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第23話 師匠と弟子
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ユリナは容姿が目立つこともあり、滅多に屋敷の外に出なかった。
出ないというよりも出にくい環境にあると言う方が近い。
かつて麗央が高校に通っていた頃のことだ。
年齢と経歴を偽ったユリナが同級生として高校に潜入したことがあった。
その時は目立つ髪と瞳の色を目立たないように黒く染め、カラーコンタクトを付けることで変装していた。
それでも目立ってしまう容姿であることに変わりなかったが、不思議とバレないままに学生生活を送っていた。
ところがこれにはからくりがあった。
ユリナが周囲の人間の認識を阻害する術を使っていただけなのだ。
一緒にいたいが為に色々と無茶をするユリナを見て、「僕の前で無理をする必要はないよ」と麗央に言われたのがきっかけとなり、ユリナは己を偽ることをやめた。
それは麗央にとっても望んだものだったが、二人とも周囲からの認知を考慮に入れていなかったのが問題となってしまう。
外出すれば、嫌でも目立ってしまうユリナに麗央の方が複雑な気持ちを抱くようになった。
ユリナが麗央を自分だけのものにしたいと望むように麗央もまた、ユリナに自分だけを見てもらいたくなり、自分だけが見ていたいと望むようになっていたのだ。
似た者夫婦であるといえば、その通りであると言えよう。
ユリナは屋敷から外に出なくても特に支障がなかった。
屋敷の配信設備は整っており全てを賄うのに十分だったし、入り用の物があっても通販サイトの『ジャングル』で事足りたからである。
かくして週末にのみ、ライブを行う怠惰な『歌姫』が誕生した。
だが麗央はそうはいかない。
彼はユリナとは違い現代日本の社会生活を営んでいた。
普通ではない養母の存在もあり、平凡とは言い難い学生生活を送っていたがそれなりに楽しんでもいた。
定命の生物である人間の友人が出来ていたこともあり、それなりに屋敷の外に出なくてはいけない身の上でもあった。
「よお。少年。今日も元気そうだな」
「今日も早いですね。イソローさん」
麗央が一週間に一度、足繫く通う場所があった。
H町唯一の町立図書館である。
そこで出会った青年との交流は、掛け替えのないものだった。
知らない世界、新たな知識を知ることが出来るのも大きかったが、何よりも彼との会話が楽しかったからだ。
青年の名は根津五十六。
年齢は二十四歳。
御用邸に隣接する公園に建てられた博物館が勤務先の学芸員である。
中肉中背の体つき。
手入れをした様子がとんと見られないボサボサの髪はやや赤みがかり、茶髪に近い。
洒落っ気のない黒縁のスクエアタイプの眼鏡が与える印象も強いのか、平凡な青年にしか見えなかった。
「どうした? 何か、悩み事かね」
「ええ。まあ。そんなところです」
しかし、麗央はこの青年と何の変哲もないやり取りを心の底から、楽しんでいる。
彼がまだ、子供といってもいい頃、実の兄のように慕っていた年上の少年がいた。
イソローという名の少年はお調子者で要領がよかった。
麗央とイソローは性格も性質も正反対といっていい存在だったが、自然と馬が合った。
実の兄弟のように親しい関係にあったのである。
麗央には目の前にいる五十六という青年が、そのイソローの大人になった姿のように思えてならないのだ。
それで五十六であるにも関わらず、イソローと呼んでいた。
「妙な呼び方だがまあ、いいさ。俺っちはそういうの気にしないんでね」と答える五十六を見て、ますますイソローみたいだと考える麗央だった。
「それで何で悩んでいるんだね、少年」
ニッシシシという擬音が聞こえそうなほどに大きく口を開け、少年のような笑顔を見せる五十六は二十四よりも若く、感じられる。
「実は彼女のことなんですが」
「ああ。少年は彼女がいたっけか。そうだった。そうだった。彼女いたんだなあ」
五十六がどこか、おどけたような言い方をするのには理由がある。
