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第16話 滅びの前奏曲⑤滅びの歌
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曲が進むにつれ、にわかに様子がおかしくなっていった。
暗闇に包まれていく。
五大都市のライブ会場だけではない。
日本全土が闇の中に落ちていく。
まるで巨大な何者かが光を喰らっているかのように……。
各地で電源が落ち、月と星が天から照らす僅かな光を除き、真なる闇が全てを覆っていく。
「それでは最後の曲になります」
あれほど熱狂していた観客が、嘘のように静まり返っていた。
リリーの歌に聞き惚れるあまり、彼らの動きが止まっているのにしては気味が悪いほどに静かだ。
それもそのはずだった。
正常に意識を保っていられる者がほぼいなかったのである。
各会場で意識を保っていた者が指で数えられるしか、いないのだから。
九割以上の人間が満たされたような妙な表情を浮かべ、夢の世界に旅立っていた。
「聴いてください」
リリーが合図をするように右手を高く掲げ、指をパチンと鳴らすと再び、照明が落とされ、暗転した。
バックバンドによる前奏が始まるが、これまでの曲とは全く、違う。
パイプオルガンの独奏により、奏でられるどこか、おどろおどろしさを感じるメロディだった。
再び、照明がステージ上の歌姫を照らす。
光の加減でアメジストのようにもサファイアのようにも見える神秘的な瞳が微かな熱をはらみ、血を思わせるルビーの色に変じていた。
ウェディングドレスを連想させる純白のステージ衣装も星空を纏ったような漆黒のゴシックドレスに変わっている。
深紅のレースやリボンはまるで蜘蛛の巣のようにドレスのところどころに配されていた。
リリーが動くたびにまるで脈打つ血管のように動いて見える。
「夢見るままに世は動く」
伴奏に合わせ、これまでの曲と異なり、リリーの声も心無し低い。
いつしか曲が進むにつれ、彼女の瞳孔が縦に長く、爬虫類の瞳のようなものに変貌していた。
異様な輝きを見せるリリーの瞳に辛うじて、意識を保っていた者も金縛りにあったように身動ぎ一つ出来なかった。
「怖れ 怒れ 惑え 滅びの歌を謳え」
それはリリーの闇色のドレスから、芽吹くように生えてくる。
二対の漆黒にして、大きな翼が彼女の背から、ゆっくりと広げられていった。
黒い羽毛がゆらゆらと宙に舞うさまは幻想的で美しくありながらもどこか物悲しい。
「等しく死は訪れる 凍てつく時よ……」
歌い切り、何かに祈りを捧げるように両手を掲げたリリーは糸が切れた人形の如く、ゆっくりと仰向けに倒れていき、ステージから消えた。
同刻、K県H町洋館。
「お疲れ様。おやすみ、リーナ」
麗央は昏倒したユリナの体を労わるように優しく受け止めるとそのまま、横抱きに抱え上げた。
予め用意されていた寝台にユリナを寝かせるとダリアに軽く、目配せをする。
ダリアも既に察していたと言わんばかりにさっと動いて見せる。
「ここからは俺が頑張らないといけないな」
腰に差した愛刀に軽く、目をやると麗央はそれまで浮かべていた優し気な表情を消し去る。
麗央は黒い外套をたなびかせ、「かなり、減ったみたいだな」と首を軽く捻りながらも気配がする方へと足を向けるのだった。
『アルファチーム応答せよ。アルファチーム……』
『こちらベータチーム異状な……ザザザ』
霊的防衛機関『タカマガハラ』の実行部隊は歌姫のライブ当日、夜陰に乗じる襲撃作戦を決行した。
現場指揮を統括するのは『ミカヅチ』と呼ばれる壮年の男性である。
海外で傭兵として戦っていた異色の経歴の持ち主であり、歴戦の強者だった。
数多の修羅場をくぐり抜けてきたミカヅチだが、現在の戦況にその表情は芳しくない。
歌姫の『唄』は聴かなければ、その効力を発揮しない。
分析班のデータではそうなっていたはずだが、実際はそうでなかっただけに過ぎない。
耳を塞ぎ、目を閉じようとも無駄だった。
まるで『唄』は直接、脳内を支配し、浸食するかのように……。
