衝撃的な光景に投げ銭の額が加速化しているが、今の麗央にはコメント欄に気を配る余裕はなかった。
「ねぇ、レオ。どうして、私は濡れてるのかなぁ? ねぇ、ねぇ、どうしてぇ?」
「それはえっと。ちょっと加減を失敗してさ」
麗央は紫水晶の色をした大きめの瞳に射抜かれ、どきりとした。
彼女の瞳は感情の変化で色合いが変化する。
血のように赤く染まった紅玉の如き色であれば、怒りを感じている。
アメジストのように透明感のある薄い紫色であれば、何らかの興奮を覚えている時に他ならない。
三白眼気味にじとっとした視線を向けるアメジスト色の瞳が微かに揺れていた。
(まぁ、レオのことだから、私を心配してこうなっただけなんでしょうけど……。でも……。こんなにしっかりと包まれてるなんて、もしかして、私ってかなり意識されてるんじゃない?)
ユリナはまだ完全にアルコールが抜けていないのか、それなりに不謹慎なことを想像した結果、瞳がアメジストのような輝きを放っていたのだ。
もはやレイと呼ぶことすら、忘れているようである。
「まぁ、いいわ。それで次の行き先はどこなの?」
そう言いながらもユリナは既に帰宅してからの算段を立て、心の中で舌なめずりしている。
どう麗央を料理しようかと考えるだけで楽しみで仕方ないのだ。
「それがさ。四階みたいだね」
「え? どういうこと?」
「そういうことだよ」
「ふ、ふぅ~ん。そういうことなのね。分かったわ」
先程までどうやって麗央と遊ぼうかと企んでいたポンコツモードのユリナは分かった振りをしただけである。
実は何も分かっていなかった。
麗央と横抱きに抱えられたままのユリナがエレベーターに乗った瞬間、各フロアの階数を表していた数字が歪み、溶け合う。
そして、現れたのは数字ではなく、『死』という漢字だった。
『死』の表示灯が仄かな光を放ち、到着を知らせるベルの音が鳴る。
最終フロアのスタートだった。
「まるで道化だな」
ふんと鼻を鳴らし、空を切り物凄い勢いで戻ってきた大槌を何の苦もなく受け止めたのは大柄な男である。
どことなく麗央に似た顔立ちのブロンドの男だった。
大柄な麗央よりも上背があり、鍛え抜かれた筋肉質の肉体は非常に美しい。
大理石の像もかくやという造形美の極致と言っても過言ではなかった。
「さて。後は頼んだぞ」
大槌を肩に担ぐと男は『パシフィックホテル迷宮』に背を向け、何処かへと去った。
言葉を交わす必要はなかった。
かつて全力で激突したことのある相手だった。
勇者と呼ばれていた麗央がまだ『名もなき島』にいた頃、遠く離れた地から単身、島へと渡ってきた男がいた。
目的は勇者と呼ばれる子供の力量を知る為という名目で戦いに来たのだ。
男の力は絶大な物で発する威圧感に晒され、島の魔物は怖気ずくほどだった。
まともに戦える者は片手の指で足りる数しかいない。
勇者と呼ばれる存在ではあるもののまだ子供に過ぎない麗央。
麗央の兄貴分であり、ネズミの獣人で魔法使いでもあるイソロー。
そして、麗央の幼馴染であり、押しかけ女房のように島で過ごしていたユリナ。
この三人だけだった。
アスガルドの軍神、雷神として知られる男の力はあまりに強大だった。
当時の麗央とユリナは己の力をまだ自由にコントロールしているとは言い難く、ともすれば暴走しかねない危険な状態にあった。
それでもどうにか辛くも力を認めさせることに成功した。
以来、男とは会うことすらなかったのである。
その男が、影から手助けしてくれたことに麗央は深く感謝した。
ユリナを庇いながら、戦ったとしても苦戦はしなかっただろうと彼は考えている。
しかし、それでも男の気持ちが何よりも嬉しかった。
それがなぜだかは分からないが、自分とユリナの存在を認めてくれたようで嬉しかったのだ。
「あれ?」
「お目覚めかい?」
十一階のスカイバー『マーブル』は半壊しているが、エレベーターホールとエレベーターは無事だった。
麗央は僅かなアルコール成分を吸っただけでぐったりしたユリナを横抱きに抱え、ホールへと退避したのだ。