彼の恋人いない歴は年齢と同じだった。
それは今後も記録を更新を続けることが、ほぼ確約されたものと言っても過言ではない。
このままでは魔法使いになってしまうという焦りが五十六の中にあった。
その傷を抉ってくるのが無自覚で惚気話を聞かせてくる麗央である。
「彼女が早く子供が欲しいらしくて……俺もなんですが」
「ぶほあ」
静粛であることを求められる図書館であることを忘れ、思わず妙な叫び声をあげそうになった五十六は慌てて、口許を押さえたものの少々、声が漏れてしまった。
「少年。そういうのは段階を踏まんといかんよ」
「そうなんですか?」
五十六の言葉に麗央は意表を突かれたのか、きょとんとした顔をする。
本当に何も分かっていないとしか、思えない純粋で純朴な少年の顔である。
ここでもてない男の僻み根性が鎌首をもたげた。
(少し、からかってやるとするか)
長い付き合いではなかったが目の前の少年――麗央が真っ直ぐな性格をしているのは五十六にもよく分かっていた。
優しく、弱い立場の者を慮る。
そう思ってはいても行動で示せる人間はそういない。
麗央がそれを実行出来るいい子であると五十六は知っていた。
ちょっとした悪戯心だった。
「少年よ。そういうのはもっとやり方ってものがあるんだ。どうれ、この俺っちが教えてしんぜよう」
「そうなんですね。ありがとう。いや、ありがとうございます、イソロー」
五十六のことを全く、疑っていない。
心の底から感謝しているという気持ちが分かる麗央の様子だった。
五十六も多少の罪悪感を感じたものの既に賽は振られたのである。
こうして五十六により、麗央は色々といかがわしい知識を授けられた。
五十六自身が未経験で知識は動画やネットなどで仕入れたものに過ぎない。
そこには実際にありえない架空の話も盛り込まれており、五十六の希望が入り混じってもいた。
そして、何よりも致命的だったのは麗央があまりに何も知らなかったことである。
刷り込まれるようにいかがわしい知識を身に付けてしまった麗央によって、ユリナとの間に騒動が巻き起こることになろうとはこの時の彼らは知る由もなかった……。
出ないというよりも出にくい環境にあると言う方が近い。
かつて麗央が高校に通っていた頃のことだ。
年齢と経歴を偽ったユリナが同級生として高校に潜入したことがあった。
その時は目立つ髪と瞳の色を目立たないように黒く染め、カラーコンタクトを付けることで変装していた。
それでも目立ってしまう容姿であることに変わりなかったが、不思議とバレないままに学生生活を送っていた。
ところがこれにはからくりがあった。
ユリナが周囲の人間の認識を阻害する術を使っていただけなのだ。
一緒にいたいが為に色々と無茶をするユリナを見て、「僕の前で無理をする必要はないよ」と麗央に言われたのがきっかけとなり、ユリナは己を偽ることをやめた。
それは麗央にとっても望んだものだったが、二人とも周囲からの認知を考慮に入れていなかったのが問題となってしまう。
外出すれば、嫌でも目立ってしまうユリナに麗央の方が複雑な気持ちを抱くようになった。
ユリナが麗央を自分だけのものにしたいと望むように麗央もまた、ユリナに自分だけを見てもらいたくなり、自分だけが見ていたいと望むようになっていたのだ。
似た者夫婦であるといえば、その通りであると言えよう。
ユリナは屋敷から外に出なくても特に支障がなかった。
屋敷の配信設備は整っており全てを賄うのに十分だったし、入り用の物があっても通販サイトの『ジャングル』で事足りたからである。
かくして週末にのみ、ライブを行う怠惰な『歌姫』が誕生した。
だが麗央はそうはいかない。
彼はユリナとは違い現代日本の社会生活を営んでいた。
普通ではない養母の存在もあり、平凡とは言い難い学生生活を送っていたがそれなりに楽しんでもいた。
定命の生物である人間の友人が出来ていたこともあり、それなりに屋敷の外に出なくてはいけない身の上でもあった。
「よお。少年。今日も元気そうだな」
「今日も早いですね。イソローさん」