ミカヅチも自身が正気を保っていられることに驚きを隠せない。
彼を除く、部隊の九割以上が既に『歌姫』の手に落ちていた。
皆、安らかな表情で寝息を立てて、夢の世界の住人となっている。
さらに彼を苛つかせるのは、自分以外に正気を保っている人間にまともな者がいなかったことだ。
脛に疵を持った人間だけが周囲で意識を失っていく。
彼らを他所にミカヅチは一人、正気を保つ。
ミカヅチには『タカマガハラ』がなぜ、そのような輩を飼っているのか、皆目見当がつかない。
だが、自分もそんな者の一人なのかもしれないと思い起こしたのか、何ともやるせない気持ちになった。
そして、微かな違和感に気付く。
『歌姫』が最後に謳った滅びの唄が止めになったのだ。
彼以外の隊員は皆、夢の世界に旅立っていた。
「なあ。退いてはくれまいか? 娘の晴れ舞台なんだ」
さらに腹立たしいのは目の前に悠然と立ち塞がる大男の存在だった。
ミカヅチは日本人にしては大柄な体格をしているが、目の前の男はゆうに二メートルはありそうかという身の丈に加え、たくましいほどに胸板が厚く、腕は丸太のように太い。
それなのに顔は涼やかで細面だ。
美しいブロンドを後頭部で無造作に留めていても絵になるモデルのようにも見える美丈夫ぶりだった。
「宮仕えは辛いんですよ。はい、そうですかとは簡単に退けないんでね」
「噂通り、頭の固いヤツだな。面白い」
ブロンドの美丈夫は両手持ちの大きな鎚を構え、ミカヅチは左右に三本ずつ枝分かれした不思議な形状の剣を構え、睨み合う。
一触即発。
その時、遠くの方で青い稲妻が閃光のように空を切り裂いた。
凄まじい音が周囲に轟き、あまりの衝撃にかなり距離があるにも関わらず、衝撃波が二人に襲い掛かってくる。
「あいつ、また随分と派手にやりやがったな」
対峙している状況で髪をくしゃくしゃと搔き毟り、どこか嬉しそうなブロンドの男を前にさしものミカヅチも驚きを禁じ得なかった。
このまま、戦ったところで己が得るものは何もない。
ミカヅチは長い傭兵生活で生きることの大切さを誰よりも知っている。
『タカマガハラ』の作戦は完全に失敗に終わった。
その日、日本は黒一色に塗り潰された……。
暗闇に包まれていく。
五大都市のライブ会場だけではない。
日本全土が闇の中に落ちていく。
まるで巨大な何者かが光を喰らっているかのように……。
各地で電源が落ち、月と星が天から照らす僅かな光を除き、真なる闇が全てを覆っていく。
「それでは最後の曲になります」
あれほど熱狂していた観客が、嘘のように静まり返っていた。
リリーの歌に聞き惚れるあまり、彼らの動きが止まっているのにしては気味が悪いほどに静かだ。
それもそのはずだった。
正常に意識を保っていられる者がほぼいなかったのである。
各会場で意識を保っていた者が指で数えられるしか、いないのだから。
九割以上の人間が満たされたような妙な表情を浮かべ、夢の世界に旅立っていた。
「聴いてください」
リリーが合図をするように右手を高く掲げ、指をパチンと鳴らすと再び、照明が落とされ、暗転した。
バックバンドによる前奏が始まるが、これまでの曲とは全く、違う。
パイプオルガンの独奏により、奏でられるどこか、おどろおどろしさを感じるメロディだった。
再び、照明がステージ上の歌姫を照らす。
光の加減でアメジストのようにもサファイアのようにも見える神秘的な瞳が微かな熱をはらみ、血を思わせるルビーの色に変じていた。
ウェディングドレスを連想させる純白のステージ衣装も星空を纏ったような漆黒のゴシックドレスに変わっている。
深紅のレースやリボンはまるで蜘蛛の巣のようにドレスのところどころに配されていた。
リリーが動くたびにまるで脈打つ血管のように動いて見える。
「夢見るままに世は動く」
伴奏に合わせ、これまでの曲と異なり、リリーの声も心無し低い。
いつしか曲が進むにつれ、彼女の瞳孔が縦に長く、爬虫類の瞳のようなものに変貌していた。
異様な輝きを見せるリリーの瞳に辛うじて、意識を保っていた者も金縛りにあったように身動ぎ一つ出来なかった。