ぐったりするまでの間に「レ~オ~、そんなの脱いじゃおう♪」とバケツヘルメットを無理矢理、脱がそうとしてくるユリナを相手に麗央は手を焼いた。
力で押さえることも出来ず、悩む麗央と裏腹にコメント欄は沸く。
ほんのりと桜色に染まったユリナが押し倒さんばかりの勢いで迫って来るので沸かない道理もないのだ。
もっともアルコールを摂取した彼女の稼働限界は非常に短く、ボーナスタイムはあっという間に終わったのだが……。
「くしゅん」
「大丈夫?」
可愛らしいくしゃみをするユリナを麗央は気遣った。
だが、実は原因になったのは彼の善意からの行動である。
ぐったりしたユリナを心配した麗央はよせばいいのに水の魔法を使った。
剣士として、戦士としての技量は高い麗央だが、魔法の才能は高いと言えない。
雷の魔法に関する適性は高く、自在に使いこなせているもののそれ以外の魔法はてんで駄目なのだ。
「やってしまった」と思わず心の声が呟きとして漏れてしまったのも仕方ない。
麗央は善意で早く目覚めさせようと顔がほんのりと濡れる程度に水滴を落とすつもりだった。
しかし、うまくいかない。
思った以上に大量の水が出てしまった。
頭から完全に水を被った形になったユリナは髪から身に着けているレオタードまでぐっしょりと濡れた。
それがまずかった。
元はワンピースドレスだった白のレオタード。
あまり厚い生地ではない。
(外套があってよかった)
麗央は改めて、そう思っている。
薄いピンク色の下着がはっきりと見えた。
大判の花柄があしらわれた可愛らしいデザインの下着の模様までもが分かるほどに透けている。
危ないの一語である。
胸元のリボンが解けているので危なさと破壊力が増していた。
マントで包んでおいて正解だったと合点する麗央は気付いていない。
麗央視点のカメラがあるなどと思ってもいない彼は、食い入るような舐め回すカメラアングルでユリナが映されているとは思ってもいないのだ。
思わぬ衝撃的な光景に投げ銭の額が加速化しているが、今の麗央にはコメント欄に気を配る余裕はなかった。
「ねぇ、レオ。どうして、私は濡れてるのかなぁ? ねぇ、ねぇ、どうしてぇ?」
「それはえっと。ちょっと加減を失敗してさ」
麗央は紫水晶の色をした大きめの瞳に射抜かれ、どきりとした。
彼女の瞳は感情の変化で色合いが変化する。
血のように赤く染まった紅玉の如き色であれば、怒りを感じている。
アメジストのように透明感のある薄い紫色であれば、何らかの興奮を覚えている時に他ならない。
三白眼気味にじとっとした視線を向けるアメジスト色の瞳が微かに揺れていた。
(まぁ、レオのことだから、私を心配してこうなっただけなんでしょうけど……。でも……。こんなにしっかりと包まれてるなんて、もしかして、私ってかなり意識されてるんじゃない?)
ユリナはまだ完全にアルコールが抜けていないのか、それなりに不謹慎なことを想像した結果、瞳がアメジストのような輝きを放っていたのだ。
もはやレイと呼ぶことすら、忘れているようである。
「まぁ、いいわ。それで次の行き先はどこなの?」
そう言いながらもユリナは既に帰宅してからの算段を立て、心の中で舌なめずりしている。
どう麗央を料理しようかと考えるだけで楽しみで仕方ないのだ。
「それがさ。四階みたいだね」
「え? どういうこと?」
「そういうことだよ」
「ふ、ふぅ~ん。そういうことなのね。分かったわ」
先程までどうやって麗央と遊ぼうかと企んでいたポンコツモードのユリナは分かった振りをしただけである。
実は何も分かっていなかった。
麗央と横抱きに抱えられたままのユリナがエレベーターに乗った瞬間、各フロアの階数を表していた数字が歪み、溶け合う。
そして、現れたのは数字ではなく、『死』という漢字だった。
『死』の表示灯が仄かな光を放ち、到着を知らせるベルの音が鳴る。
最終フロアのスタートだった。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる