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第74話 備忘録CaseVI・神に殺されないモノ④絶対零度の歌姫
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「レオくん。ちょっと遅いんじゃない?」
盛大な土煙が上がっただけでユリナは無事だった。
ただし、機嫌がいいとはとても言えない表情で庇うように立つ麗央へと恨みがましい視線を向ける。
ユリナが麗央のことをくん付けで呼ぶのは大別すると二種類だ。
年上であることからお姉さん風を吹かせ、麗央を揶揄ってみたい場合と頗る機嫌が悪いか、虫の居所が悪く、御機嫌斜めの時である。
今回は後者の御機嫌斜めに該当した。
ツインテールの髪がやや重力に逆らって、ゆらゆらと風もないのに揺れ動いているのは危険信号と言っても良かった。
「ねぇ、レオくん。少しくらい、アレの気を逸らせて時間を作れる?」
「それだけでいいのかい?」
「ええ。それだけで十分だわ。お兄様! 準備はよろしくって?」
イリスとテラは予想よりも早い速度で連携が取れていた。
ユリナの歌がある。
よもや自分の出番はないだろうと考えたイザークは堂々とこの機会を利用し、惰眠を貪るつもりだった。
そこに突然の指名である。
イザークの辞書に拒否権という名の単語は残念ながら、掲載されていない。
「わ、分かったのである。よろしくてなのである!」
よく訓練された軍人の如く、イザークはすくっと立ち上がった。
イエス、マムと言わんばかりの勢いは先程まで惰眠を貪ろうとしていた駄犬とは思えない。
「全く、もう。折角、気分良く歌っていたのに……私のギャラはとても高いんだからねっ」
ユリナの猫を思わせる目にこれ以上は無い怒りの感情の色が揺らめく。
触らぬ神に祟りなしと身をもって、知っている男二人は号令一下、それぞれに与えられた仕事を果たすべく、きびきびと動き始めた。
麗央はユリナに言われた通り、時間を稼ぐことだけを考えた戦いを仕掛ける。
ギガースの気を逸らすのが目的であり、倒すのが目的ではない。
その為、愛刀を抜くことも無ければ、その手に掴むことすらしていない。
ギガースの鈍重そうな見た目の割に意外と機敏に動きながら、次々と繰り出される長い腕や触腕を軽くいなし、時には相手の力をそのまま利用し、受け流すように軽く投げ飛ばす。
しかし、決して強くダメージが入るような力の入れ方はしなかった。
イザークは空気中に漂うマナの欠片をその身に取り入れるべく、全神経を集中させている。
銀色をした毛が逆立ち、イザークの周囲を薄い膜のような物が覆っていく。
ばちばちと軽く火花が散り、漆黒の闇色をした膜が薄っすらとイザークを包んだかと思うとふっと消えた。
黄金の色に輝く、イザークの瞳が一層、その輝きを強くする。
準備は万端だった。
「レーオー! ありがとぉー」
ユリナは時間稼ぎに徹してくれた愛しい男に精一杯の愛情を込め、流し目を送ると手にしていたマイクスタンドの姿を俄かに変じる。
全体が夜の闇を纏ったように黒一色に染め上げられていた。
穂と柄全てが闇の色を纏っており、ところどころにあしらわれた美麗な宝石が息づくかの如く、明滅する。
穂先は二股に分かれており、刺々しくも禍々しい意匠が施されていると評するのが最も適した外観をしていた。
二股に分かれた槍の穂先というよりも古代魚アリゲーター・ガーの口吻を思わせる捕食するものとしか、言いようがない外観である。
ユリナは本来の姿を現した魔法杖ユグドラシルを両手に持ち替えると石突を地に突き刺し、鈴を転がすような声で朗々と詠唱を始めた。
それは全てのモノに等しく、安息を与える恐るべき呪法・絶対零度の詠唱だ。
「永遠に眠りし、凍てつくもの。全てを凍らせし、極致に至るもの。絶対にして究極なる零度の真理に至りて、我ここに誓わん。闇夜の翳りを支配せし女王の名において、命ずる。永劫に時までも凍てつかせし、完全なる凍気よ。全てを凍てつかせよ」
ユリナの紅玉色の瞳が輝きを増し、その瞳孔が蛇を思わせる縦長のものへと変じた瞬間、ユグドラシルを起点に大地が、空気が、全てが文字通り凍り付いていく。
彼女の前だけが一瞬できれいな銀世界に転じていた。
何も動くものが存在しない死の世界である。
ギガースも大きな氷像と化している。
