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第64話 備忘録CaseVI・ハウステンピョス①銀狼騙される
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ユリナが思い描いていた理想と現実は少々どころでなく、剥離したものだった。
それなりに満喫出来る列車の旅ではあったものの考えていた以上に邪魔が入り、彼女には何とも許せなかったのである。
旅をするのであれば、夫婦水入らずにするべきだった。
ユリナは誓った。
次の旅は邪魔されてなるものかと……。
その為には手段を選ばない女。
それがユリナである。
今回の旅は旅気分を満喫するものでは決してない。
本来の目的はN県S市に出現した九十九島の迷宮を破壊することだ。
それにあたって、行われる迷宮の探索模様をイリスとイザークの二人にライブ配信させるのが主たる理由でもある。
かくして、ユリナの思惑とは別に予定通り、一行は当初の目的地であるN県S市に辿り着いた。
宿泊先としてユリナが予約したホテルはテーマパーク『ハウステンピョス』の敷地内にある。
欧州の雰囲気を楽しめると話題になっていた。
麗央が代理店で貰って来たパンフレットの山と睨めっこをしたユリナが長考の末に決めた宿泊先である。
問題はペットが宿泊出来ない点だった。
中身がどうであろうと見た目は中型犬にしか見えないイザークは本来であれば入館すら、”御遠慮願います”と退去させられるのが関の山なのだ。
ところが蛇の道は蛇とはよく言ったものである。
ユリナの瞳が薄い菫の色から変じ、血で染まったように見えた時には全てが丸く収まっていた。
「分かるよ。分かるけどさ。魔眼はやりすぎじゃないかな?」
「今回だけだから、いいでしょ? ね? ちょっとだけなら平気よ」
「し、しょうがないかな」
麗央は難色を示すものの、かといって優れた代案がある訳ではない。
ただ、ユリナの身を案じただけに過ぎないのだ。
互いの息が感じられる距離にまでユリナの接近を許し、少々潤んだ瞳で上目遣いに”お願い”をされただけであっさりと前言撤回するあたり、この夫婦つくづく似た者同士である。
この時、麗央が感じた微かな不安は強ち杞憂とも言い切れなかった。
邪眼や魔眼と呼ばれる不可思議な力がしばしば神話や伝説に登場する。
人の心を操ったり、運命を変えるとされ、強力な者ともなれば目を合わせただけで相手の命を奪うことが出来るとまで言われた。
神話に登場する目が合った者を石に変えるメデューサもこの魔眼の持ち主に他ならない。
ユリナが見せた力も魔眼の一種と言えるだろう。
だが、彼女の力はあまりにも強すぎる。
対象を文字通り、根本から変容・変質させる非常に危険な力でもある。
脆弱な肉体と魂しか持たない普通の人間であれば、抗うことが叶わず己の意思を持たない木偶人形と化す恐れがあった。
それは使うユリナにとっても同じだ。
歌の力で強大な力を自在にコントロールすることに慣れてきたとはいえ、決して油断してはならない禁忌であることに変わりはない。
それを麗央は心配したのである。
ユリナは極微弱な力に抑え、範囲を”ハウステンピョス”全域に広げることでスピッツの姿になっている兄がいても誰も不思議には思わないよう変容させた。
抑えられているとはいえ、強い力である。
魅了ではなく、魅惑と呼ぶべき力だ。
ユリナは「ちょっとやりすぎちゃったかも♪」とそれほど悪びれた要素も見せず、ちろりと舌を見せている。
麗央も窘めるどころか、「何ともないかい? 大丈夫?」と愛妻の心配をするだけなので、二人のやり取りについていけないイリスは顎でも外れたかのように口をぽかんと開けたまま、呆けるしかない。
姉夫婦のマイペースぶりには散々、振り回された被害者でもあるからだ。
かくして、一行は無事にホテルのチェックインを終えた。
ユリナ、麗央、イリスの三人はハウステンピョスの園内を楽しむべく、ホテルを出た。
ユリナは黒で統一されたゴシックロリータのドレスに着替える念の入れようである。
ここで貧乏くじを引いたのは誰か?