「怖れ 怒れ 惑え 滅びの歌を謳え」
それはリリーの闇色のドレスから、芽吹くように生えてくる。
二対の漆黒にして、大きな翼が彼女の背から、ゆっくりと広げられていった。
黒い羽毛がゆらゆらと宙に舞うさまは幻想的で美しくありながらもどこか物悲しい。
「等しく死は訪れる 凍てつく時よ……」
歌い切り、何かに祈りを捧げるように両手を掲げたリリーは糸が切れた人形の如く、ゆっくりと仰向けに倒れていき、ステージから消えた。
同刻、K県H町洋館。
「お疲れ様。おやすみ、リーナ」
麗央は昏倒したユリナの体を労わるように優しく受け止めるとそのまま、横抱きに抱え上げた。
予め用意されていた寝台にユリナを寝かせるとダリアに軽く、目配せをする。
ダリアも既に察していたと言わんばかりにさっと動いて見せる。
「ここからは俺が頑張らないといけないな」
腰に差した愛刀に軽く、目をやると麗央はそれまで浮かべていた優し気な表情を消し去る。
麗央は黒い外套をたなびかせ、「かなり、減ったみたいだな」と首を軽く捻りながらも気配がする方へと足を向けるのだった。
『アルファチーム応答せよ。アルファチーム……』
『こちらベータチーム異状な……ザザザ』
霊的防衛機関『タカマガハラ』の実行部隊は歌姫のライブ当日、夜陰に乗じる襲撃作戦を決行した。
現場指揮を統括するのは『ミカヅチ』と呼ばれる壮年の男性である。
海外で傭兵として戦っていた異色の経歴の持ち主であり、歴戦の強者だった。
数多の修羅場をくぐり抜けてきたミカヅチだが、現在の戦況にその表情は芳しくない。
歌姫の『唄』は聴かなければ、その効力を発揮しない。
分析班のデータではそうなっていたはずだが、実際はそうでなかっただけに過ぎない。
耳を塞ぎ、目を閉じようとも無駄だった。
まるで『唄』は直接、脳内を支配し、浸食するかのように……。
ミカヅチも自身が正気を保っていられることに驚きを隠せない。
彼を除く、部隊の九割以上が既に『歌姫』の手に落ちていた。
皆、安らかな表情で寝息を立てて、夢の世界の住人となっている。
さらに彼を苛つかせるのは、自分以外に正気を保っている人間にまともな者がいなかったことだ。
脛に疵を持った人間だけが周囲で意識を失っていく。
彼らを他所にミカヅチは一人、正気を保つ。
ミカヅチには『タカマガハラ』がなぜ、そのような輩を飼っているのか、皆目見当がつかない。
だが、自分もそんな者の一人なのかもしれないと思い起こしたのか、何ともやるせない気持ちになった。
そして、微かな違和感に気付く。
『歌姫』が最後に謳った滅びの唄が止めになったのだ。
彼以外の隊員は皆、夢の世界に旅立っていた。
「なあ。退いてはくれまいか? 娘の晴れ舞台なんだ」
さらに腹立たしいのは目の前に悠然と立ち塞がる大男の存在だった。
ミカヅチは日本人にしては大柄な体格をしているが、目の前の男はゆうに二メートルはありそうかという身の丈に加え、たくましいほどに胸板が厚く、腕は丸太のように太い。
それなのに顔は涼やかで細面だ。
美しいブロンドを後頭部で無造作に留めていても絵になるモデルのようにも見える美丈夫ぶりだった。
「宮仕えは辛いんですよ。はい、そうですかとは簡単に退けないんでね」
「噂通り、頭の固いヤツだな。面白い」
ブロンドの美丈夫は両手持ちの大きな鎚を構え、ミカヅチは左右に三本ずつ枝分かれした不思議な形状の剣を構え、睨み合う。
一触即発。
その時、遠くの方で青い稲妻が閃光のように空を切り裂いた。
凄まじい音が周囲に轟き、あまりの衝撃にかなり距離があるにも関わらず、衝撃波が二人に襲い掛かってくる。
「あいつ、また随分と派手にやりやがったな」
対峙している状況で髪をくしゃくしゃと搔き毟り、どこか嬉しそうなブロンドの男を前にさしものミカヅチも驚きを禁じ得なかった。
このまま、戦ったところで己が得るものは何もない。
ミカヅチは長い傭兵生活で生きることの大切さを誰よりも知っている。
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