人間であれば、恐らく何が起きたのかと恐怖に慄いた表情で固まっているところだが、ギガースの頭にはそのような感情を表現出来る思考はなかったのだろう。
苦悶の表情を浮かべるでもなく、憤怒の表情を浮かべる訳でもない。
何の感情の色も移さない無機質な目があらぬ方向をみているだけである。
「ちょっとやりすぎじゃないかな」
「そう? これくらいしておかないとダメでしょ」
麗央はいつの間にやら、ユリナの隣にしれっと立っていた。
ユリナもそれが当然と考えているのか、特に動揺している気配はない。
このあやかし夫婦は必ずしも言葉を必要ない。
ユリナが絶対零度の詠唱が終わるのとほぼ同時に麗央もまた、ギガースから一気に身を離していたのだ。
「そういうものかな」
「そういうものなのよ。後はお兄様に任せておきましょ」
「分かった」
「うん。それでよろしい」
そう言うとユリナは黙って、右手を前に差し出す。
麗央は恭しく、その手を取ると軽く口付けを落とし、ユリナを横抱きに抱える。
先程まで見せていた彼女の怒りの感情は既にどこかへ消え失せたらしい。
甘えるようにしっかりと抱き着いてくるユリナを見て、麗央もようやく胸を撫で下ろすのだった。
滅びの爆裂咆哮。
体内に蓄えたエネルギーを一気に解き放ち、進路上にある物質を原子分解させ破壊するフェンリル最大にして、究極の必殺技である。
イザークはこの技で過去、異母弟にあたるナリを暫く、再起不能に追い込んでいる。
「お待ちかね。これが吾輩のフルピャワーなのである」
大気中のマナを取り込んだイザークは円らな瞳をやらしく歪めると耳元まで裂けた口を開いた。
何とも自信に満ちた宣言だった。
しかし、その宣言は絶対零度で凍り付いたギガースを滅びの爆裂咆哮で完全に破壊する為ではない。
全身の毛を逆立て、漲る気を隠さず、イザークが行ったのは全く違うことだった。
「げぷぅ。御馳走様なのである」
ユリナによって、氷像と化したギガースとイリスとテラの連携攻撃の前に活動を停止したギガース。
イザークは両者をぺろりと平らげたのである。
強力なエナジーを取り込んでいたギガースを喰らったイザークの体に異変が生じ、急成長を遂げた。
もはやその体はスピッツにはとても見えない。
大型犬であるサモエドとよく似た姿になっていた。
盛大な土煙が上がっただけでユリナは無事だった。
ただし、機嫌がいいとはとても言えない表情で庇うように立つ麗央へと恨みがましい視線を向ける。
ユリナが麗央のことをくん付けで呼ぶのは大別すると二種類だ。
年上であることからお姉さん風を吹かせ、麗央を揶揄ってみたい場合と頗る機嫌が悪いか、虫の居所が悪く、御機嫌斜めの時である。
今回は後者の御機嫌斜めに該当した。
ツインテールの髪がやや重力に逆らって、ゆらゆらと風もないのに揺れ動いているのは危険信号と言っても良かった。
「ねぇ、レオくん。少しくらい、アレの気を逸らせて時間を作れる?」
「それだけでいいのかい?」
「ええ。それだけで十分だわ。お兄様! 準備はよろしくって?」
イリスとテラは予想よりも早い速度で連携が取れていた。
ユリナの歌がある。
よもや自分の出番はないだろうと考えたイザークは堂々とこの機会を利用し、惰眠を貪るつもりだった。
そこに突然の指名である。
イザークの辞書に拒否権という名の単語は残念ながら、掲載されていない。
「わ、分かったのである。よろしくてなのである!」
よく訓練された軍人の如く、イザークはすくっと立ち上がった。
イエス、マムと言わんばかりの勢いは先程まで惰眠を貪ろうとしていた駄犬とは思えない。
「全く、もう。折角、気分良く歌っていたのに……私のギャラはとても高いんだからねっ」
ユリナの猫を思わせる目にこれ以上は無い怒りの感情の色が揺らめく。
触らぬ神に祟りなしと身をもって、知っている男二人は号令一下、それぞれに与えられた仕事を果たすべく、きびきびと動き始めた。
麗央はユリナに言われた通り、時間を稼ぐことだけを考えた戦いを仕掛ける。
ギガースの気を逸らすのが目的であり、倒すのが目的ではない。
その為、愛刀を抜くことも無ければ、その手に掴むことすらしていない。
ギガースの鈍重そうな見た目の割に意外と機敏に動きながら、次々と繰り出される長い腕や触腕を軽くいなし、時には相手の力をそのまま利用し、受け流すように軽く投げ飛ばす。
