世界の終わりで君と恋をしたい~あやかし夫婦の奇妙な事件簿~

黒幸

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第152話 濡れた歌姫、くしゅん

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 地上から高層の十一階を目掛け、両手持ちの大槌ミョルニルを投げつけ、見事にを破壊した張本人は手元に戻ってくるのを待っていた。

「まるで道化だな」

 ふんと鼻を鳴らし、空を切り物凄い勢いで戻ってきた大槌を何の苦もなく受け止めたのは大柄な男である。
 どことなく麗央に似た顔立ちのブロンドの男だった。
 大柄な麗央よりも上背があり、鍛え抜かれた筋肉質の肉体は非常に美しい。
 大理石の像もかくやという造形美の極致と言っても過言ではなかった。

「さて。後は頼んだぞ」

 大槌を肩に担ぐと男は『パシフィックホテル迷宮』に背を向け、何処かへと去った。



 言葉を交わす必要はなかった。
 かつて全力で激突したことのある相手だった。
 勇者と呼ばれていた麗央がまだ『名もなき島』にいた頃、遠く離れた地から単身、島へと渡ってきた男がいた。
 目的は勇者と呼ばれる子供の力量を知る為という名目で戦いに来たのだ。

 男の力は絶大な物で発する威圧感に晒され、島の魔物は怖気ずくほどだった。
 まともに戦える者は片手の指で足りる数しかいない。
 勇者と呼ばれる存在ではあるもののまだ子供に過ぎない麗央。
 麗央の兄貴分であり、ネズミの獣人で魔法使いでもあるイソロー。
 そして、麗央の幼馴染であり、押しかけ女房のように島で過ごしていたユリナ。
 この三人だけだった。

 アスガルドの軍神、雷神として知られる男の力はあまりに強大だった。
 当時の麗央とユリナは己の力をまだ自由にコントロールしているとは言い難く、ともすれば暴走しかねない危険な状態にあった。
 それでもどうにか辛くも力を認めさせることに成功した。
 以来、男とは会うことすらなかったのである。

 その男が、影から手助けしてくれたことに麗央は深く感謝した。
 ユリナを庇いながら、戦ったとしても苦戦はしなかっただろうと彼は考えている。

 しかし、それでも男の気持ちが何よりも嬉しかった。
 それがなぜだかは分からないが、自分とユリナの存在を認めてくれたようで嬉しかったのだ。

「あれ?」
「お目覚めかい?」

 十一階のスカイバー『マーブル』は半壊しているが、エレベーターホールとエレベーターは無事だった。
 麗央は僅かなアルコール成分を吸っただけでぐったりしたユリナを横抱きに抱え、ホールへと退避したのだ。

 ぐったりするまでの間に「レ~オ~、そんなの脱いじゃおう♪」とバケツヘルメットを無理矢理、脱がそうとしてくるユリナを相手に麗央は手を焼いた。
 力で押さえることも出来ず、悩む麗央と裏腹にコメント欄は沸く。
 ほんのりと桜色に染まったユリナが押し倒さんばかりの勢いで迫って来るので沸かない道理もないのだ。
 もっともアルコールを摂取した彼女の稼働限界は非常に短く、ボーナスタイムはあっという間に終わったのだが……。

「くしゅん」
「大丈夫?」

 可愛らしいくしゃみをするユリナを麗央は気遣った。
 だが、実は原因になったのは彼の善意からの行動である。

 ぐったりしたユリナを心配した麗央はよせばいいのにを使った。
 剣士として、戦士としての技量は高い麗央だが、魔法の才能は高いと言えない。
 雷の魔法に関する適性は高く、自在に使いこなせているもののそれ以外の魔法はてんで駄目なのだ。

 「やってしまった」と思わず心の声が呟きとして漏れてしまったのも仕方ない。
 麗央は善意で早く目覚めさせようと顔がほんのりと濡れる程度に水滴を落とすつもりだった。
 しかし、うまくいかない。
 思った以上に大量の水が出てしまった。
 頭から完全に水を被った形になったユリナは髪から身に着けているレオタードまでぐっしょりと濡れた。
 それがまずかった。
 元はワンピースドレスだった白のレオタード。
 あまり厚い生地ではない。

外套マントがあってよかった)

 麗央は改めて、そう思っている。
 薄いピンク色の下着がはっきりと見えた。
 大判の花柄があしらわれた可愛らしいデザインの下着の模様までもが分かるほどに透けている。

 危ないの一語である。
 胸元のリボンが解けているので危なさと破壊力が増していた。
 マントで包んでおいて正解だったと合点する麗央は気付いていない。
 麗央視点のカメラがあるなどと思ってもいない彼は、食い入るような舐め回すカメラアングルでユリナが映されているとは思ってもいないのだ。
 思わぬ衝撃的な光景に投げ銭の額が加速化しているが、今の麗央にはコメント欄に気を配る余裕はなかった。

「ねぇ、。どうして、私は濡れてるのかなぁ? ねぇ、ねぇ、どうしてぇ?」
「それはえっと。ちょっと加減を失敗してさ」

 麗央は紫水晶アメジストの色をした大きめの瞳に射抜かれ、どきりとした。
 彼女の瞳は感情の変化で色合いが変化する。
 血のように赤く染まった紅玉ルビーの如き色であれば、怒りを感じている。
 アメジストのように透明感のある薄い紫色であれば、何らかの興奮を覚えている時に他ならない。
 三白眼気味にじとっとした視線を向けるアメジスト色の瞳が微かに揺れていた。

(まぁ、レオのことだから、私を心配してこうなっただけなんでしょうけど……。でも……。こんなにしっかりと包まれてるなんて、もしかして、私ってかなり意識されてるんじゃない?)

 ユリナはまだ完全にアルコールが抜けていないのか、それなりに不謹慎なことを想像した結果、瞳がアメジストのような輝きを放っていたのだ。
 もはやレイと呼ぶことすら、忘れているようである。

「まぁ、いいわ。それで次の行き先はどこなの?」

 そう言いながらもユリナは既に帰宅してからの算段を立て、心の中で舌なめずりしている。
 どう麗央を料理しようかと考えるだけで楽しみで仕方ないのだ。

「それがさ。四階みたいだね」
「え? どういうこと?」
「そういうことだよ」
「ふ、ふぅ~ん。そういうことなのね。分かったわ」

 先程までどうやって麗央と遊ぼうかと企んでいたポンコツモードのユリナは分かった振りをしただけである。
 実は何も分かっていなかった。

 麗央と横抱きに抱えられたままのユリナがエレベーターに乗った瞬間、各フロアの階数を表していた数字が歪み、溶け合う。
 そして、現れたのは数字ではなく、『死』という漢字だった。
 『死』の表示灯が仄かな光を放ち、到着を知らせるベルの音が鳴る。
 最終フロアのスタートだった。
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