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第35話 歌姫は世界を滅ぼ……さない
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昼下がりの午後、庭のガーデンテーブルでいつものように麗央とお茶を楽しみながら、ユリナはふと物思いに耽る。
日本の五大都市ライブを行ったことでユリナが想定していた当初の目的は達成された。
麗央が愛するこの世界の人々をなるべく傷つけることなく、生体エナジーだけをいただく。
その手段として、これほどに効果的な方法はないと実証出来たからだ。
断罪すべき罪の薄い人々には心地の良い楽しい夢を見させ、代わりに少しばかりのエナジーをいただく。
断罪すべき罪のある人々には罪に応じた終わりなき悪夢を見させ、死なない程度にエナジーをいただく。
加減が分からなかったこともあり、本当に少量のエナジーしか奪わなかったことが幸いし、『歌姫』のライブで夢を見た人々は都合がいいように記憶を改竄されている。
『歌姫』の歌によって、忘却させられているのだ。
ただ、ユリナにとって、誤算となったのはあまりにもエナジー量が少なかったことである。
兄である銀毛の巨獣を完全な姿でこの世界に呼べなかったことが、僅かな心残りとなっていた。
「でも、それも大した問題じゃないわ」
「うん? どうしたんだい、リーナ」
銀の毛の可愛らしいポメラニアンの姿で「ワンデアル」と言っている兄の方が、人畜無害な存在として問題ない。
「このまま、ポメラニアンでいてもらおうかしら?」と元に戻さない方針を妹が抱き始めていることなど、当の本犬であるポメラニアンは露知らず。
木陰で惰眠を貪っている……。
「レオがいたら、それでいいかなって、思っただけなの」
「そっか」
ユリナは紅茶で喉を潤すとそっと愛する人の様子を窺った。
ちょっとばかり収まりの悪い烏の濡れ羽色の髪を片手で無造作にくしゃと搔き毟るとどこか、恥ずかしそうに笑っている。
太陽のような笑顔というのがあれほど、似合う人はいないとユリナは思った。
温かな光を思わせる麗央の笑みを見て、ユリナはこのままでいいのかもしれないと思いを馳せた。
歌の力を最大限に発揮すれば、この世界を文字通り、壊すことも出来れば、滅ぼすことも出来る。
全ては思いのままなのだ。
しかし、ユリナはそんなことに一切の興味を示していない。
彼女にとって、最大の興味は愛する麗央のことだけだった。
ユリナはふと考える。
もしも、愛の歌を謳えば、どうなるのだろうかと……。
そうすれば、麗央も抵抗出来ないだろう。
二人だけの閉ざされた愛の世界を創ることが可能だった。
誰にも邪魔をされない。
二人だけの世界。
でも、そんな世界で麗央がこんな風に笑いかけてくれるのだろうかとユリナは己の心に問い掛ける。
考えるまでもないことだと結論を出すのにさして、時を要さない。
「このままでもいいよね」
「ん? 何の話かな?」
「内緒」
「教えてくれてもいいじゃないか」
「乙女には秘密がいくつか、あるのよ。知らなかったの?」
「何だよ、それ。夫婦に秘密があるのはいけないって、言ってなかったかい?」
「そ、そんなことを言った記憶は……」
「ない」と言い切ろうとしてユリナは、はたと考える。
確かに「夫婦に秘密があるのはナンセンスだわ」と言ったのを思い出したからだ。
実際は麗央のことは全て、知らないと気の済まないユリナが四六時中、彼を監視しておきたいだけの一方的な宣言に他ならない。
麗央のチャンネルを裏アカウントの『リス子』で熱烈に応援していることに始まり、秘密だらけのユリナである。
自分は一切、打ち明けていないのだから、これほど理不尽な宣言はないのだ。
「ないわ! いつ言ったの? 証拠ないでしょ」
「証拠はないけどさ」
ちょっとばかり、ふてくされた顔になった麗央を見て「かわいい」と思わず、涎を垂らしかけたユリナはわざとらしく、「コホン」と軽く咳払いをして誤魔化した。
麗央の前では凛としており、頼りになるお姉さんであることを貫こうと本人としては必死である。
ユリナは知らない。
お姉さん風を吹かせようとする割にあまりにも抜けていて、逆に「可愛い」と思われていることを……。
