世界の終わりで君と恋をしたい~あやかし夫婦の奇妙な事件簿~

黒幸

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第148話 歌姫の鎮魂歌

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 エレベーターが次に指し示した行先は五階だった。
 四階ではなく、五階である。

「何で四階じゃないの?」

 三階の次は当然のように四階だと考えていたユリナは合点がいかず、麗央の腕にしがみついたまま、首を傾げる。

「ああ、そうか。そうだよね」

 不思議そうにしているユリナの様子にはたと気付いた麗央は、コメント欄に目を通すようにと指でジェスチャーした。

(ん? どういうこと?)

 疑問に思いながらもユリナもプロの『歌姫』である。
 伊達にYoTubeで配信主をやっている訳ではない。
 なぜ麗央が口頭で教えてくれなかったのかを察したユリナはコメント欄の書き込みに目を通し、愕然とした。

 日本では『四』という数字を『死』を連想させるとして気にする人が少なからずいる。
 施設によっては『四』と『苦』を連想させる『九』を敢えて使わない例がある。
 そのようなことが親切に書き込まれていた。

 ユリナの見た目には東欧スラブ系民族の特徴が色濃く出ている。
 その為、コメント欄でも日本在住の外国人との認識が強いが、実際は違う。
 日本どころか、この世界の習俗や常識とはやや異なる文化圏の世界で長く生きてきたのが真実だった。

「も、もちろん、知ってたんだから」

 しかし、文化の違いをまざまざと見せつけられようとユリナの負けず嫌いは相当なものである。
 頬を赤らめ、口を尖らせたユリナの姿にコメント欄は好意的だ。
 「リリーちゃんかわいい」と言われ、本人もまんざらではない。
 「そうよね。私ってかわいいし」とそのまま正直に受け取る妙な素直さも持っている。
 ユリナがアンバランスと言われる所以である。

 コメント欄にはさらに親切な書き込みが続いた。
 このホテルの五階から九階までが客室だった事実が明らかになった。
 三階まではパブリックエリアだったが、ここから暫くはプライベートエリアが続くのだ。

「今度は何が待っているのかしら?」
は出来ないと思うよ」

 ここまでをされていないのに目を輝かせるユリナとは対照的にバイザーから垣間見える麗央の目はどこか疲れを感じさせるものだ。
 もっとも疲れの原因は敵生体ではなく、腕にしがみつく彼の愛妻なのだが……。

「なるほど……」
「これはちょっと面倒そうだね」

 エレベーターを降りた二人の前に広がったのがこれまた、悪夢そのものと言っていい光景だった。
 恨みがましい虚ろな目をしたが多数、宙に浮いていた。
 怨嗟の呻き声を上げながら、飛び交う死霊の群れである。
 半透明の頭部は正しく、人間の頭そのものだったが、スケール感が若干おかしい。
 人間の物にしては大きすぎるのだ。
 口を開けば、小さな子供を一飲みにできる大きな生首だった。

「そうかしら? 私を誰だと思ってるの?」

 ユリナは麗央の腕から身を離すと自信たっぷりに言い放つ。
 左手は腰に副え、右手で勢いよく歌舞伎の見栄を切る仕草をした。
 あまりの勢いの良さに心無し大きなメロンが揺れるので麗央視点が相当な盛り上がりを見せていることをユリナは知らない。

「私は『歌姫』なの。お姫様。分かるでしょ?」
「うん」

 ユリナはそう言うとうっとりとした表情で胸の前で手を組んだ。
 形の良いメロンが少し潰れて、揺れた。

(リボンがやばいなあ)

 麗央は生唾をごくりと飲み込む。
 麗央視点の視聴者も彼と同じ思いだった。

「だから、歌うわ」
「うん? え?」

 言うが早いか、ユリナはいつの間にやら手にしていた漆黒の魔法杖ユグドラシルの穂先を床に突き立てた。
 不意打ちを喰らったように見えるが、彼女の顔と胸ばかりを見ていた麗央と視聴者が悪いのである。