銀狼イザークに他ならない。
普段の言動から思慮が足りず、問題を起こしかねないと判断された。
留守番させるのも已む無しと考えたユリナは兄を説得すべく一計を案じた。
その際、麗央に「リーナ。また、悪そうな顔をしてるよ」と言われ、「そ、そんなこと……あったわ!?」と少しばかりの焦りの色を見せたユリナだが、いざ本番ではそのような不安要素を一切、見せない。
中々の女優ぶりである。
「お兄様。お兄様は大人の男。そうでしょう?」
園内へと繰り出す気満々だったイザークに向け、言い放ったユリナの一言目がこれだった。
多少は知恵が回る者であれば、ユリナの言葉の裏に巧妙に隠された真意に気付きはしなくとも何か、言い知れない不安を感じるものだ。
「その通りである。吾輩は大人である」
ところがイザークにそういった思慮深さは全くない。
えっへんとばかりにどこか得意面をした銀の毛のスピッツがベッドの上に鎮座しているだけだった。
「遊園地は子供が楽しむもの。私達はまだ、子供なので楽しみたいと思いますの」
「なるほどなのである! つまり……どういうことであるか?」
声こそ人のそれであり、心地良いバリトンボイスではあるもののこてんと首を傾げる仕草は可愛らしい愛玩犬のスピッツである。
愛らしさしか、そこにはないのだが本人は全く、気付いていない。
「お兄様のように大人には面白くないだけですわ。だから、お兄様はお部屋でゆっくりとお食事を楽しんでいただきたいのですけど……いかが?」
「ふむ。一理あるのであるな。吾輩は大人である。留守もは悪くないのである」
そう言いながら、まだ見ぬ食事を想像し、涎を垂らしているイザークだった。
かかったと感じたユリナは後ろで大人しく、控えていた麗央とイリスに向かって、軽く舌をちろりと出すとウインクをしてみせるのだった。
まんまとユリナの策にはまったイザークだが、彼女が金に糸目を付けず、高級料理のルームサービスを注文してくれたことに気を良くし、騙されたことには一切気付かぬままだった。
旅先でも相変わらずの快適な食っちゃ寝生活を続けるイザークの胴回りは順調に育っている……。
それなりに満喫出来る列車の旅ではあったものの考えていた以上に邪魔が入り、彼女には何とも許せなかったのである。
旅をするのであれば、夫婦水入らずにするべきだった。
ユリナは誓った。
次の旅は邪魔されてなるものかと……。
その為には手段を選ばない女。
それがユリナである。
今回の旅は旅気分を満喫するものでは決してない。
本来の目的はN県S市に出現した九十九島の迷宮を破壊することだ。
それにあたって、行われる迷宮の探索模様をイリスとイザークの二人にライブ配信させるのが主たる理由でもある。
かくして、ユリナの思惑とは別に予定通り、一行は当初の目的地であるN県S市に辿り着いた。
宿泊先としてユリナが予約したホテルはテーマパーク『ハウステンピョス』の敷地内にある。
欧州の雰囲気を楽しめると話題になっていた。
麗央が代理店で貰って来たパンフレットの山と睨めっこをしたユリナが長考の末に決めた宿泊先である。
問題はペットが宿泊出来ない点だった。
中身がどうであろうと見た目は中型犬にしか見えないイザークは本来であれば入館すら、”御遠慮願います”と退去させられるのが関の山なのだ。
ところが蛇の道は蛇とはよく言ったものである。
ユリナの瞳が薄い菫の色から変じ、血で染まったように見えた時には全てが丸く収まっていた。
「分かるよ。分かるけどさ。魔眼はやりすぎじゃないかな?」
「今回だけだから、いいでしょ? ね? ちょっとだけなら平気よ」
「し、しょうがないかな」
麗央は難色を示すものの、かといって優れた代案がある訳ではない。
ただ、ユリナの身を案じただけに過ぎないのだ。
互いの息が感じられる距離にまでユリナの接近を許し、少々潤んだ瞳で上目遣いに”お願い”をされただけであっさりと前言撤回するあたり、この夫婦つくづく似た者同士である。
この時、麗央が感じた微かな不安は強ち杞憂とも言い切れなかった。