「ふぅ~ん。私にいい考えがあるんだけど」
「その言い方! いい考えで何度、失敗してるんだよ」
「そ、そうとも言うけど……今回は違うわ。レオにもいい話だと思うわ」
「それも何度目だよ」と言いかけた麗央だが、止めたのはユリナの頬が薄っすらと紅を塗ったように染まっていたからだった。
乗ってみるのも悪くないと麗央は考えていた。
これで何度目の失敗だろうかと思いながらも彼女が見せる表情にその都度、騙されている。
「勝負よ、レオ」
「望むところだ! って、何の勝負するんだい?」
「決まってるじゃない」
ユリナは立ち上がると右手を腰に当て、左手で麗央を指差しながら、宣言した。
ほんのりと桜色どころではなく、茹蛸のようになっているユリナを見るとかなり無理をしていると感じる麗央だったが、こと勝負と言われると勝ちを譲る気は毛頭なかった。
「レオが十分間、我慢出来たら勝ちよ」
麗央は「なんだよ、それ」と思わず、出かかった言葉を無理に押しとどめる。
最初はほんの出来心で始まった二人の睦み合いだった。
何も知らないユリナに目隠しをし、その肢体を見ながら、己を慰める。
それだけだった。
ところが麗央にとって、必要なことだとユリナが知ったことで一週間に一度から、三日に一度と変化した。
今では毎日のようにユリナが処理をしている。
相変わらず、目隠しをしたままで生まれたままの姿でいるユリナと下半身をオープンして、目隠しをしていない麗央といった倒錯的な睦み合いに変わりはなかった。
しかし、麗央はやや早い。
当初はぎこちない動きしか出来なかったユリナが、次第に麗央の弱いところを学び始めたことで我慢出来なくなり、あっという間に果てることが多かったからだ。
それでも二人はこの睦み合いにはまりつつあった。
キャベツ畑に赤ちゃんを呼ぶ為に睦み合うというより、行為そのものを楽しみ始めていたのである。
「の、望むところだ!」
麗央の声が少々、震えてしまったのも致し方ない。
彼が悪友から教えてもらった変な知識をユリナに授けたばかりに不利な勝負になることが目に見えていたからである。
「俺が勝ったら、何かいいことあるのかい?」
「も・ち・ろ・ん。旅行に行きましょ☆」
「え? どこに?」
「そうね。九州なんて、どうかしら? レオもきっと、気に入ってくれると思う場所があるんだけど」
「そっか。それは楽しみだな。絶対に勝つ!」
「その言葉、そっくりお返しするわ」
麗央は思った。
この勝負、自分は気持ちいいだけで何も損することがないのではないか? と……。
妻に完全に射精管理をされていて、監視下に置かれているとは考えない麗央の辞書に尊厳という単語は載っていないようだ。
(あの表情と言い方……リーナは勝っても負けても旅行に行く気だよな)
滅多に屋敷の外に出ないユリナである。
そんな彼女がはっきりと言わないのに旅に行くと言い出した時点で気付かない麗央ではなかった。
どちらもが長い付き合いで知り尽くしている。
お互い様でもあるのだ。
ユリナは感情の変化が表情で分かりやすい麗央を見て、確信した。
二人だけの世界なんて、必要ない。
私が彼をどうしようもないくらいに好きなだけ。
そんな一方的な思いはもう終わったのだと……。
今の麗央を見れば、分かる。
彼の心はもう私にだけ、向いている。
はっきりと見えるものではないが、私には分かる。
そんな手応えが確かにユリナの中にあったのだ。
(何も知らない振りをするのは大変だったわ)
そう思っているのは彼女だけであり、ユリナはやはり、何も知らないのである。
性知識の欠片もなかったユリナだが、麗央の目がたまに熱っぽく、自分の体を凝視するように見ていることに気付いていた。
睦み合いの最中、自分に四つん這いのポーズを取って欲しいと注文を出してきたので何となく、察していたのだ。
目隠しをしていて、同じように見えていないはずなのにおかしいのだから。
それでも彼の注文を受け入れ、毎回のようによく分らないモノを握らされも何一つ文句を言わなかった。
「レオもませてきたのね。やっと私に興味を持ってくれたんだわ」と逆に喜んでいたのは誰あろう彼女自身である。
結局のところ、彼女が知っているのはキャベツ畑に赤ちゃんがやって来ないという事実だけだった。