しかし、決して強くダメージが入るような力の入れ方はしなかった。
イザークは空気中に漂うマナの欠片をその身に取り入れるべく、全神経を集中させている。
銀色をした毛が逆立ち、イザークの周囲を薄い膜のような物が覆っていく。
ばちばちと軽く火花が散り、漆黒の闇色をした膜が薄っすらとイザークを包んだかと思うとふっと消えた。
黄金の色に輝く、イザークの瞳が一層、その輝きを強くする。
準備は万端だった。
「レーオー! ありがとぉー」
ユリナは時間稼ぎに徹してくれた愛しい男に精一杯の愛情を込め、流し目を送ると手にしていたマイクスタンドの姿を俄かに変じる。
全体が夜の闇を纏ったように黒一色に染め上げられていた。
穂と柄全てが闇の色を纏っており、ところどころにあしらわれた美麗な宝石が息づくかの如く、明滅する。
穂先は二股に分かれており、刺々しくも禍々しい意匠が施されていると評するのが最も適した外観をしていた。
二股に分かれた槍の穂先というよりも古代魚アリゲーター・ガーの口吻を思わせる捕食するものとしか、言いようがない外観である。
ユリナは本来の姿を現した魔法杖ユグドラシルを両手に持ち替えると石突を地に突き刺し、鈴を転がすような声で朗々と詠唱を始めた。
それは全てのモノに等しく、安息を与える恐るべき呪法・絶対零度の詠唱だ。
「永遠に眠りし、凍てつくもの。全てを凍らせし、極致に至るもの。絶対にして究極なる零度の真理に至りて、我ここに誓わん。闇夜の翳りを支配せし女王の名において、命ずる。永劫に時までも凍てつかせし、完全なる凍気よ。全てを凍てつかせよ」
ユリナの紅玉色の瞳が輝きを増し、その瞳孔が蛇を思わせる縦長のものへと変じた瞬間、ユグドラシルを起点に大地が、空気が、全てが文字通り凍り付いていく。
彼女の前だけが一瞬できれいな銀世界に転じていた。
何も動くものが存在しない死の世界である。
ギガースも大きな氷像と化している。
人間であれば、恐らく何が起きたのかと恐怖に慄いた表情で固まっているところだが、ギガースの頭にはそのような感情を表現出来る思考はなかったのだろう。
苦悶の表情を浮かべるでもなく、憤怒の表情を浮かべる訳でもない。
何の感情の色も移さない無機質な目があらぬ方向をみているだけである。
「ちょっとやりすぎじゃないかな」
「そう? これくらいしておかないとダメでしょ」
麗央はいつの間にやら、ユリナの隣にしれっと立っていた。
ユリナもそれが当然と考えているのか、特に動揺している気配はない。
このあやかし夫婦は必ずしも言葉を必要ない。
ユリナが絶対零度の詠唱が終わるのとほぼ同時に麗央もまた、ギガースから一気に身を離していたのだ。
「そういうものかな」
「そういうものなのよ。後はお兄様に任せておきましょ」
「分かった」
「うん。それでよろしい」
そう言うとユリナは黙って、右手を前に差し出す。
麗央は恭しく、その手を取ると軽く口付けを落とし、ユリナを横抱きに抱える。
先程まで見せていた彼女の怒りの感情は既にどこかへ消え失せたらしい。
甘えるようにしっかりと抱き着いてくるユリナを見て、麗央もようやく胸を撫で下ろすのだった。
滅びの爆裂咆哮。
体内に蓄えたエネルギーを一気に解き放ち、進路上にある物質を原子分解させ破壊するフェンリル最大にして、究極の必殺技である。
イザークはこの技で過去、異母弟にあたるナリを暫く、再起不能に追い込んでいる。
「お待ちかね。これが吾輩のフルピャワーなのである」
大気中のマナを取り込んだイザークは円らな瞳をやらしく歪めると耳元まで裂けた口を開いた。
何とも自信に満ちた宣言だった。
しかし、その宣言は絶対零度で凍り付いたギガースを滅びの爆裂咆哮で完全に破壊する為ではない。
全身の毛を逆立て、漲る気を隠さず、イザークが行ったのは全く違うことだった。
「げぷぅ。御馳走様なのである」
ユリナによって、氷像と化したギガースとイリスとテラの連携攻撃の前に活動を停止したギガース。
イザークは両者をぺろりと平らげたのである。
強力なエナジーを取り込んでいたギガースを喰らったイザークの体に異変が生じ、急成長を遂げた。
もはやその体はスピッツにはとても見えない。
大型犬であるサモエドとよく似た姿になっていた。
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