邪眼や魔眼と呼ばれる不可思議な力がしばしば神話や伝説に登場する。
人の心を操ったり、運命を変えるとされ、強力な者ともなれば目を合わせただけで相手の命を奪うことが出来るとまで言われた。
神話に登場する目が合った者を石に変えるメデューサもこの魔眼の持ち主に他ならない。
ユリナが見せた力も魔眼の一種と言えるだろう。
だが、彼女の力はあまりにも強すぎる。
対象を文字通り、根本から変容・変質させる非常に危険な力でもある。
脆弱な肉体と魂しか持たない普通の人間であれば、抗うことが叶わず己の意思を持たない木偶人形と化す恐れがあった。
それは使うユリナにとっても同じだ。
歌の力で強大な力を自在にコントロールすることに慣れてきたとはいえ、決して油断してはならない禁忌であることに変わりはない。
それを麗央は心配したのである。
ユリナは極微弱な力に抑え、範囲を”ハウステンピョス”全域に広げることでスピッツの姿になっている兄がいても誰も不思議には思わないよう変容させた。
抑えられているとはいえ、強い力である。
魅了ではなく、魅惑と呼ぶべき力だ。
ユリナは「ちょっとやりすぎちゃったかも♪」とそれほど悪びれた要素も見せず、ちろりと舌を見せている。
麗央も窘めるどころか、「何ともないかい? 大丈夫?」と愛妻の心配をするだけなので、二人のやり取りについていけないイリスは顎でも外れたかのように口をぽかんと開けたまま、呆けるしかない。
姉夫婦のマイペースぶりには散々、振り回された被害者でもあるからだ。
かくして、一行は無事にホテルのチェックインを終えた。
ユリナ、麗央、イリスの三人はハウステンピョスの園内を楽しむべく、ホテルを出た。
ユリナは黒で統一されたゴシックロリータのドレスに着替える念の入れようである。
ここで貧乏くじを引いたのは誰か?
銀狼イザークに他ならない。
普段の言動から思慮が足りず、問題を起こしかねないと判断された。
留守番させるのも已む無しと考えたユリナは兄を説得すべく一計を案じた。
その際、麗央に「リーナ。また、悪そうな顔をしてるよ」と言われ、「そ、そんなこと……あったわ!?」と少しばかりの焦りの色を見せたユリナだが、いざ本番ではそのような不安要素を一切、見せない。
中々の女優ぶりである。
「お兄様。お兄様は大人の男。そうでしょう?」
園内へと繰り出す気満々だったイザークに向け、言い放ったユリナの一言目がこれだった。
多少は知恵が回る者であれば、ユリナの言葉の裏に巧妙に隠された真意に気付きはしなくとも何か、言い知れない不安を感じるものだ。
「その通りである。吾輩は大人である」
ところがイザークにそういった思慮深さは全くない。
えっへんとばかりにどこか得意面をした銀の毛のスピッツがベッドの上に鎮座しているだけだった。
「遊園地は子供が楽しむもの。私達はまだ、子供なので楽しみたいと思いますの」
「なるほどなのである! つまり……どういうことであるか?」
声こそ人のそれであり、心地良いバリトンボイスではあるもののこてんと首を傾げる仕草は可愛らしい愛玩犬のスピッツである。
愛らしさしか、そこにはないのだが本人は全く、気付いていない。
「お兄様のように大人には面白くないだけですわ。だから、お兄様はお部屋でゆっくりとお食事を楽しんでいただきたいのですけど……いかが?」
「ふむ。一理あるのであるな。吾輩は大人である。留守もは悪くないのである」
そう言いながら、まだ見ぬ食事を想像し、涎を垂らしているイザークだった。
かかったと感じたユリナは後ろで大人しく、控えていた麗央とイリスに向かって、軽く舌をちろりと出すとウインクをしてみせるのだった。
まんまとユリナの策にはまったイザークだが、彼女が金に糸目を付けず、高級料理のルームサービスを注文してくれたことに気を良くし、騙されたことには一切気付かぬままだった。
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