麗央が一週間に一度、足繫く通う場所があった。
H町唯一の町立図書館である。
そこで出会った青年との交流は、掛け替えのないものだった。
知らない世界、新たな知識を知ることが出来るのも大きかったが、何よりも彼との会話が楽しかったからだ。
青年の名は根津五十六。
年齢は二十四歳。
御用邸に隣接する公園に建てられた博物館が勤務先の学芸員である。
中肉中背の体つき。
手入れをした様子がとんと見られないボサボサの髪はやや赤みがかり、茶髪に近い。
洒落っ気のない黒縁のスクエアタイプの眼鏡が与える印象も強いのか、平凡な青年にしか見えなかった。
「どうした? 何か、悩み事かね」
「ええ。まあ。そんなところです」
しかし、麗央はこの青年と何の変哲もないやり取りを心の底から、楽しんでいる。
彼がまだ、子供といってもいい頃、実の兄のように慕っていた年上の少年がいた。
イソローという名の少年はお調子者で要領がよかった。
麗央とイソローは性格も性質も正反対といっていい存在だったが、自然と馬が合った。
実の兄弟のように親しい関係にあったのである。
麗央には目の前にいる五十六という青年が、そのイソローの大人になった姿のように思えてならないのだ。
それで五十六であるにも関わらず、イソローと呼んでいた。
「妙な呼び方だがまあ、いいさ。俺っちはそういうの気にしないんでね」と答える五十六を見て、ますますイソローみたいだと考える麗央だった。
「それで何で悩んでいるんだね、少年」
ニッシシシという擬音が聞こえそうなほどに大きく口を開け、少年のような笑顔を見せる五十六は二十四よりも若く、感じられる。
「実は彼女のことなんですが」
「ああ。少年は彼女がいたっけか。そうだった。そうだった。彼女いたんだなあ」
五十六がどこか、おどけたような言い方をするのには理由がある。
彼の恋人いない歴は年齢と同じだった。
それは今後も記録を更新を続けることが、ほぼ確約されたものと言っても過言ではない。
このままでは魔法使いになってしまうという焦りが五十六の中にあった。
その傷を抉ってくるのが無自覚で惚気話を聞かせてくる麗央である。
「彼女が早く子供が欲しいらしくて……俺もなんですが」
「ぶほあ」
静粛であることを求められる図書館であることを忘れ、思わず妙な叫び声をあげそうになった五十六は慌てて、口許を押さえたものの少々、声が漏れてしまった。
「少年。そういうのは段階を踏まんといかんよ」
「そうなんですか?」
五十六の言葉に麗央は意表を突かれたのか、きょとんとした顔をする。
本当に何も分かっていないとしか、思えない純粋で純朴な少年の顔である。
ここでもてない男の僻み根性が鎌首をもたげた。
(少し、からかってやるとするか)
長い付き合いではなかったが目の前の少年――麗央が真っ直ぐな性格をしているのは五十六にもよく分かっていた。
優しく、弱い立場の者を慮る。
そう思ってはいても行動で示せる人間はそういない。
麗央がそれを実行出来るいい子であると五十六は知っていた。
ちょっとした悪戯心だった。
「少年よ。そういうのはもっとやり方ってものがあるんだ。どうれ、この俺っちが教えてしんぜよう」
「そうなんですね。ありがとう。いや、ありがとうございます、イソロー」
五十六のことを全く、疑っていない。
心の底から感謝しているという気持ちが分かる麗央の様子だった。
五十六も多少の罪悪感を感じたものの既に賽は振られたのである。
こうして五十六により、麗央は色々といかがわしい知識を授けられた。
五十六自身が未経験で知識は動画やネットなどで仕入れたものに過ぎない。
そこには実際にありえない架空の話も盛り込まれており、五十六の希望が入り混じってもいた。
そして、何よりも致命的だったのは麗央があまりに何も知らなかったことである。
刷り込まれるようにいかがわしい知識を身に付けてしまった麗央によって、ユリナとの間に騒動が巻き起こることになろうとはこの時の彼らは知る由もなかった……。
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