昼下がりの午後から、いそいそと寝室へと向かう館の主夫婦を生温かい目で見守りながら、亡霊達は明日の世界が平和であることを願うのだった。
少なくとも今のところは『歌姫』が世界を滅ぼすことはないことに感謝の念を送りつつ……。
日本の五大都市ライブを行ったことでユリナが想定していた当初の目的は達成された。
麗央が愛するこの世界の人々をなるべく傷つけることなく、生体エナジーだけをいただく。
その手段として、これほどに効果的な方法はないと実証出来たからだ。
断罪すべき罪の薄い人々には心地の良い楽しい夢を見させ、代わりに少しばかりのエナジーをいただく。
断罪すべき罪のある人々には罪に応じた終わりなき悪夢を見させ、死なない程度にエナジーをいただく。
加減が分からなかったこともあり、本当に少量のエナジーしか奪わなかったことが幸いし、『歌姫』のライブで夢を見た人々は都合がいいように記憶を改竄されている。
『歌姫』の歌によって、忘却させられているのだ。
ただ、ユリナにとって、誤算となったのはあまりにもエナジー量が少なかったことである。
兄である銀毛の巨獣を完全な姿でこの世界に呼べなかったことが、僅かな心残りとなっていた。
「でも、それも大した問題じゃないわ」
「うん? どうしたんだい、リーナ」
銀の毛の可愛らしいポメラニアンの姿で「ワンデアル」と言っている兄の方が、人畜無害な存在として問題ない。
「このまま、ポメラニアンでいてもらおうかしら?」と元に戻さない方針を妹が抱き始めていることなど、当の本犬であるポメラニアンは露知らず。
木陰で惰眠を貪っている……。
「レオがいたら、それでいいかなって、思っただけなの」
「そっか」
ユリナは紅茶で喉を潤すとそっと愛する人の様子を窺った。
ちょっとばかり収まりの悪い烏の濡れ羽色の髪を片手で無造作にくしゃと搔き毟るとどこか、恥ずかしそうに笑っている。
太陽のような笑顔というのがあれほど、似合う人はいないとユリナは思った。
温かな光を思わせる麗央の笑みを見て、ユリナはこのままでいいのかもしれないと思いを馳せた。
歌の力を最大限に発揮すれば、この世界を文字通り、壊すことも出来れば、滅ぼすことも出来る。
全ては思いのままなのだ。
しかし、ユリナはそんなことに一切の興味を示していない。
彼女にとって、最大の興味は愛する麗央のことだけだった。
ユリナはふと考える。
もしも、愛の歌を謳えば、どうなるのだろうかと……。
そうすれば、麗央も抵抗出来ないだろう。
二人だけの閉ざされた愛の世界を創ることが可能だった。
誰にも邪魔をされない。
二人だけの世界。
でも、そんな世界で麗央がこんな風に笑いかけてくれるのだろうかとユリナは己の心に問い掛ける。
考えるまでもないことだと結論を出すのにさして、時を要さない。
「このままでもいいよね」
「ん? 何の話かな?」
「内緒」
「教えてくれてもいいじゃないか」
「乙女には秘密がいくつか、あるのよ。知らなかったの?」
「何だよ、それ。夫婦に秘密があるのはいけないって、言ってなかったかい?」
「そ、そんなことを言った記憶は……」
「ない」と言い切ろうとしてユリナは、はたと考える。
確かに「夫婦に秘密があるのはナンセンスだわ」と言ったのを思い出したからだ。
実際は麗央のことは全て、知らないと気の済まないユリナが四六時中、彼を監視しておきたいだけの一方的な宣言に他ならない。
麗央のチャンネルを裏アカウントの『リス子』で熱烈に応援していることに始まり、秘密だらけのユリナである。
自分は一切、打ち明けていないのだから、これほど理不尽な宣言はないのだ。
「ないわ! いつ言ったの? 証拠ないでしょ」
「証拠はないけどさ」
ちょっとばかり、ふてくされた顔になった麗央を見て「かわいい」と思わず、涎を垂らしかけたユリナはわざとらしく、「コホン」と軽く咳払いをして誤魔化した。
麗央の前では凛としており、頼りになるお姉さんであることを貫こうと本人としては必死である。
ユリナは知らない。
お姉さん風を吹かせようとする割にあまりにも抜けていて、逆に「可愛い」と思われていることを……。
「ふぅ~ん。私にいい考えがあるんだけど」
「その言い方! いい考えで何度、失敗してるんだよ」
「そ、そうとも言うけど……今回は違うわ。レオにもいい話だと思うわ」