ᛏᛟᚴᛟᛋᛁᛖᚾᛟᚪᚾᛋᛟᚴᚢᚥᛟᚪᛏᚪᛖᚤᛟᚢ永久の安息を与えよう

 ユリナの唄が始まる。
 三階で麗央の為に願いを込めて囁いていたのと同じ難解な言語だった。

ᛏᚪᛖᛣᚪᚱᚢᚺᛁᚴᚪᚱᛁᛞᛖᛏᛖᚱᚪᛋᛟᚢ絶えざる光で照らそう

 麗央はただ聞き惚れた。
 ユリナの醸し出す神秘的な雰囲気に見惚れるのではなく、聞き惚れたのである。

ᛟᛋᛟᚱᛖᚱᚢᚴᛟᛏᛟᚾᚪᛋᛁ恐れることなし

 視聴者もまた同じだった。
 ユリナが何を謳っているのかは誰にも分からない。
 その発音を理解出来る者などいようはずもない。
 しかし、コメント欄が停止するほどに皆が聞き惚れたのである。

ᛏᛟᛒᛁᚱᚪᚺᚪᛋᛟᚴᛟᚾᛁᚪᚱᚪᚾ扉はそこにあらん

 怨嗟の声を上げ、大きな口を開き威嚇していた死霊の群れも異変を来す。
 半透明だった彼らの体が微かな黄金色の燐光を放ち始めたのだ。
 この世への恨みからか、あれほどに醜悪な面構えをしていた彼らの表情が和らいでいった。

 唄が終わるとユリナは再び、ユグドラシルをその手に握り、その穂先を天に掲げるような仕草をした。
 穂先に嵌め込まれた大きな魔石がひときわ大きな輝きを放った。

 あまりの眩さに見ていた者は視界を白光で満たされ、ホワイトアウト現象に似た症状が発生した。

「終わったわ♪」

 終わりを告げる『歌姫』の声はあまりにもあっけらかんとした無邪気なものだった。
 視聴者だけではなく、麗央までもが毒気を抜かれたように感じながら、未だにちかちかする目を凝らすと目前の状況が一変していた。

 明るさとは無縁の陰鬱としたおどろおどろしい空気に包まれていたエレベーターホール前が様変わりしたとしか言いようがない変化を遂げていたのだ。
 照明が普通に灯り、整備の行き届いたホテルの客室フロアにしか見えない光景だった。
 怨嗟の声を上げ、宙を舞っていた死霊の群れがいた痕跡すらない。

「あのリリー。これは?」
ぽいでしょ?」
「あ……うん。そうだね」

 麗央は思った。
 これは歌姫やお姫様ではない。
 聖女のではないのかと……。
 しかし、ユリナは仕事をやり切った感を全身から発している。
 ちらちらと麗央の表情を窺っていることから、俗にいう褒めてもらいたいオーラも発している。

 こういう時、何も言わずにそっと抱き締め、頭を撫でるのが良策である。
 そんな結論に麗央が達するまで随分とかかったのは言うまでもない。
 いわゆる男所帯で育った麗央が、恋する乙女の複雑な心を解するのがどれだけ至難の業だったのか。
 元来、麗央は素直な質なのも災いした。
 「今の凄いな」と率直な感想を目を輝かせながら、真っ正直に言ってしまうのだ。
 当然、ユリナの反応は芳しくない。
 「そういうことじゃないんだけどなぁ」とどこか瞳の光を失った虚ろな表情をするのでさすがの麗央も学んだのである。

 最善の策は強く抱き締め、深い口付けを交わすこと。
 ユリナが満足するまで大人のキスを続けるのがベストだったが、バケツのせいでそれは出来そうにない。
 しかし、腕の中でうっとりした表情を隠そうともせず、身を任せるユリナを見ると麗央は案外、これもいいものだと思い始めている。

 コメント欄も滅多に見られない『歌姫』の表情に沸いた。
 視聴者は『歌姫リリー』の歌唱力とルックスを高く評価している。
 その一方で彼女の『歌姫』としての笑顔や表情にどこか作り物じみたところを感じる者もいたのである。
 そのような者の心まで捉える表情だったのだ。

 しかし、ユリナは気付いていない。
 彼女は麗央のよしよしで軽く、違う世界に旅立っている。
 恐ろしい勢いで投げ銭が飛び交っていようとは全く、知らなかった。
 『歌姫』の突発的なダンジョンチャレンジライブはここまで、彼女の予想を遥かに超える驚きの収益を上げていた。
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