「それも何度目だよ」と言いかけた麗央だが、止めたのはユリナの頬が薄っすらと紅を塗ったように染まっていたからだった。
乗ってみるのも悪くないと麗央は考えていた。
これで何度目の失敗だろうかと思いながらも彼女が見せる表情にその都度、騙されている。
「勝負よ、レオ」
「望むところだ! って、何の勝負するんだい?」
「決まってるじゃない」
ユリナは立ち上がると右手を腰に当て、左手で麗央を指差しながら、宣言した。
ほんのりと桜色どころではなく、茹蛸のようになっているユリナを見るとかなり無理をしていると感じる麗央だったが、こと勝負と言われると勝ちを譲る気は毛頭なかった。
「レオが十分間、我慢出来たら勝ちよ」
麗央は「なんだよ、それ」と思わず、出かかった言葉を無理に押しとどめる。
最初はほんの出来心で始まった二人の睦み合いだった。
何も知らないユリナに目隠しをし、その肢体を見ながら、己を慰める。
それだけだった。
ところが麗央にとって、必要なことだとユリナが知ったことで一週間に一度から、三日に一度と変化した。
今では毎日のようにユリナが処理をしている。
相変わらず、目隠しをしたままで生まれたままの姿でいるユリナと下半身をオープンして、目隠しをしていない麗央といった倒錯的な睦み合いに変わりはなかった。
しかし、麗央はやや早い。
当初はぎこちない動きしか出来なかったユリナが、次第に麗央の弱いところを学び始めたことで我慢出来なくなり、あっという間に果てることが多かったからだ。
それでも二人はこの睦み合いにはまりつつあった。
キャベツ畑に赤ちゃんを呼ぶ為に睦み合うというより、行為そのものを楽しみ始めていたのである。
「の、望むところだ!」
麗央の声が少々、震えてしまったのも致し方ない。
彼が悪友から教えてもらった変な知識をユリナに授けたばかりに不利な勝負になることが目に見えていたからである。
「俺が勝ったら、何かいいことあるのかい?」
「も・ち・ろ・ん。旅行に行きましょ☆」
「え? どこに?」
「そうね。九州なんて、どうかしら? レオもきっと、気に入ってくれると思う場所があるんだけど」
「そっか。それは楽しみだな。絶対に勝つ!」
「その言葉、そっくりお返しするわ」
麗央は思った。
この勝負、自分は気持ちいいだけで何も損することがないのではないか? と……。
妻に完全に射精管理をされていて、監視下に置かれているとは考えない麗央の辞書に尊厳という単語は載っていないようだ。
(あの表情と言い方……リーナは勝っても負けても旅行に行く気だよな)
滅多に屋敷の外に出ないユリナである。
そんな彼女がはっきりと言わないのに旅に行くと言い出した時点で気付かない麗央ではなかった。
どちらもが長い付き合いで知り尽くしている。
お互い様でもあるのだ。
ユリナは感情の変化が表情で分かりやすい麗央を見て、確信した。
二人だけの世界なんて、必要ない。
私が彼をどうしようもないくらいに好きなだけ。
そんな一方的な思いはもう終わったのだと……。
今の麗央を見れば、分かる。
彼の心はもう私にだけ、向いている。
はっきりと見えるものではないが、私には分かる。
そんな手応えが確かにユリナの中にあったのだ。
(何も知らない振りをするのは大変だったわ)
そう思っているのは彼女だけであり、ユリナはやはり、何も知らないのである。
性知識の欠片もなかったユリナだが、麗央の目がたまに熱っぽく、自分の体を凝視するように見ていることに気付いていた。
睦み合いの最中、自分に四つん這いのポーズを取って欲しいと注文を出してきたので何となく、察していたのだ。
目隠しをしていて、同じように見えていないはずなのにおかしいのだから。
それでも彼の注文を受け入れ、毎回のようによく分らないモノを握らされも何一つ文句を言わなかった。
「レオもませてきたのね。やっと私に興味を持ってくれたんだわ」と逆に喜んでいたのは誰あろう彼女自身である。
結局のところ、彼女が知っているのはキャベツ畑に赤ちゃんがやって来ないという事実だけだった。
昼下がりの午後から、いそいそと寝室へと向かう館の主夫婦を生温かい目で見守りながら、亡霊達は明日の世界が平和であることを願うのだった。
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